事例分析

【CASE23】ヘルススコアから考える依存症の未来

今回は、「ヘルススコア」の観点から、「依存症」の未来について考察していきます。


問題提起

ポカリスエットでお馴染みの大塚製薬株式会社が、Vivosens Inc.(ビボセンス社)が開発した栄養モニタリングサービス「Vivoo(ビブー)」の日本展開を開始します。
それは、尿をかけたストリップ(試験紙)を専用アプリで読み取り、人工知能と画像処理技術により自身の栄養状態をその場で測定。
そして、その測定結果に合わせて管理栄養士が監修した食や生活習慣のアドバイスを提供するサービスです。

ちなみにビボセンス社はヘルステック先進国である米国で生まれ、本サービスは2020年にリリース。
今では100カ国以上のユーザーに使われ、世界中の人々の健康に貢献していると言います。

このように、現代社会における健康管理の進化は、私たちに新たな機会を与えています。
特に、テクノロジーの進歩により個人の健康データが正確に把握されるようになったことは、私たちの生活を豊かにして長寿社会の実現を加速させています。

しかしその一方で、健康管理が内側(自己認識)から、外側(モニタリングシステム)に依存する時代が到来しつつあることが想起させられます。

この「身体の余所事化」(造語)とも呼べる現象が進行する潮流は、未来の私たちにどのような影響を与えていくのでしょうか。


背景考察

「いずれ健康管理という概念は、私たちの手を離れたものになっていくでしょう。」
かつて健康管理は、自己管理や家庭内でのケア、さらには個々の医師による診断が中心でした。
しかし、現在ではウェアラブルデバイスや健康アプリによって、私たちの毎日の活動や食生活、睡眠の質までもがデータ化され、リアルタイムで追跡される時代になりました。

例えば、『ポケモンスリープ』や『ドラクエウォーク』といったゲームアプリにも、睡眠の質がユーザーに恩恵をもたらすような設計が施されています。

では、この進化の最前線には何があるのでしょうか。
いくつかのシナリオがある中でも、ナノテクノロジー(ナノテク)が幅を利かせていく可能性が考えられます。
ナノテクとは、物質をナノメートルの領域、すなわち原子や分子のスケールにおいて自在に制御する技術のことです。

それにより、例えばナノテクデバイスが私たちの身体の内部まで入り込み、微細なセンサーが絶え間なく健康状態をモニタリングすることが可能になると。

この技術がもたらす最大の利点は「予防医療の飛躍的な進歩」です。
つまり、病気が進行する前にその兆候を捉えて、早期介入が可能になるということです。

例えば将来的には、ナノセンサーが体内に設置されて、血圧や血糖値、ホルモンバランスなどの変化を微細に察知し、私たちに健康の「アラート」を送ってくれると。
それはまるでスマホのバッテリー管理のように、適切なタイミングで「ケア」(充電)が必要な場面を知らせてくれます。

「未来の健康管理は、裏を返せば自己認識の喪失を意味しているのではないだろうか?」
ナノテクによる健康管理。
つまり、それは、自分の身体状態を感じ取ることなくテクノロジーがその判断を行うということです。

言い換えればそれは、自分自身の健康が無意識化していくという危険性を孕んでいると言えるでしょう。
またそれは、アナログな身体がデータとアルゴリズムに変換されて、いずれ消耗品として交換可能なものへと変わり果てていく未来が想起できます。

「健康であることが、逆に人間を縛る時代が来るのかも知れない。」
ここで興味深いのは、健康管理の進化が必ずしも人々の幸福や自由に直結しないという逆説です。

現在の個人の健康管理はアプリに情報を入力することで成立しています。
そして、集積されたデータを外部と連携させてヘルススコアとして可視化しています。
例えば『あすけん』というアプリが、毎日の食事から健康度合いをスコア化して、『ポケモンスリープ』と連動しているように。

ユーザーからすれば、1つの健康アプリから様々な派生で自分の将来に繋がる今の健康状態が把握出来るため、手軽で重宝するサービスと言えるでしょう。
その意味では、自由と選択が両立された素晴らしいものだと考えられます。

では、将来的にナノテクセンサーを用いた健康管理が進み、テクノロジーが自主的に健康を管理・評価・制御する時代が訪れた時に何が起きるのか。
その時、私たちはその仕組みから逃れられなくなる可能性があるでしょう。
なぜなら、「無自覚に健康が制御されていく」からです。

また、無自覚な健康制御は大量のデータに基づくため、ヘルススコアの質は向上されて外部デバイスとの連動性も更に上がるでしょう。

すると何が起きるのか。

そう、ヘルススコアはいずれ、トータルスコアに進化していくと考えることが出来ます。
それは、雇用先や社会的信用にも影響を与えるスコアリングに進化を遂げていくということです。

スコアリングシステムと言うと、中国の事例のように金融的な信用スコアを想起してしまいますが、実は始点はそこでは無いかもしれないのです。
つまり、スマートウォッチなどのウェアラブルデバイスが始点になる可能性があるということです。

「テクノロジーが普及すればするほど、私たちは知覚が鈍感になり、無自覚になっていく。」
私たちは、ナノテクノロジーやAIによる健康モニタリングによって、健康状態を自分で管理しなくてもよくなるという利便性を享受する一方。
その自由が「管理される自由」へと変貌していくことに気付かない。

言い換えれば、健康管理の利便性が増せば増すほど、実は同時に不自由さを招いてしまうと。
それは、あまりに高度な技術が普及すると、我々はその対象に対して無意識になっていくという「利便性の束縛」(造語)とでもいう現象を意味しています。

これは、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが述べた「監視社会」に通じるテーマです。
つまり、監視(管理)の無い手放しの自由は逆に不自由さを招くと。
適度な監視をすることで、人々は自己の行動や思考を制限(節制)し、最終的にはその監視の枠組みの中で「自分は自由に行動している!」と錯覚するようになるのだと。

しかしその先には、身体的な自由が失われ、健康状態が社会的制約として私たちを縛る時代が想起されます。

「健康スコアが一定の基準に達しない者は採用しない。」
例えば、ある会社が採用基準にヘルススコアを導入することは、物議を醸すものの合理的な判断かもしれません。
なぜなら、活力ある人間が意気揚々と前向きに、時間に追われるのではなく時間を追い掛ける風土を醸成出来る可能性があるからです。

それは、強豪野球部には必ずムードメーカーがいて、多少の失敗にもめげずに団結して前に進む強固な組織作りが実現出来ている様子と似ています。

しかし、先天的と後天的とに関わらず、健康状態の悪化1つで社会的機会を奪われる個人にとっては大きな問題です。
例えばトータルスコアと考えれば、健康状態が原因で保険料やローンの金利が変動する事態も想定されます。

次いで言えば、「デジタル管理依存症」(造語)もまた深刻な問題です。
それは、特定の健康アプリやデバイスに過度に依存し、現実の生活から切り離されてしまうことで、精神的な健康が脅かされる事態が起きるという現象です。
つまり、テクノロジーが提供する健康データに依存するあまり、自分自身の健康状態を判断できなくなるというリスクを示唆しています。

未来社会における健康管理の進化は、確かに多くのメリットをもたらすでしょう。
しかし、それと同時に、私たちはその進化がもたらすリスクにも目を向けなければなりません。
ナノテクデバイス及び、外部モニタリングシステムに依存することで、自己認識や自由意志が消失していく社会が到来する可能性は否定できません。

健康とは、単に身体的な状態を保つことではなく、自己の存在や自由と密接に結びついたものであるべきだなと。
私たちは「自己管理」と「他者管理」のバランスを見直し、テクノロジーに依存しすぎることなく、自分自身の健康と自由を守るための道を探るべきだなと。

「私たちの健康は、果たして誰のものになるのか。」
そんなことを考えさせられました。


結論

関連記事

コメント

  1. 星屑のかけら

    人間は技術の進歩に伴い退化している。
    そんな言葉を記事を読みながら思い出しました。

    ・パソコンの普及に伴い、漢字を書けなくなった。
    ・グーグルマップなど現在地のわかる地図の登場で、地図を読めない人が増加した。
    技術の進歩によって、人がそれまで当たり前にしていたことができなくなることは往々にしてあります。

    数値化ができるようになることで、数のみを信頼し、自らの感覚を信頼しない社会。
    数値は嘘をつきませんが、数値を扱う人間は嘘をつきます。
    とても営業をしやすく、騙しやすい社会になるのでしょうか。
    それとも、全てか数値化された結果、合理的で取りこぼしのない住みやすい社会になるのでしょうか。

    自らの直観を信じきれず、数値に頼る。
    そんな社会になったときには、結婚という人生のパートナーを選ぶときにすら、”その人を見ずに、その人の数値を見る”ようになってしまっているのでしょうね。
    とても明瞭で、とてもつまらない社会に感じてしまいます。(感情的な主観ですが(笑))

  2. 古澤 泰明

    依存と聞いて思い浮かぶのがスマホ依存
    今回の記事で登場しているアプリや健康管理の仕組みもスマホと連動させ、とにかく依存させる。依存させるのが一番儲かる。
    私達はスマホ漬けにされていないか?
    中毒になっていないか?
    そう意識して対策を考えないとスマホ廃人になってしまうのでは?と考えました

  3. 近藤

    昔だと実際に自動車やエレベーターなど移動を助ける技術を多用すると共に足腰が弱りやすくなるなど技術の進歩による人間の退化は顕著だったが、AIの普及は身体機能というより認知や認識という機能を失わせるので非常に便利な反面怖いというのが率直な感想です。

    逆に現代では当たり前の体験が非常に珍しいものになるので、あえて五感に刺激を与えそれを感じとる体験会やその他のリアルに体験をする機会がより貴重になるのかなと思う。

CAPTCHA