次世代継承学

【第96話】不確実なものを語るためにペルソナは必要だ。

「公のイメージ(ペルソナ)と実際の自分(実像)が乖離していて、人と話している側からどんな自分だったのか忘れていくような気分になります。」
インフルエンサーとして活躍している方とお話をした際に、ペルソナについて考えさせられる言葉を頂きました。

「実像と乖離したペルソナを作るべきだ。」
自分の目標や理想に近づくための手段であり、実像に縛られる必要はないという意見があります。
公衆の期待や感情を刺激し、関心を高めるためにはペルソナが必要だと。

ペルソナを作ることで、自分の創造性や自由度を高めることができるのだと。

「実像を尊重して、ペルソナは作るべきではない。」
一方、ペルソナを作らないことで、自分の誠実さや信頼性を高めることができるという意見があります。
ペルソナを作るとやがて自己否定や自己矛盾に陥るため、控えるべきだと。

自分が自分であることを諦めては行けないのだと。

ペルソナとは、心理学用語で「自己の外的側面」と言います。
つまり周囲に見せている自分のことを指します。

それは、社会的な役割や期待に応えるために必要なものであり、自分の内面や本質とは必ずしも一致しないことがあります。
そのため、ペルソナと実像が乖離すると、自分のアイデンティティに混乱や苦悩を感じると言われています。

「大切なのは、どう見えたかじゃなく、本当はどうか、なのよ。」
音楽界の女王マドンナは、ペルソナと自分が一致されていることで有名です。
常に自分のイメージを変化させ、挑発的で斬新な発言こそが彼女自身の姿であり、それが自信の源であることにいつからかファンは気付きました。

そして彼女は、自分のペルソナを貫き通して、自分の作品やメッセージを訴求することで、多くのファンや支持者を獲得しています。

「どうして、人生のすべてをかけてまで、あなたでない誰かになろうとするの?本当の自分でいることって何倍も楽しいわよ。」
歌手のレディー・ガガは、マドンナとは逆に、ペルソナと実像を明確に切り分けています。
彼女はメディアやステージ上では、刺激的で個性的なファッションやパフォーマンスで世界的な人気を得ています。
しかしその本名はステファニー・ジャーマノッタであり、プライベートでは地味な服装やメイクで過ごしているといいます。

そんな二人には、指標とも言える人物がいました。
それが、“地球に落ちてきた男”デヴィッド・ボウイです。

「演技と衣装とかの外面を取り去ったときに、僕の中に残るのは作家なんだ。自分の書く題材について調べるようになって、突き詰めるとそれは主に孤独についての曲だった。孤独とある種の精神的な探求、他者とのコミュニケーションを手さぐりすること。結局それ、40年間書いてきたテーマはそれなんだよ。さほど変わっていないね。これまでいろいろと衣装を変えて毎回いろんなアプローチを使ってきたのは、問題に対して別の解決策を探るためだ。そうやって少しずつ解決に持っていくということでは他の人と同じだね。」
彼は、複数のペルソナを操ることで、同じテーマに光を当てるというアプローチを生涯通して全うしました。
イルミネートするということは、可能性を呼び起こすということです。

「僕が何かを与えたことがあるとするなら、良かれ悪しかれ、それは大いなる不確実性なんだ。」
そして、自分の活動を通して世界に与えたものは不確実性だと語ります。
可能性に光を当てて分かることは、不確実性に他ならない。
不確実だからこそ、そこには希望が宿るのだと。

言い換えれば、私たちは、もしかしたら不確実性を認識しているから関係性で補完しようとしているのかもしれません。
音楽や演技とは、あるテーマを様々な角度が照らすためのものなのではないかと。
そんなことを考えさせられます。

インターネットが普及してから、私たちは数々の匿名の自分を作り続けて来ました。
仮想人格は、SNSアカウントの数だけあるとも言えるでしょう。

玉石混交の仮想人格が内包されたプラットフォーム。
そこで目立たなければ影響力は手に入りません。

そこでマーケティング専門家は有名になるためのテクニックを教えてくれます。
一言で言えば、それは、際立たせることです。

際立たせるためには、特殊性や専門性を演出しなさいと。
例えそれが、実像と乖離していたとしても、見栄えの良いペルソナを通じて演出するべきだと。

「今日は連続起業家の◯◯さんや界隈で有名な◯◯さんのいるパーティーに招待されました。」
その結果、私たちはSNS疲れを起こし始めました。
他人の発信を受信するのも疲れるし、在るべき自分像を考えて発信するのも疲れてしまったと。

またネット上に限らず、現実でも口八丁で八方美人の営業マンも同じような状態に陥ります。
盛った経歴や実績を聞くのは疲れるし、知りたいのはそこじゃないという気持ちにさせられます。

「それは、人間ではない。」
しかしながら、真人間のように虚像のない(間の無い)人もまた成立しないのではないかと考えます。
つまり、ペルソナが悪なのではなく、制御できない魔物になった時が悪になるということです。

「一般意志に従うことで、自己と他者の関係において、自己の自由や尊厳を保ちながら、他者との協力や共生を実現できる。」
フランスの哲学者ジャン=ジャック・ルソーは、自己と他者の関係から兆しを与えてくれています。

自然状態には、自己の欲求に従って生きる自然人いる。
社会状態には、他者の意見に左右される社会人がいる。

ルソーは、自然人と社会人の間には矛盾があると考えました。
これを解決するために、自己と他者の一致をもたらす必要があると。

そして、一般意志という概念を提唱しました。
それは、個人の利害や偏見を超えた、社会全体の利益や正義を表すものです。

「自己と他者の関係において、自己の権利や平等を主張するとともに、他者の尊重や協調を求める。」
自由・平等・博愛。
次いで言えば、ルソーの思想は、フランス革命の動機や理念に大きな影響を与えました。
つまり、それは、一般意志の実現を目指したとも考えられるでしょう。

「ペルソナの世界と他人の世界が重なった時に、ペルソナが自分であることを証明出来ないと、ペルソナは制御不能になる。」
そんなことを考えさせられました。


※マドンナの言葉 ※レディー・ガガ メッセージ ※デヴィッド・ボウイ 無を歌った男

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コメント

  1. 星屑のかけら

    こんばんは。いつも楽しく拝読しています。

    私は大学生の時に、地方の人材系コンサルティング会社へインターンシップでお邪魔していました。
    神奈川の実家を長期間離れ、貸家で暮らしつつ日中は働きつつの生活をしていましたが、その際に大きく考えさせられたテーマがあります。

    それは、
    『自分らしさとは何か。』
    です。

    時には涙しながら。
    時には友人を頼りながら。
    時には当時の彼女を頼りながら。
    真摯に向かい合いましたが、答えは結局出ませんでした。

    なぜなら、(当時20歳程度のため)
    過去を振り返ると
    中学、高校、そして大学とでは自分自身の考え方、人付き合い、信条は異なっており、
    軸=変わらない、ぶれないものはなかったからです。

    その際に暫定的に出した答えは、
    自分は何者でもない。
    だからこそ、未来の自分を誇れるようにするのだ。
    というものでした。

    たまに、振り返り自分らしさについて考えて見ますが答えは出たことはありません。(候補は上がっても、それが答えに至っていません。)

    インフルエンサーの方は、20歳当時の自分の考えに+周囲からの期待(ファンからのコメントや虚ろな像(アイドル)への評価)というものに左右させるのでしょう。

    ファンから評価されるのが自分だ。と定義すれば、自分は有名人というペルソナに振り回され、
    自分だからファンがついた。と定義すれば、ファンが有名人というペルソナに振り回されるのでしょうか。

    文章にして改めて思いましたが、イタチごっこの様ですね。

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