「個人の将来に対して真剣に考えることをしない社会になったと思います。動かしてお金を得る仕組みが悪いのか、無責任な仲介が儲かる仕組みが悪いのか。いずれにせよ、未成年に対する保護が無いのは悪い予感しかしませんね。」
メディアリテラシーについて研究されている方とお話をした際に、未成年者の自由について考えさせられました。
「未成年の女子高生が下着の企業案件を受けて下着姿(ブラとショーツのみ)で配信したところ、一発退学になった。」
この事件について、メーカーの責任、配信者の責任、教育的な問題、社会的な性的搾取など、様々な側面からの懸念が指摘されています。
その中でも、大きく2つの側面に分けて考えることが出来ます。
それは、未成年者の自己表現の自由はどのように解釈されるべきかというものです。
「未成年者の自己表現の自由は、特段の理由がない限り、制限されるべきではない!」
この観点では、未成年者は成人とは異なる発達段階にあるという事実は考慮せずに、表現の自由の権利を平等に享受するべきであると考えられています。
配信者側と視聴者側、企業と個人、ステークホルダー間で仲良くやっているならそれで良いのではないかと。
つまり、自己責任論は万人に通ずるものであり、社会的責任や保護という名目で、過度に制限されるべきではないというものです。
言い換えれば、未成年でアダルトな配信をしようが学校に自ら行かない小学生がいようがそれは個人の自由と責任であり、その家族が禍福を受ければよいと。
当事者でもない第三者がわざわざ首を突っ込む必要は無いのだと。
「未成年者の自己表現の自由は、社会的責任や保護との調和を図るべきだ。」
こちらの観点では、未成年者は、自分の思想や意見、価値観などを自由に表現する権利を有する一方で、未成年者の安全や健康、他人の権利や感情、社会の安全や秩序などに配慮するべきだと。
つまり、自己責任論の基準は同じ国民として揃えるべきであり、民度や節度の基準が揃わなければ社会全体がアノミーに陥りその他国民全員に悪影響を及ぼすというものです。
言い換えれば、公序良俗の観念を授けられない家族の下にいる未成年者が不憫であり、見知らぬ人間たちの馬鹿騒ぎに対して適切な視線を投げ掛けたり関与することが持続可能な社会に必要なのではないかと。
わざわざ首を突っ込むのはお節介ではなく、これからの未来を作る若者たちと真剣に議論を交わすためなのだと。
「今が良ければ何でもいい、自分に悪影響が出なければ気にしない。」
我々に自己責任論が根付いて以降、このようなスタンスをスタンダードとする人間が増えているような気がしています。
しかし、合理性の誤謬という言葉があるように、個人個人が最適と判断した身の振り方が社会に大きな影響を与えていきます。
私は、現代人は可視化出来るものについては思考が得意になりましたが、不可視のものに対しては極端に盲目になっているのではないかと考えています。
バタフライエフェクトは目に見えない。
つまり、見えぬものに気を配れない人間が増えた社会は破滅するのだと。
「(目先1年の)今が良ければ何でもいい、自分に悪影響が(見える範囲で)出なければ気にしない。」
類似で言えば、人に迷惑を掛けなければ何をしてもいいと言いますが、目に見えない迷惑はどう捉えればよいのでしょうか。
我々はこの状態をどうすれば克服できるのでしょうか。
ということで、本日は未成年者と公序良俗というテーマで考えていきたいと思います。
未成年者の自己表現の自由は推進すべきか、それとも社会で保護するべきなのか。
あなたならどちらを支持しますか?
■「大人に都合の良い自己責任論を押し付けるな。」
- 意見1: 表現の自由は個人の基本的権利であり、年齢に関わらず保証されるべきだ。
- 意見2: インターネットは自己表現の場として重要であり、未成年者もその恩恵を享受すべきだ。
- 意見3: クリエイティブな活動を通じて、若者が自己肯定感を高め、才能を発揮できる機会を提供すべきだ。
■「品性が感じられない、弁えなさい。」
- 意見1: 未成年者は判断能力が未熟であり、社会的な保護が必要である。
- 意見2: 表現の自由は他者の権利や公序良俗を侵害しない範囲で行われるべきである。
- 意見3: 企業や教育機関は、未成年者を不適切な影響から守るための責任がある。
■未成年者の自己表現の自由
- 目的: 個人の創造性と自由な表現の権利を促進する。
- 建前: すべての人には自由に表現する権利がある。
- 本音: 表現の自由を通じて自己実現を図りたい。
- 信条: 表現の自由は個人の成長に不可欠な要素である。
■社会的責任と保護
- 目的: 未成年者を社会的、心理的リスクから守る。
- 建前: 社会全体で未成年者を保護する責任がある。
- 本音: 過激な自己表現による負の影響を恐れている。
- 信条: 保護と指導を通じて、安全な成長環境を提供すること。
では、ここで一緒に考えて頂きたいことがあります。
「未成年者の自己表現の自由と社会的責任の境界はどこにあるのか?」
あなたはどう思いますか?
■乖離を埋めるためのきっかけ
■未来を担うべき主体
教育機関: 教育の場においてデジタルリテラシーや倫理教育を強化する責任がある。
保護者: 子どものオンライン活動を適切に監視し、ガイドする役割を担う。
ソーシャルメディアプラットフォーム: 安全な表現の場を提供し、不適切なコンテンツから未成年者を保護する責任がある。
政府・規制機関: 未成年者の保護と自己表現の自由のバランスを取るための法律・規制を設定する。
非政府組織(NGO): 未成年者の権利保護と自己表現支援のための啓蒙活動や支援サービスを提供する。
あなたなら、どんな理想の状態を想像しますか?
■理想と現実の間
自己表現の自由強化
- 理想: 未成年者が自由に表現できる社会は、創造性と自己実現の機会を増やす。
- 現実: センシティブな内容への露出やネガティブな反応が問題となることがある。
- 対処法: デジタルリテラシーの教育を強化し、安全な表現の場を提供する。
社会的保護の最適化
- 理想: 未成年者が安全に成長できる社会は、保護と自由のバランスが取れている。
- 現実: 過保護が自己表現の機会を奪うことがある。
- 対処法: 未成年者の声を聞き、適切な保護策を定める。
ステークホルダー間の協力強化
- 理想: すべてのステークホルダーが協力することで、未成年者の表現の自由と安全が保障される。
- 現実: 各ステークホルダー間での意見の食い違いが存在する。
- 対処法: 各ステークホルダー間での対話と協力のプラットフォームを構築する。
そしてあなたは、どうやって理想と現実の間を克服していきますか?
この記事へのコメントはありません。