次世代継承学

【第49話】生死の境界線を子どもにどう伝えるべきか。

「今死ぬのは勿体無いと思いますよ。ある時、ふと気づいてしまいまして、
私がこのまま死んだら、彼から学んだ勇気や意志や友情や、大切な思い出まで、この世からなくなってしまうのではないかと。あなたの中にも大切な思い出があるとすれば、死ぬのは勿体無いと思います。」

山田鐘人『葬送のフリーレン』には、死について考えさせられるセリフがあります。

「人生の終わりを考えることで、何が本当に大切かを見極めることができる。」
死を意識することで、日常の些細なことに感謝するようになるという意見があります。
人は自分の死を常に意識し、それを忘れることなく生きるべきだと。
人生の価値や意味を深く考え、より充実した生活を送ることができるのだと。

「現在の瞬間を大切に生きることが、最も価値のある生き方だと思う。」
一方、死を考えることは、生きることの楽しさを奪ってしまうという意見があります。
人は死を過度に意識することなく、現在の瞬間を大切に生きるべきだと。
人々の心に不安や恐怖をもたらし、生きる喜びを奪う可能性があるのだと。

人は死を意識すべきか、それとも忘れて生きるべきか?
あなたはどう思いますか?

終活という言葉があります。
高齢化社会が進む中で、死や人生の終焉についての議論が増えてきました。
一方で、現代社会は瞬時に情報が流れるため、日常の忙しさに追われて死を意識する余裕がないという人も多いです。

古代ローマでは、「メメント・モリ(死を想え)」という言葉が広く用いられました。
これは、自分の死を常に思い起こすことで、高慢や堕落に陥らずに節度ある生活を送ろうとする教訓でした。

また中世ヨーロッパでは、フランスの作曲家カミーユ・サン=サーンスによる「死の舞踏」という芸術が流行しました。
これは、あらゆる階層や年齢の人々が骸骨姿で踊りながら、「今日は私で明日はおまえ」「墓の中ではみな同じ骸骨の山」といった言葉で死の身近さを強調しました。

しかし、死を常に意識することは、死に対する執着や恐怖が強くなりすぎて、人生に陰鬱さや苦しみが増していくものです。

例えば、仏教では、「無明(むみょう)」という概念があります。
これは、自分の死や苦しみを避けたいという無知や妄想が、人間を「輪廻」という苦しみの連鎖に縛り付ける原因だとする考え方です。
仏教では、この無明を断ち切ることで、「涅槃(ねはん)」という苦しみから解放された境地に達することができるとされます。

古代ギリシャの詩人ホラティウスの詩には、「その日を摘め」という言葉があります。
これは、自分の死は予測できないし、死後の世界もわからないのだから、現在の瞬間を楽しみ、人生を謳歌せよという意味です。

中世インドでは、「バクティ(献身)」という宗教的な態度が流行しました。
これは、自分の死や輪廻は神の意志によって決まるのだから、神への愛と信頼を持ち、神に献身することで、人生に満足しようとする態度でした。

しかし、死を忘れることは、死に対する準備や覚悟ができなくなり、人生に無責任さや浅薄さが増していくものです。

例えば、キリスト教では、「罪」という概念があります。
これは、自分の死や神の審判を忘れて、欲望や快楽に溺れることが、人間を「地獄」という永遠の苦しみに落とす原因だという考え方です。
キリスト教では、この罪を悔い改めることで、「天国」という永遠の幸福に至ることができるとされます。

過去から脈々と歴史を積み上げてきた人類。
それは、つまり、数多の屍の上に私たちは生かされているということです。

では、テクノロジーが老いと死を遠ざけることは、私たちにどのような意味を与えるのでしょうか。
あなたはどう思いますか?

歴史的に、飢饉や黒死病が猛威を振るった時代には、死が日常的に身近に迫るものであり、人々は死を常に意識して生きていました。
しかし、近代以降、医学の進歩や生活の安定により、死は遠い存在となり、人々の意識から遠ざかっていったと言われています。

「死を積極的に語り合い、自分の死について考えるべきだ。」
20世紀に、death awareness movement(死の意識運動)が起こりました。
それは、医療技術の発達や高齢化社会の到来により、死が遠ざかることによる警鐘を鳴らす運動です。

「過去の経験や先入観といった雑念に囚われずに、現実をあるがままに知覚すべし。」
現在では、mindfulness(マインドフルネス)が注目されています。
これは、自分の死や未来に対する不安や恐怖を捨てて、現在の感覚や感情に集中し、人生に平和や幸福を見出そうとするものです。

「死を意識することと、現在の瞬間を大切に生きることは、相反しないのではないか。」
人は死を意識しつつ、その中で現在の瞬間を大切に生きることができる。
折衷案でいけば、そのような理想を掲げることが出来ます。

しかし、それをどうやって肝に銘じるかが問題です。
メタバースにより、無限にも思われる時間に囚われていく人類。
そして身体の機械化と思考の人工生成、意識の保存。

生死の境界線を越えていくテクノロジーに対して、次世代の子どもたちに命の重さと尊さをどう伝えていくべきなのか。
あなたなら、どう伝えていきますか?


※葬送のフリーレン とは ※これからの生き方と働き方 ※「死」とは何かについてより深く知りたい

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コメント

  1. KN

    実は僕は小さい頃から目の前からくる人が包丁を持ってるのではないかと思っています。笑

    これは今でもそう思ってしまいます。

    そういうトラウマや過去があったわけではないのですが、根本がビビリですし、死ぬのが怖いからそう思ってるのかな?と思っています。

    しかし、それに対して怖いという感情は確かにありますが、それが何かに影響するほどではありません。

    本記事でも書いてありましたが、僕の思想は古代ギリシャの詩人ホラティウスの詩に記載があるとされている「その日を摘め」そのものです。

    そう思い出したのもおそらくビジネスを始めた18歳あたりからだと思います。

    その背景には本やいろんな人の話を聞いたり、成功者と言われる人のマインドセットを叩き込んでいたからかなと思っています。

    僕の好きな言葉に「一日一生」という言葉があります。

    人生なんて生まれた時から砂時計が傾けられているので、どうせカウントダウンなら今を楽しまないと損だと思っています。

    だから僕は嬉しいことや幸せなことは周りに誰がいようとも口に出して生活しています。

    口に出さないと体で幸せは感じれませんし、何も生産性(今日という日の目次、テーマ)がなければ一日一生でないからです。

    本記事の中で「死を考えることは、生きることの楽しさを奪ってしまう」という意見がありますが、そういう過度にマイナスに働いたことがなかったので、そういう人もいるんだって思いました笑

    あと、古代ローマでは、「メメント・モリ(死を想え)」という言葉が広く用いられたとありますが、

    別に死を常に思い起こすことで、高慢や堕落には直結しなさそうだなって思います。

    僕が高慢や堕落に陥る時ってどんな時だろうって考えたら”悔しい”時かなと思います。

    同い年で自分よりすごいと客観的に僕が捉えた人がいた場合、プライドが高いので負けたくないと高慢になります。

    それと同時に時間が立つと虚無感に襲われるし、少しマイナスな感情になることがあります。

    でもそう言った感情がモチベーションとなって生きる原動力になるので、全てはプラスへの過程でしかないなとは思います笑

    • 青木コーチ

      コメントありがとうございます!

      「感情がモチベーションとなって生きる原動力になる」
      この言葉が印象に残りました。

      取り乱す姿はダサい。
      最近、このような風潮が世の中で主流になって来ているなと感じています。

      冷製で口数少なく、感情はなるべく出さずいつも爽やかな笑顔をする人。
      そんな人が憧れの人間像になって来ているのではないかと。

      どんなスタンスでも良いと思います、それを貫ける強さを持ってさえいれば。

      問題はそれがフラフラと定まらないこと。
      過去との向き合い方が上手な人ほど、自分のスタイルに自信を持っています。
      過去を否定しがちな人ほど、振り返る怖さが首尾一貫しない日和見な自分を作り上げていきます。

      「大人ぶって、カッコつけてさ言いたいことも言えないなんて絶対イヤだ! そんなんじゃ何も変えられない! オレ……この青さは失くさない。」
      ファイナルファンタジー10で語られたセリフです。
      生きるために前を向くこと、楽しむために素直に受け止めること。
      青臭いですが、とてもカッコいいと感じました。

      貫かれたスタイルは、やがて洗練されて、自然と周囲の人を巻き込み始めます。
      一日一生、とても素敵な考え方だと思いました。

      生産性ある毎日は、洗練されたライフスタイルから生まれるのかもしれない。
      そんなことを考えさせられました。

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