次世代継承学

【第5話】人間は命の価値をもっと真剣に問うべきだった

「1000人の命を救うために100人の命が必要ならば、我々は迷わずその場で100人殺してみせる。」
尾田栄一郎『ONE PIECE』の中で、考えさせられるセリフがありました。

個の価値と集団の価値、あなたならどちらを選びますか?

「私たち一人ひとりの命は地球より重い。」
個人の命を尊重する視点からは、100人の命を犠牲にすることは許されない行為となります。
つまり、人命はそれぞれ尊く、その価値は計り知れないものとして捉えることが出来るでしょう。

「母なる地球に背いて生きることは出来ない。」
集団の命を重視する視点からは、1000人の命を救うための犠牲として、100人の命を犠牲にすることが許容されるのかもしれません。
つまり、大局的に見ればより多くの命を救うための犠牲として、少数の命を犠牲にするべきだと捉えることも出来るでしょう。

短期的な結果と長期的な結果、あなたならどちらを選びますか?

短期的には1000人の命を救うことができるかもしれません。
しかし長期的にはその100人の犠牲によってどのような影響が生じるのかを考える必要があります。
例えば、犠牲となった100人の家族や友人の心情、社会の倫理観や価値観の変化など、多くの要因が考慮されるべきです。

技術の進化は、人間の命の価値を相対的に低く見積もっていく可能性があります。
というのも、人間の命を救うための判断が機械に委ねられるケースが増えて行くからです。

例えば、自動運転車が事故を回避する際の判断や、医療現場での治療方針の際に、もしかしたら、機械が人間の命を犠牲にする判断を下す場合があるかもしれません。

すべての機械は最適な結果を追求するためのアルゴリズムに基づいて動作しています。
しかし、そのアルゴリズムの背後には人間の価値観や倫理観があります。

つまり、どのような判断基準を授けるのかは”人間次第”だということです。

「生命とは、情報の流れの中に生まれた結節点のようなものだ。」
押井守『GHOST IN THE SHELL』は、生命の定義が曖昧であることを訴えています。
大いなる力と流れの中に点在する有機体、逆らえず留まれず流されゆく存在、それが人間の命であると。

CRISPR技術による遺伝子編集や、延命治療の進化。
しかしながら、人間の命を延ばす技術は留まる所を知らない。

それは、人間の命の価値を高める一方で、人間の命の価値を相対的に低下させて行きます。

技術の進化と命の価値。
人間は命の価値や意味についてもっと真剣に考えるべきだったのかもしれません。

「1人殺せば悪人、戦争で100万人殺せば英雄。」
人間の命の価値は、時代や文化、状況により変化するものです。

しかし、ここで忘れてはいけないことがあります。
それは、”人間の命の本質的な価値が変わったわけでは無い”ということです。

命の価値は、その命が持つ可能性や、その命を通して得られる経験や知識、感情など、多くの要因に影響されるものだと考えています。

すなわち、命の価値を決めるのは、その命を持つ個人自身であり、他者がその価値を決めることは出来ないということです。

しかし、社会全体としての幸福や安定を求める場合、アノミーやフリーライダー問題が矛盾を引き起こすかもしれません。

では、これからの人類は調和と平和をどうやって築いて行くべきなのでしょうか。

すべては巡ると考えれば、命の価値や多数の幸福という二元論的な観点を超えて、共感と共生の三元論的な観点が必要になるでしょう。

そして共感と共生の観点から、個人の価値観や命の価値を尊重しつつ、トライブ社会を形成する。

すなわち、部分最適化から幸福を追求する仕組みを考える必要があると考えました。

あなたはどう考えますか?


※ONE PIECE とは ※GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 とは ※チャールズ・チャップリン とは

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コメント

  1. うらら

    他の価値観と触れ合える環境だからこそ、比較が生まれて優劣をつけてしまう。一方で、「価値観が異なる」というのは割り切りの理由としても使える。

    天災や犯人不定の犯罪でさえも、「特定の誰か」のせいにしないと人は耐えられないらしい。ある意味それは許容を得るための犠牲とも言える。

    私たちは「納得」するための理由を常に探していて、それは視点によって異なるので他者と一致することはない。
    だから自分の中で自分だけの納得を作りだすことが必要で、それが生きる理由だとしても幸せなのかな。とも思う

    • 青木コーチ

      「許容を得るための犠牲。」
      この言葉が印象に残りました。

      自分の中に納得感を作るためなら平気で嘘もつけるし、事実も捻じ曲げてしまう。
      心の弱さと肯定する強さ。

      とても考えさせられました。

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