次世代継承学

【第51話】品格は関係性から磨かれる。

「EdTechで教育機会に公平感をもたらして、教師がいなくても質の高い教育を提供したいと考えていますが、これに懸念点があれば教えてほしいです。」
EdTech事業の経営者とお話をした際に、未来の教育ツールがもたらす影響について考えさせられる言葉を頂きました。

「私の子どもは、オンライン学習プラットフォームを使用して、自分のペースで学習することができるようになった。これにより、彼の学習効果が向上したと感じている。」
EdTechの導入により、教育のアクセス性が向上し、多様な学習スタイルに対応できるようになるという意見があります。
また、リアルタイムでのフィードバックや個別対応が可能となり、教育の質が向上するのだと。

つまり、教育の効率化や個別化、多様化、公平化などを実現することで、生徒や教師のニーズに応えられるということです。

「私の学校でEdTechが導入されてから、生徒たちの間で実際のコミュニケーションが減少したように感じる。技術に頼りすぎると、人間関係のスキルが低下するのではないかと心配している。」
一方、過度なEdTechの導入は、生徒や学生が技術に過度に依存するリスクがあるという意見があります。
また、実際の対面式の授業や人間関係の構築が疎かになる可能性があるのだと。

つまり、教育のコストや品質を低下させたり、生徒や教師のコミュニケーションや関係性を希薄化させるということです。

EdTechの導入は、教育の質を向上させるための必要不可欠な手段であるか。
それとも過度な技術依存を生むリスクがあるのか。
あなたはどう思いますか?

オンライン学習プラットフォームは、遠隔地からの学習や個別対応を容易にしました。
以下に3つの事例を挙げてみます。

「自宅で自分のペースで学習することで成績UPが狙える!」
それが「スタディサプリ」です。

「自分の興味や目標に合わせてスキルや知識を身につけられる!」
それが「Udemy」です。

「世界中の一流大学の講義を受けることで専門性や視野を広げることが出来る!」
それが「Coursera」です。

これらの事例は、生徒に自分のペースで学習する機会や自由度を与えることで、学習効果を向上させる可能性があります。

こうして見ると、EdTechが万能であるかのように見えますが、そこには限界や課題があります。

例えば、EdTechは教育格差を解消すると言われていますが、そもそもアクセスや利用に格差が生じていることがあります。
また、EdTechは教育内容や方法を多様化しますが、依存しすぎると、教育内容や方法が均質化される可能性もあります。
さらに、EdTechは教育データを収集・分析することで、教育評価や改善に役立つと言われています。
しかしそのデータ収集・分析にはプライバシーや倫理の問題が伴う可能性もあります。

つまり、教育格差の前に起きている格差及び分断に対してはアプローチが出来ないということです。

より深く具体的な視点からみれば、実際の対面式の授業や人間関係の重要性が軽視されるリスクも考えられます。

例えば、オンライン授業が増えたことで、生徒同士や生徒と教師との対面での会話や交流が減り、孤立感や不安感が高まる。
また、デバイスを使った学習が増えたことで、生徒が画面に集中しすぎて周囲に気づかなくなり、協調性や共感性が低下する。
さらには、AIやVRを使った学習が増えれば、生徒が現実と仮想の区別がつかなくなり、自己認識や社会性が乱れていく。

「モビルスーツの性能の違いが戦力の決定的差ではないということを教えてやる!」
つまり、どれだけツールが良くとも、使い手の精神的な成長が無ければ悪影響が勝るということです。

では、ここで一緒に考えて頂きたいことがあります。
EdTechの導入を検討する前に、教育の目的や価値観、社会的・文化的・倫理的な観点などを明確にしておく必要があります。
つまり、教育の手段であって目的ではないということです。

そんな中で、教育の質と人間性の両方を高めるためにはどうすべきなのでしょうか。
あなたはどう思いますか?

「印刷技術は、教育の効率化や普及、知識の多様化や拡散などを促進した一方で、教育の品質や権威、知識の真偽や価値などにも影響を与えた。」
印刷技術により、書物が大量に生産・流通されるようになり、教育や文化に大きな変革がもたらされました。
しかし、技術の悪用、偽書と粗悪品及び、書物の使い道までを整備することは未だに出来ていません。

「義務教育制度や大量教育システムは、教育の公平化や普及、国民統合や社会参加などを促進した一方で、教育の個別化や多様化、自由度や創造性などにも影響を与えた。」
産業革命や都市化が進んだことで、義務教育制度や大量教育システムが確立されました。
しかし、そのシステムの果ては、資本家にとって善き労働者の型にはめた人間像の教育であり、その弊害は未だに懸念されています。

「世界中の人々と交流したり協力したりする機会が増えることで、異文化理解やグローバルコミュニケーションが出来る。」
確かに交流出来る機能はありますが、その機会は本当に利用されるのでしょうか。
もしかしたら、EdTechは関係性を排する可能性がある施策なのかもしれません。

歴史を見ても、教育の質と品格を整えることは両立されて来ていません。
私は、品格は関係性が与える影響によって磨かれていくものだと考えています。

どうやって折り合いを付けていくべきなのか。
あなたはどう思いますか?


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コメント

  1. AYA

    必ずしもエドテックがコミュニケーションを減らすもので、それが人間性の成長を阻害するものだとは思いません。
    そもそも人間性とは学習の場面ではなく、生活の場で育つものではないでしょうか。

    技術を使った勉強方法であれ、わからないところがあれば友達や兄弟、先生、親に聞いて相談することはできます。
    塾に通わせるお金はないけど、親のスマホを貸してアプリ学習はさせられる、という人も多いと思います。
    教育の機会を増やすことはチャンスを増やすことです。
    学習で大事なことは、自分に適した方法、時間、環境などを見つけ、クリアすることでレベルアップすることだと思います。
    エドテックでそれを叶えられるかは周りにいる大人次第だと思います。
    うまく活用できるように、生活の場で保護者が何かに向き合う大事さ、丁寧さ、集中力を教えられればいいと思います。

    • 青木コーチ

      いつもコメントありがとうございます!

      「エドテックでそれを叶えられるかは周りにいる大人次第だと思います。」
      この言葉が印象に残りました。

      サッカーが上手くなる子どもには共通点があります。
      それは、「親が子どものやりたいことに興味を持っているかどうか」です。

      子どもに限らず、人は自分と一緒に頑張れる人が隣にいるとより一層夢中になれます。
      なぜなら、共通言語で自分の気持ちが語れるからです。

      子育て、つまり人の親になるのは誰もが初体験で手探り状態から始まります。
      模範になれる親が近くにいる状態を作る取り組みも必要なのかなと。

      そんなことを考えさせられました。

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