次世代継承学

【第57話】若者の社会離脱をどうやって防ぎますか?

「中国の若者の間で、専業子どもが増えている。家の手伝いや親の世話などの仕事をして、親からお金を貰って生活しているそうだ。」
格差問題について警鐘を鳴らすライターとお話をしていた際に、働かない若者について考えさせられる言葉を頂きました。

「競争社会での過酷な労働環境から逃れ、家族との絆を深めることは、精神的な健康や家族の絆を重視する観点からは正当化される。」
伝統的なキャリアパスに固執しない新しい生き方を模索する若者の選択を尊重すべきだという意見があります。
996勤務体制などの過酷な労働環境は避けるべきなのだと。

「若者は社会に貢献するためのスキルや経験を積むべきであり、家に籠もって親の世話をすることはそれを避ける行動と見なされる。」
一方、専業子どもとして生活することは、社会的な責任から逃れる若者の逃避行動だという意見があります。
長期的には社会の発展を阻害する可能性があると。

”専業子ども”は、社会的進歩として受け入れられるべきか。
それとも若者の逃避行動として批判されるべきか。
あなたはどう思いますか?

中国では、一般的に高学歴や高収入などの社会的地位が重視される傾向があり、それに満たない仕事は軽視されています。
そんな風土の中で高齢化が進み、介護や家事などの家庭内労働が増加し始めました。
すると当然ながら、家庭内労働は無償で行われることが多く、社会的に評価されません。

しかも一人っ子政策の影響で、若者は親から多大な期待や投資を受けて育てられています。
そのためか、親に恩返しする義務感や親孝行する価値観を持つことが多いです。

「午前9時から午後9時まで、週6日働きなさい。」
中国には996勤務体制があり、労働者の権利を侵害するものとして批判されています。

また、2019年時点で、中国の都市部の失業率は5.3%に達しています。
これは過去10年で最も高い数字です。

つまり、自分の興味や適性に関係なく、世間から認められるキャリアを目指す重圧が心の限界値を越えてしまったということです。
その結果が専業子どもだと考えられます。

「1日16時間労働を強いられて燃え尽き症候群に陥った。」
専業子どもとして働くことで、自分のペースで生活できてストレスが緩和されたという声があります。
そして、家族の時間を大切にすることで関係性が良くなったという声があります。

精神的な健康や家族の絆を重視したい。
しかしその主張は、個人主義や家族主義の価値観に偏っており、社会的な連帯や共同体の価値観を疎かにしていきます。

つまり、自分自身の感情や欲求に従って生きることも必要ですが、社会に対する貢献や参加も必要だということです。

「もしあなたが親の立場なら、自分の貯蓄を家事手伝いと称して子どもに与え続けることを許容できるだろうか。」
親の稼ぎが止まれば子どもの生活も成り立たなくなる。
社会の連帯が途切れた時に貧困はやってきます。

つまり、これは、貧困の連鎖を助長する問題と考えることも出来るでしょう。

では、ここであなたと一緒に考えていきたいことがあります。
「若者の社会離脱はどうやって防ぐべきなのか。」
あなたはどう思いますか?

日本では、高度経済成長期からバブル期にかけて、若者は安定した就職先や高収入を求めて社会に参加することが一般的でした。
しかし、バブル崩壊後から失われた30年と呼ばれる時代に入ると、若者は就職難や低賃金に直面し、社会から孤立することが多くなりました。

その結果、ニート(Not in Education, Employment or Training)や「引きこもり」が社会問題として注目され始めます。
中国の専業子ども問題は、日本におけるニート出現と似たような背景や要因を持っていることが伺えるでしょう。

若者の社会離脱は、個人や家族だけでなく社会全体にも影響を及ぼし、国の損失と捉えることも出来ます。

「デフレスパイラルは誰かの善意から始まっている。」
顧客離れを恐れて企業努力と称した価格維持を狙う企業。
価格が上がらなければ賃金待遇も変わらない。
賃金待遇が上がらず労働環境も劣悪なまま変わらない。

では、労働環境を是正すれば解決するのでしょうか。
しかし、それでも働く意欲や理由が見出だせないことを理由に変わらない可能性があります。

「じゃあ、どこまで妥協すれば労働者は進んで働くんだよ!?」
もう、誰にも正解が見えないのです。
もはや、正解を定義すること自体が批判の対象になってしまうのですから。

あなたなら、社会離脱を防ぐために若者たちに何が出来ますか?


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コメント

  1. AYA

    私は自分の子供は「専業子ども」になってほしくないと思います。
    なぜなら社会と関わった方が味わえる感情のバリエーションが多く、幸せだと思うからです。社会では辛いこともあるけど、人と関係値を作る楽しさ、幸せは社会の中にいないと味わえません。ずっと家にいて暮らすことは不幸ではないが、幸せの幅が狭くなると思うので精神衛生的によくないことと考えます。
    また、専業子供が増えると(中国はまだ大丈夫かもしれないけど)男女の出会いが減るので少子化にも繋がります。

    ではどうしたらいいか?
    単純な考えかもしれないですけど社会の中の辛いことを少し減らすことが大事だと思います。働きすぎない、とか友達やパートナーを作る、とか、満員電車を減らすとか。交友関係を持つにも、そのための時間的な余裕が必要なので、働きすぎないということが1番重要だと思います。AIなどの技術をうまく使って人がやらなくて良いことは省き、それ以外の仕事を人がやる、リモート仕事にできれば出勤途中の移動の辛さもありませんし、技術をうまく使えば、もうすこし社会の中の嫌なことを減らせるのではないかと思います。

    仕事があるからこそ休日は楽しく、休日があるからこそ仕事も活発にできる、という心のバランスが整うのが理想的だと思います。
    美味しいものを食べて美味しいと感じる、綺麗な風景を見て綺麗と思う、人と話をして楽しいと思う、などありふれている少し幸せなことを、ちゃんと幸せと捉えられる心の余裕があれば、専業子どもや引きこもりが少し減るのではないかと思います。

    心の余裕は、お金や健康、良好な人間関係など色々な要素が揃う必要がありますが、その中でも「時間」はみんながもっと望めば、他に比べて手に入りやすいのかも?と思います。

    • 青木コーチ

      コメントありがとうございます!

      「仕事があるからこそ休日は楽しく、休日があるからこそ仕事も活発にできる。」
      特にこの言葉が印象に残りました。

      働きすぎてノイローゼになったり、うつ病になってしまう人が注目を集めています。
      専業子どもというのも、社会が劣悪だから「仕方ない結果だよね」という視点で語られる側面もあると思います。

      しかし、ここで見逃されているのは「自由過ぎる人の苦悩」です。

      「労働と自由の両輪が回るからこそ、幸せと捉えられる心の余裕が生まれる。」
      そう考えると、幸せと捉える心の余裕は、働きすぎもですが、自由過ぎる時にも奪われていくということです。

      もしかしたら、専業子どもには専業子どもとしての自由ゆえの苦しみが存在しているのかもしれない。
      フリーランスや自営業が増えていく日本においても、それに親しい事例は増えていくでしょう。

      例えば、実は大学生の中でも不完全燃焼で自由を持て余して苦しい思いを抱えている人がいるかもしれません。
      自由との距離感について考える必要があるのではないか。
      そんなことを考えさせられました!

  2. なべ

    自分には今子供がいますが自分が稼がないと子供も稼げない、生活が成り立たないは読んでいてすごく嫌だなと感じた。

    よく両親が自営業をしている人に会いますがそういった人の共通点として何となく嫌になったり挫折したら両親の所へ帰れる、そこで働いたら何とか食っていけるといった状況化がありそれが昔は羨ましいとも思ったしいいなとも思った。ただそれがこの話を読むと成長意欲や焦りや危機感のようなものを無くし社会離脱を助長しているのかとも感じた。
    なので、結論として自分は専業子どもに自分の子供もなって欲しくないしそのような子が増えたら今後の社会が崩壊すると思うが、言葉では何となく分かっているがじゃあどうしたら社会離脱を防げるか、、

    これは答えかどうかわからないですが自分だけ良ければいいやという自己利益ばかり考えてる人は心が寂しいしそういった人ほど自分の事を自分が認めてあげられてなく他者からの承認でしか自分を認めることしか出来ないのかなと。
    なので自分自身を1番に認めてあげる文化、承認できる文化を作ることが出来たら精神的な健康は究極満たされ続けると思うし社会離脱をする若者は減るんではないかなと思う。

    • 青木コーチ

      コメントありがとうございます!

      「他者からの承認でしか自分を認めることしか出来ない」
      この言葉が印象に残りました。

      お互いを承認できる文化。
      例えば、挨拶はなぜ基本行動として必要なのでしょうか。
      考えてみれば、どこの組織やコミュニティ、人が介在するどこでも重要視されています。

      「あなたの存在がここにいることを証明する手段。それが挨拶だ。」
      挨拶とは、他人を承認する手段だという意見があります。
      承認をするというと、褒めたり感謝を伝えたりとハードルの高い行動が目に浮かびます。

      しかし、実は存在価値を承認するためにやっているのだと考えれば、より手段は広範になっていくのかなと。
      とするならば、存在価値に付加価値を付ける行為とは何か。
      それが善き称賛の定義に繋がるのかなと。

      人の粗を探すことよりも、人の善き所に気付くこと。
      そして気付いたものを受け継ぎ、誰かに還元する。
      それがまた誰かに気付いてもらうきっかけになる。

      その循環が承認の文化なのかなと。
      そんなことを考えさせられました。

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