事例分析

【CASE17】脳波による未来予測から考える人間の本性

今回は、「脳波による未来予測」の観点から、「人格に隠された人間の本性」について考察していきます。


問題提起

NTTが世界初となる、脳波による勝敗予測方法を発見しました。
実験の対象となったのはeスポーツで、対戦直前の脳波に勝敗と強く関わるパターンが存在することが分かったそうです。

「この研究は勝負事に臨む際の理想的な脳状態の存在を示しており、人々がさまざまなシーンでプレッシャーに対処するための重要なヒントを与えるだろう。」
研究チームは、格闘ゲームの熟練者同士が、実戦と同じ2ラウンド先取制で試合をしている最中の脳波(EEG)を計測。
eスポーツ選手が試合に臨む際、理想的な精神状態がどのような脳波パターンから生じるか調べました。

調査したのは、目標達成のための最善の方法を選ぶ、戦略判断能力。
そして自分の感情を意識的に調整し適切に表現する、感情制御能力。

つまり、この2つの能力に関する脳波パターンと勝敗の関連が明らかになったということです。

その結果、直後の試合結果を約80%の精度で予測することに成功。
また、この技術を確立した末には、脳波データを使って個人のメンタル状態を調整する方法の確立も期待できると言います。

このような脳波による未来予測は私たちにどのような変化を与えていくのでしょうか。


背景考察

そもそも脳波分析の対象にされた戦略判断と感情制御が、なぜeスポーツにおいて重要な能力だったのでしょうか。
これについては、NTTが独自に実施したプレイヤーへのアンケート調査で判明していたそうです。
それによれば、第1ラウンドの直前は戦略判断能力が勝敗に最も影響して、第3ラウンドの直前は感情制御の能力が最も重要性が高いのだと。

つまり今回の発見は、eスポーツ選手たちが感覚的に持っていた勝利の条件を満たす因子を明らかにしたということです。

「実力が拮抗した試合と番狂わせが起きた試合の勝敗予測についても、約80%の精度で予測できた。」
近年はビッグデータによる統計的な解析によって、傾向と対策を明らかにしていくことが主流でした。

例えば野球で言えば、相手のピッチャーがどんな球種をどんなコースにどんなタイミングで投げているのか。
何試合分ものデータを溜めて、重ね合わせをすることでバッターは予測しながらバットを振ることが可能になります。

またサッカーで言えば、コパ・アメリカを優勝したアルゼンチンGKのPK戦セーブ率が非常に高いことが話題になりました。
しかしそれは、相手選手のPKキックの傾向が記されたドリンクボトルを見て、セービング率を上げていたそうです。
まさに影の努力と工夫が実を結んだ末の優勝だったと言えるでしょう。

「コミュニケーションとは、“情報の交換と感情の共有”の掛け算で成立している。」
人間と動物の会話を比較した時、決定的に違うのは感情の共有だと考えることが出来るでしょう。
それは決して、動物に感情がないと言っているのではありません。
あくまで人間の方が感情の共有に対して比重を置いているという意味です。

感情の制御、言い換えれば感情を抑制することが勝率に直結する。
これは非常に興味深い事実だと思いませんか。

今、世の中ではサイコパスという言葉が盛んに取り上げられるようになりました。
それは、感情の一部、特に他者への愛情や思いやりが欠如していることや、道徳観念・倫理観・恐怖を感じないといった特徴を表す言葉です。
言ってしまえば、感情に類する人情が通用しないことに対してネガティブな印象が植え付けられているということです。

「感情のままに行動するのは正しい人間の生き方だ。」
人間らしさの1つである、感情を肯定することが一般的に善と考えられています。
しかし、事勝負の世界では全く真逆の印象となる。
感情を制御しなければ勝てないのだと。

かつてドイツの思想家ニーチェは、ルサンチマンという言葉を発明しました。
それは、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」のことです。
その背景には、弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情の溜飲を下げようとする狙いがあったのではないかと。

「人権は最強の矛であり、またそれを盾にされた時点で誰もその先を追求することは出来ない。」
以前、法務部で活躍されている方とお話をした際に、世相に対してそのような見解を述べていることがありました。
そう、つまり、ある意味ルサンチマンというのは、貧富の差という耐え難い現実に直面した弱者が道徳規範という人権を盾にした逆襲と見ることも出来るでしょう。

例えば人種差別、肌の色が違うことを揶揄することは世界共通のタブーであり、世界で最も明確な人権問題です。
もしやろうものなら、オリンピック出場権は取り消されて、メダルさえも剥奪されるほどのバッシングを受けるものです。

ではなぜそれがタブー、禁忌となったのか。
凄惨な歴史がそうさせたと、悲しむ人がいることを引き合いに出すことで一般的な解は導き出せるでしょう。
しかしそこには、感情を大切にしてきた背景やルサンチマンのようなものが働いていたのかもしれないと。

そして言い換えればそれは、人間の言葉や振舞を規定するものであり、総称すれば人格を生み出しているのではないでしょうか。
つまり、人権には人権自身が求める人格というものが存在していて、人間はその人格になりきっているのではないかと。
言い換えれば、仮面(ペルソナ)を被っているのだと。

「社会には、社会自身が求める人格が存在しているのではないだろうか?」
では、もしも人権というのが、人間の感情によって発明されたものだとするならば。
人間が発明した社会もまた、社会自身が求める人格が存在しているのではないでしょうか。

もし仮に資本主義社会が求める人格なるものがあるならば。
それはおそらく、効果性、効率性、合理性という特徴を有するのではないか。

例えば、曖昧で不確かな感情というものを盲信せずに、世の中をゲームのように眺めて事実と根拠に基づいた効果的で効率的で合理的な判断を下すことを求めていると。
だとするならば、その人格は計算ができるはずです。
つまり、人間の行為を確率論で予測して、操作することも出来るということです。

それがビッグデータやマーケティングという概念だったのではないでしょうか。
また効果性、効率性、合理性を如実に反映させるために株式市場という仕組みがあり、すべてを数値化して投機対象にすることを資本主義は求めていたのだと。

そう、考えてみれば、この世界の謎や不可解なことが無くなれば無くなるほど、それは確立されていくということです。
確立されている世界であればあるほど、確率論で測ることが出来るのは当然の帰結と言えるでしょう。
だとすれば、今の人間から見た世界というのはゲームのような世界観に見えていてもおかしくはないと思います。

このような社会が提供するゲームのような世界では、感情が命取りになる可能性さえも孕んでいます。

「私はどうしてもお金を稼ぐことを悪いことだと思ってしまう。」
私たちの中には、誰かにお金を請求するという行為に対して嫌悪感を抱いている人間がいます。
なぜならゼロサムゲームと同じで、自分が儲かるという事は誰かのお金が減るという理屈が大前提として存在しているからです。
だからこそ相手の懐事情まで考えられる優しい人ほど、自分だったら損しても良いという考え方が生まれるのかなと。

請求や交渉という概念が悪いことだと考えてしまう原因。
それは、もしかしたら感情を第一優先してコミュニケーションを取ってきた弊害なのかもしれません。
その意味では、感情を制御できているサイコパス的な人間ほど請求に対して嫌悪感を抱くことがないのかもしれない。

「大多数の人間が感情の共有は不可欠なものと考えている。」
割り切って徹底して稼ごうなんて、声を大にして言うことは出来ないし徹しきることも出来ない。
しかし、大多数の私たちは潜在的に欲しているのでは無いでしょうか、資本主義の人格を。

だからこそ同質的ではない、サイコパスという存在に対してネガティブな印象を持ってしまうのではないでしょうか。
つまり、それは、ニーチェが提唱したルサンチマンとも言えるような現象ではないかと。

潜在的な欲求を押し殺すことを美徳とする人格。
これもまた何者かによって作り上げられたものだとするならば。
私たちはどうやってこの人格を克服することが出来るのでしょうか。

もしかしたら脳波分析とは、潜在的な何かを引き出すものになり得るのではないか。
或いは、作り上げられた人格(仮面)を無効にして、本当の人間性を取り戻す手段になるのかもしれない。

そんなことを考えさせられました。


結論

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