事例分析

【CASE20】部分所有から考える社会構造の未来

今回は、「部分所有」の観点から、「社会構造」の未来について考察していきます。


問題提起

不動産市場の高騰と住宅ローンの利率上昇により、家を完全に所有することが難しくなった現代。
特にアメリカでは、これに対応するために新たな形態の不動産所有、「部分所有」(フラクショナルオーナーシップ)が急速に普及しています。

この所有形態は、分割所有権とも言われており、複数の投資家が一つの物件や部屋を共同所有することを可能にする仕組みです。
例えば、3億円の物件を1人で所有する場合は3億円の投資資金が必要ですが、10人で所有をすれば、1人あたりの投資資金は3,000万円で済むのだと。
そして、共有者同士が調整をして、3週間や4週間以上など長期間にわたり利用権を分け合う仕組みも提供されています。

従来は商業施設やタンカーや貨物船、プライベートジェットなどの超高額商品の投資に使われることが多かった手法ですが、ここ数年の間に一般的な住宅不動産への投資にも用いられるようになりました。
この変化は、私たちの価値観にどのような変化を与えて、未来をどのように変えていくのでしょうか。


背景考察

「私たちは時代を重ねるごとに、帰属の最小単位が共同体およびコミュニティになってきているのではないだろうか。」

衣食住は、人が生活する上で最低限のインフラであるという声があります。
中でも、家とは従来、家族の安全と安定を象徴するものでした。

しかし今ではその意味が少し変わってきているように感じます。
つまり、個人の安全と安定を象徴するものに変化しているのではないかと。

例えば、「家督を継ぐ」という言葉はご存知でしょうか。
それは、実家の財産を受け継ぎ守り伝えることを意味する言葉です。
しかし今の時代、もしかしたらそのような言葉は死語になりつつあるのかもしれません。

でもそれは、歴史がそうさせている可能性があります。
日本人の神道(土着信仰)に基づく先祖崇拝について考えていくと、興味深い考察が浮かび上がります。

まず、仏教ではそもそも「神は存在しない」という考えが一般的です。
また、先祖は仏壇に祀り、先祖供養としてお墓や仏壇に線香を立てお供え物をして、先祖に感謝を伝えます。
それは、先祖がいなければ自分たちは存在しなかったため、生を受けたことへの感謝を込め、先祖に尊敬と祈りを捧げるのが目的です。

しかし日本人の先祖に対する考え方は、死者は祖霊となり、さらに祖先神へと昇華し、子孫を見守る存在になるというものです。
つまり、死は生滅ではなく、神になるための再生だと。
そして、神となった先祖(祖霊)は常に子孫を見守り、時には里に下りてきて、村人に福や恵みをもたらす存在になるのだと考えます。

「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」
また有名なキリスト教においては、神は唯一の神であり、祖霊を信仰するという考え方がありません。
つまり、故人が天国で無事に暮らすことを祈り、それは神の思し召しによるため、神に故人を守ってくれるように祈るわけです。
だから、常に神に対してお祈りを捧げています。

お伝えしたように、日本人の考え方によれば、先祖は神となり、その神には帰ってくる場所があるといいます。
では、どこに帰ってくるのでしょうか。

そう、それが家なのです。

つまり、従来の日本人の考え方によれば、家とは先祖を含めた家族代々の安全と安心を象徴する場所でした。
なぜそう考えられるかというと、家が土地に根ざしたものであるからです。
言い換えれば、家があるから土地があるのではなく、土地があるから家があるという考え方です。

すなわち、土地を所有するという概念があって初めて、日本人の土着信仰は肯定されるということです。

「御国のために。」
そう考えれば、ナショナリズムの解釈は、実は私たちが考えている定義とは違うのではないでしょうか。
第二次大戦下、日本人は天皇を崇拝して祖国を守るために戦いました。
そして、神風特攻隊のように命を燃やして戦う姿に敵対する国々は強烈な畏怖を覚えたと言います。

しかし、なぜそのようなことができたのでしょうか。
本当に祖国を守るという使命感や責任感だけでそれが可能だったのでしょうか。
もっと言えば、戦時中の人々は国のために戦っていたのでしょうか。

実はそこには、祖国防衛の使命感や責任感の土台として、「家族を守る」という発想が強固に築かれていたのではないでしょうか。

日本人は古くから、本音と建前という相反する仮面を使い分けることで有名です。
その意味で言えば、建前は神と崇める天皇と自らの祖国を守るため。
しかしその本音は、先祖の御霊が帰ってくる「家族の土地を守るため」だったのではないでしょうか。

つまり、それは、日本人は我々が思うような国粋主義者ではなく、実のところ、血縁主義者であったと解釈が出来る可能性があるということです。
だとするならば、戦後日本人が失ったものは「血縁を守る」という発想だったのだと言えるでしょう。

では、何がそうさせたのでしょうか。
GHQの政策がどうとかではなく、おそらく家を壊したのはビジネスの仕組みです。
なぜなら政策は天皇主義と国粋主義という表向きの信仰心を薄めるものであって、土台である「家族の土地を守る」思想を薄めるものではないからです。

そう、つまり政策ではなくて、他に要因があったと。
そしてその正体こそが、家の賃貸契約というビジネスの仕組みが土着信仰を薄める要因になったのではないでしょうか。

東京一極集中、それに伴う上京という風向き、上京先で人々は賃貸契約という仮住まいを余儀なくされる。
つまり、この流れそのものが私たちの土着信仰を風化させたのだということです。

家を完全に所有するのではなく、借りるという発想。
そして今、借りるという発想から部分所有するという選択肢まで広がりました。
それは、私たちの「家」に対する価値観を新たに揺さぶる可能性があることを意味するのではないでしょうか。

例えば、家を車のようにシェアする感覚で部分的に所有することで、「家」はもはや特定の場所に固定されたものだという概念が無くなるでしょう。
すると人の生活拠点もまた固定されたものではなく、まるで遊牧民族のような流動的な概念に変わる可能性があります。
もしかしたら、周住(しゅうじゅう:拠点を巡るように生活するスタイル)という新たな造語が生まれるかもしれません。

「社会関係資本は土地に根ざした指標から、人に根ざした指標に生まれ変わる可能性がある。」
それによって、家族や友人との関係性にも影響を与える可能性があります。
つまり、部分所有を通じて複数の地域に住居を持つことで、家族の絆や友人との交流が復活するかもしれません。
すると、社会関係資本はその土地に根ざした者たち特有の資本だと思われていましたが、実は人の生活幸福度や対人充足度という観点から新たに測定する必要が出て来るでしょう。

さらに、部分所有が一般的になった社会では、「所有すること」の意味自体が曖昧になり、物理的な所有よりも共有利便性や利用執着度が重視される新しい価値観が形成されるかもしれません。
また、不動産の部分所有が普及することにより、不動産市場の二極化が進むでしょう。

都市部では、高価格の物件が部分所有を通じて取引され、特別性と希少性を利用した新たな時間限定イベントも開催されるでしょう。
その一方、地方では手ごろな価格の物件が取引され、地元住民や新しい住民層が周住することで、プロボノの第三組織化が可能となり地域再生が加速する可能性があります。

とはいえ良いことばかりではなく、地域社会の一体感が喪失していく危険性もあります。
例えばプロボノの第三組織化をしなければ、所有者が頻繁に変わることでコミュニティの繋がりが薄れ、社会的孤立が進む可能性があります。
また、部分所有に伴う法的な問題やトラブルが増加し、政府や金融機関の役割と新たな関わり方も求められるようになるでしょう。

部分所有の普及は、ライフスタイルや価値観の変容を促進し、社会全体に大きな影響を与える可能性を持っています。
その結果、所有権の概念が再定義され、完全所有が過去のものとなり、部分所有が新たな社会通念となる未来が訪れるかもしれません。

すると、多くの人が所有と自由の均衡を見つける経済活動に躍起になっていくことは間違いないでしょう。
しかし先祖崇拝のような、美徳を忘れない儀式に注意を向けなければ、「昔の日本は良かった。昔の日本人は凄かった。」と過去にすがりつく惨めな状態を作り出しかねません。

部分所有の普及が、単なる不動産の所有形態の変化に留まらず、社会構造全体の再編を促進する可能性を秘めていることを、私たちは真剣に考えるべきだなと。
そんなことを考えました。


結論

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コメント

  1. see

    この世界観で、まず気になったのは「買う権利」を獲得する難易度についてです。

    善良顧客ポイントにも通ずるとろこがあるかと思いますが、部分所有が常になった場合、誰と所有するかが気になるところです。

    部分所有によって、販売数は下がるが、顧客数は増える。
    そして、個別カスタマイズ・対応が出来なくなる中で、顧客満足度を維持するためには万人が認める最高品質が必要なのかと。
    とすれば、基準は上層思考にあわせざるを得ず、買う権利も自ずとそちらに分配されるのかなと。

    その場合、買う権利を買う、という構図が出来てくるのかなと思いました。
    部分所有をさらに分配する、孫請のようになる闇が見えてしまいますね〜

    結局は、信頼の話に戻ってきちゃいますが、根付くことによって証明されていた「身元」が浮つくようになると、何が、誰が、信頼を担保するのか。

    人柄の側面からは、個人が個人をくちこみ評価するってのも出来そうですね。
    そして建前や圧力を乗り越えるには、コミュニケーションを取った際の脈や血圧によるストレス値の変動が相手の評価として自動反映される。

    現にスマートウォッチ的なので測れるので、それが自動通信されれば歩くくちこみの完成!?

  2. 古澤泰明

    部分所有はオーナー投資家が投資として行うものであり、末端の人はあまり関係がないのでは?と私は思いました。投資商品としてはありかもしれませんが。マンションの区分所有などをみると共有部分や建物を維持する費用を所有者皆で賄う必要があり一部保有したことにより全体の費用の一部を負担することが求められます。マンションも寿命はあるはずですから、解体するときはどうなるのか?気になるところです
    期間を決めて、最終的に売却するものでしたら売却するときに各所有者に利益が出た、出ないで結果が出せます。結局は投資であり、末端の人は買えなければ借りることに変わりがないのでは?現状、地方のアパートは供給過剰になっており、物件をあまり選ばなければ借りやすい環境にあると思います
    ただ、日本全体で発展してきた時代は終わり、今後衰退する地方と発展する地方にわかれ、消滅する地域もあるでしょう。人口大減少がそれに拍車をかけるため、住む場所を選ぶことは重要なのかもしれません(物流の回と共通しますね)
    ITの発展でどこにいても仕事ができるようになった現在、中には住みよい地域を求めてさまよい続ける人もでますね
    しかし、労働集約的な仕事はやはりその場所根付く必要がありますので職種や個人の経済状況によるのだと思います
    反動で自分のいる地域が衰退しないように地域を守る会などができて住民の連帯感が高まる可能性もあるかも?とも想いました

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