「大学で教育が成されなくなったその歪みが企業に来ている。企業はいつから教育機関になったのか。組織で成果を出す場所なのに、組織に馴染めない人のフォローに追われている。」
地方で建設事業をされている経営者とお話をした際に、社員教育について考えさせられる言葉を頂きました。
「成果が出ない社員は、給料を下げたり、最終的には退職勧奨すべきである。」
企業の生産性と効率を最優先すべきという意見があります。
企業は学校ではなく、育成は目的ではなく手段であると。
そして、成果を出すことが管理職の仕事であり、それができない社員はチームから外すべきなのだと。
「社員のモチベーションが低い場合、その原因を探り、改善するための仕組みを考えるべきである。」
社員の成長と企業の長期的な成功を重視するべきという意見があります。
社員のモチベーションを高めるための仕組みや関わり方を考え、育成に重点を置くべきだと。
そして、仕事の有意味感、全体感、重要性、自律性、フィードバックを重視することで、社員のモチベーションが維持され成果を高められるのだと。
成果が出ない社員は切るべきか、それとも底上げするべきか。
あなたならどうしますか?
「180のチームに対して200以上の要因を調査した結果、分かったことがある。全体は部分の総和に勝るのだ。」
プロジェクト・アリストテレス。
それは、2018年にGoogleから発表された、チームパフォーマンスを分析した調査報告です。
その結果、チームパフォーマンスに最も影響を与えるのは、個々のスキルや知識ではありませんでした。
その要素とは、チームの心理的安全性と呼ばれる要素でした。
「安心して失敗出来る環境こそが、チームを最も輝かせる。」
心理的安全性とは、チームメンバーが自分の意見や感情を自由に表現できる環境のことです。
これが高いと、チームの創造性や協働性が高まるのだと述べられました。
また、心理的安全性が高い組織やチームは「離職率が低い」「収益性の高い仕事をする」「他者のアイデアを活用できる」「効果的に働くと評価されることが増える」といった特徴が挙げられています。
「シリコンバレー史上最も重要な文書。」
Netflixは、カルチャーデック(Culture Deck)という、企業の姿勢や文化をまとめた文書を公開しています。
それは、5 つのキーワード(Transformation、Integrity、Collaboration、Humor、Results)をベースに構成されたものです。
そこでは、社員に対して高い自律性と責任感を求めるとともに、高いパフォーマンスと適合性を評価するという方針が記されています。
また、社員に対して、仕事の有意味感や重要性を感じられるように、ビジョンやミッション、戦略などを共有し、フィードバックやコーチングを積極的に行うという姿勢を示しています。
しかし、社員の底上げには多大な労力が必要です。
能力や知能を向上させるために、適切な目標設定や評価方法が必要であり、それらを管理することは、管理職にとって負担やストレスとなるでしょう。
また、社員の育成に時間やコストをかけることは、短期的には成果に反映されない場合があります。
すると、経営者や株主からの理解や支持が得られない場合があり、組織の存続や発展が危ぶまれる危険性もあります。
「たとえ、中長期的には社員のモチベーションや健康を損ない、組織の信頼や持続性を低下させる可能性があることが分かっていたとしても。」
市場と株主は、短期的に成果に反映される取り組みを推奨しがちです。
それは、つまり、外部の意向を汲み取り、時には短期的に組織の利益や競争力を高めることを優先せざるを得ない日が来るということです。
「カルロス・ゴーンは、自らの成果を最優先にし、社員の育成や組織の健全性を軽視していたと言われている。」
2019年に発覚した日産自動車の前会長カルロス・ゴーン氏の不正事件。
ゴーン氏は、自身の高額報酬を隠すために、会社の資産を私的に流用したり、自身の関係者を重役に任命したりするなどの不正行為を行ったとされます。
しかし、それは、初めから起こそうとして起きた事件だったのでしょうか。
もしかしたらその背景には、株主至上主義があるのかもしれません。
ではここで一緒に考えて頂きたいことがあります。
「成果と育成の両立を推進するためにはどうすればよいのでしょうか。」
あなたはどう思いますか?
成果と育成の両立を推進するために、私はステークホルダーすべてが納得感ある未来予想図を共有すべきだと考えています。
納得感を得るためには、説得力が必要です。
それは、一時的ではなく、関係者が中長期的に繁栄を享受出来ると信じられるような何かです。
私は、それが中庸な姿勢に宿る信頼感だと考えています。
「人間の幸福とは、人間の本質に応じた活動である。人間の本質とは、理性を持つ動物であるということである。したがって、人間の幸福とは、理性を用いて善い行動を行うことである。善い行動とは、中庸である。」
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、中庸を見極めるには、理性を用いて判断することが必要だと提唱しました。
その哲学を用いれば、成果と育成の両立は、一定の基準やルールに従うのではなく、個々の状況に応じて、理性的に判断することが必要なのだと。
そもそも中庸とは、過不足のない適切な中間の状態を示したものです。
そして中庸は、人によって、場によって、時によって異なります。
それは、例えば、経営者や株主の要求や期待に応えるとともに、社員のニーズや価値観を尊重することかもしれません。
その上で、社員の能力や知能の現状と目標を明確にし、適切な目標設定や評価方法を採用することかもしれません。
「日本は世界の経済大国としての地位を確立したが、同時に、公害や労働問題などの社会的な問題も発生させてしまった。」
1950年代から1960年代にかけての日本の高度経済成長期。
日本は、第二次世界大戦の敗戦からの復興を目指し、経済成長を最優先にしました。
しかしその結果、日本は、成果と育成のバランスを見失い過度な成果志向に陥りました。
1980年代から1990年代にかけての米国のIT産業の発展期。
米国は、インターネットやパソコンなどの革新的な技術を生み出し、世界のIT産業のリーダーとなりました。
その背景には、IT企業が、社員の育成やモチベーションを重視し、自律性や創造性を高める組織文化を築いたことがあります。
つまり米国とは、成果と育成のバランスをとり、育成志向に基づいて成果を出したと言えるでしょう。
「首尾一貫した中庸な目線、気配り、提案。」
もちろん、中庸な判断を下すだけではただの八方美人です。
それらが叶う時、そこに信頼感が醸成されるのかなと。
そんなことを考えさせられました。
あなたは、成果と育成の両立するためにどうしていくべきだと思いますか?
※グーグル流「最少の人数」で「最大の成果」を生み出す方法 ※モンテーニュ 中庸の教え ※武士道の奥義 葉隠の原典「直茂公御壁書」
物事には意図があり、背景には意図が隠されている。
背景を知ることが敬意に繋がる一歩目だと考えています。
パーパスブームと共に、組織の発展と自己実現の両立のためには組織の存在意義と個人の目標のすり合わせが必要とされるようになりました。
個人的には、それはそう。と思いつつ、ちょっとした違和感も感じるんですよね。
企業が体のいい言葉を並べ始めたなと。
それと同時にそれに反する個人は倫理観を疑われるため、表面上で同意する。
形式的な採用活動、就職活動をする限り、中庸って難しいのでは?と考えてしまいます。
わざわざすり合わせしなくとも、自然と出会う。
それが私なりの「中庸」という言葉の理解であり願望です。
コメントありがとうございます。
「背景を知ることが敬意に繋がる一歩目。」
この言葉が印象に残りました。
様式美や儀式がお飾りになっていく。
形骸化という側面もあり、そもそも様式「美」に至らない側面もあるなと思います。
それはなぜかというと、ここで言う様式美とは企業と個人がいて成立するからです。
企業の高尚な存在意義に対して、言い方は失礼ですが個人が持つ俗物な目標を合わせようとすること自体が難しいなと。
逆に、企業もブームに乗る気持ちで作った商材に一致しない理念だと、個人を腐らせてしまうなと。
改めて、中庸の難しさを感じさせられました。
社内育成を効率化するために、成長できる社員を採用するというところから目指せばいいのではないかと思いました。
いい人材が入りたいと思う企業になる必要があります。
そう考えると、社員の生活や人生をも一緒に考えてくれるような温かい会社が選ばれるのではないかと思いました。
仕事をする上での信頼は欠かせないことです。
関係性を作ろうとしているのか、利益だけ求めているのかは、一社員でも感じ取れることだと思います。
愛を持って接すれば、全員でなくとも愛を持ってくれる人が出ると思います。
いつもコメントありがとうございます!
「いい人材が入りたいと思う企業になる必要があります。」
この言葉が印象に残りました。
面接官は、一緒に働きたいと思える応募者を探す仕事と言われることがあります。
確かにそれは大事だなと思う反面、気になることがあります。
「この面接官がいる会社で働いてみたい!」
それは、応募者にとってもそう思えるような状態を作れているかという自問です。
選ぶ側と選ばれる側で立場は違えど、考えていることは表裏一体です。
年齢や実績に関わらず、お互いに良い関係を築くことが大切だなと。
そんなことを考えさせられました。