次世代継承学

【第78話】社会関係資本が生まれる社会とは?

「日本は結婚観の多様化が進んだ結果、結婚しない若者が増えたのかもしれない。これは、個人の自由を尊重し過ぎたことで招いた悪夢だよ。」
地域創生のコミュニティを運営している方とお話をした際に、幸福とは何かについて考えさせられる言葉を頂きました。

「結婚は社会の安定に必要不可欠。離婚の増加は伝統的な家族の価値を脅かす。」
結婚は個人の幸福を超えた、社会的な責任と義務を伴うものだという意見があります。
結婚は家族の継続と社会の安定のための重要な要素なのだと。

そして、結婚とは家族を形成し、社会の基本単位を維持するためにひつようなのだと。

「個々人の幸福を最優先に考えるべき。多様な家族形態の受容は新しい社会の形成に貢献する。」
一方で、個人の選択と自己実現が重視されるべきで、結婚や離婚も個人の意志に基づくべきだという意見があります。
結婚や離婚は、あくまで個人の選択であり、自由に決定すべきだと。

そして、多様な家族形態の受容は、個人の幸福と社会の進歩に寄与するのだと。

「結婚は親の決めた相手との縁組や、家同士の結びつきや利益を重視するものであり、離婚は家族や親族の恥や不幸を招くもの。」
例えば、日本の歴史では、江戸時代には親の決めたお見合い結婚が一般的でした。
離婚は夫の一方的な切り捨てや妻の不貞などの理由でしか認められませんでした。

標準家族。
戦後の高度経済成長期に、夫が働いて収入を得て、妻は専業主婦として家事や子育てをするという社会のモデルが形成されました。
そして、離婚は家庭の不和や子どもの非行の原因とされました。

しかしそれは、個人の自由や幸福を制限し、家族や社会の圧力や偏見に苦しむという事態を招きました。

親の決めた相手との結婚や、夫の暴力や浮気に耐える妻。
個人の不満や不幸が蓄積した結果、家族内の暴力や虐待、自殺などの問題は社会問題になりました。

「結婚は個人の恋愛や幸福を追求するものであり、離婚は個人の自己実現や成長のためのものと考えられる。」
例えば、欧米の社会では、結婚は個人の自由意思に基づく契約であり、夫婦別姓や同性婚などの多様な形態が認められています。
また、離婚は個人の権利であり、夫婦の合意がなくても一方的に離婚ができる「無責離婚法」が制定されたこともあります。

しかし、個人の自由と幸福を尊重し過ぎることで、家族や社会の責任や義務を放棄し、絆や支えを失うこともあります。
例えば、DV(家庭内暴力)やネグレクト(育児放棄)。
それは、個人の都合を優先した結果、他者に危害を与えることに繋がったと考えることが出来るでしょう。

国力を維持するためには結婚は奨励したいけど、個人の自由や幸福に子どもが最良かと問われればそうは言い切れない。
だとすれば、社会は誰がどうやって維持すべきなのでしょうか。

その答えをまだ私たちは見つけられていません。

「日本は少子化や高齢化を迎え、そして人々の間にある連帯感が薄れ始めている。」
アメリカの政治学者ロバート・パットナム氏は、社会関係資本(Social Capital)を提唱しました。
それは、人と人の関係性を資本として捉える考え方です。

信頼、規範、ネットワーク。
社会関係資本を持つことで、個人や組織は他の人々と信頼関係を築き、協力することができます。
また、ネットワークを通じて他の人々と繋がることで、情報やリソースを共有しやすくなり、組織やコミュニティの連携を強化することができます。

パットナムは、著書『哲学する民主主義』において、イタリアの北部と南部の違いを取り上げています。
北イタリアでは政治・経済活動や文化芸術活動が大いに盛んで一人当たりの所得も多く、逆に南イタリアでは停滞していると。

北は、南と比較して、市民個人の社会・政治・経済への参画意識が強かった。
例えば、投票率、各自のサークル参加率、ボランティア活動の参加率、各種の組合活動が高い。
住んでいる場所だけでなく、地域を超えた人とのつながりが多いという特徴がありました。

一方で、南では伝統的に、自分の町や狭いコミュニティの中での緊密なつながりはあるけれど、そこを離れたつながりや参加意識が薄い。

「この違いはどこから来るのだろうか?」
それが、人々の間に境界線を超えた緩やかな紐帯ネットワークがあるかどうかにあるのだと。
市民活動ネットワークの密度が濃く、地域コミュニティ内外での活動への参加が盛んな地域ほど、市民のあいだに相互の信頼関係があり、政治経済のパフォーマンスが高いのだと。

社会関係資本とは何か。
つまり、それは、信頼感や規範意識、ネットワークなど社会組織のうち集合活動を可能にし、社会全体の効率性を高めるもの。
彼はそのように結論付けています。

「結婚と離婚に関する対立は、伝統的な価値観と現代的な個人主義の間の価値観の変化に起因しているのではないか。」
では、個人の変化が先か、それとも社会の変化が先なのか。
そのように考えてみると、実は社会の変化が個人を変質させたと考えることが出来るのではないでしょうか。

コミュニティには、2種類の分け方があると言われています。
1つは、結束型(垂直型、もしくはたこつぼ型)のコミュニティ。
もう一つは、接合型(水平型、もしくは橋渡し型)です。

南イタリアは、マフィアが根付き、上意下達の封建的風土が強いという特徴がありました。
そこでは、町ごとの連帯意識は強いけれど、参加やネットワーク意識が希薄で、よそ者を受け入れないと。
つまり、それは、同質同士ががっちりと集まる結束型と言えるでしょう。

そして北イタリアは、異なる背景を持つ人達が水平横断的に接触範囲を広げることが出来る、接合型のコミュニティだったと言われています。

つまり、社会関係資本は水平横断的な接合型コミュニティに宿るのだということです。

日本社会は、水平横断的になったかと思いきや実はまだまだ結束型コミュニティの域を越えられていないのかもしれない。
或いは、そもそも垂直型と水平型の分け方自体に議論の余地があって、実は第三の型があるのかもしれない。
そんなことを考えさせられました。

「眼の前の人を大切に出来ない人が、どうして社会に貢献できると思えるのだろうか?」
伝統的な家族観を選んでも、現代的な個人主義を選んでも。
目の前にいる誰かを大切に出来ないという現象が起きています。

私たちは、何か根本的なものを見失い続けているのかもしれません。
そんなことを考えさせられました。


※30カ国以上のデータが示す「結婚神話」の真実と「新しい生き方」 ※損する結婚 儲かる離婚 ※哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造

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コメント

  1. AYA

    「君たちはどう生きるか」と言う今年の映画の中では、戦争時代、お母さんが亡くなってお父さんがお母さんの妹と結婚する。と言うところから物語が始まりました。
    正直嫌悪感がありましたが調べてみると昔は日本でも日本以外でもごく普通のことだったみたいですね。
    一家の財産を存続するために同じ家系の人と結婚すると言うことが今とは全く違う価値観だと思いました。

    今は結婚やパートナーに対する理想が高すぎるんだと思います。
    お見合い結婚は「この人そんなに嫌じゃないかも」くらいの感覚で結婚してたと思いますし。
    永遠の恋も愛もないので、それは自ら作り出すしかないんだと聞いたことがあります。
    今の自分の環境でも幸せを見出せることが必要なのかと。

    多くの人が属してるコミュニティは家族と会社だと思います。私は会社でいうと、似たようなテンションで生きている人が集まっている感じがします。
    仕事に対する熱量が同じだったり、もし熱量が落ち込んだとしたら他の人がまた持ち上げてくれたり、1人では生きられないからこそおんなじ雰囲気の人たちが集まるのかなと。(大企業になるほどバラバラかもしれませんが)

    居心地がいいと思うのは、感覚が同じということよりは求めているものが共通していることだと思います。
    そこに居続けるためには他者への理解や思いやりは不可欠だと思います。

    • 青木コーチ

      いつもコメントありがとうございます!

      「居心地がいいと思うのは、感覚が同じということよりは求めているものが共通していること。」
      この言葉が印象に残りました。

      なぜ企業にパーパス・ビジョン・ミッション・バリューが必要と言われているのか。
      その理由を考えさせられます。

      すべての会社に必ず4項目の定義が必要かと言われればそんなことはありません。
      しかし、そこで働く人々が同じ想いを持つことで得られる効果を求めるのであれば必要です。

      例えば、休日にクレーム連絡が来た時。
      ある人は休日対応をして、ある人は対応手段と手順だけ考えて対応はしない、ある人は全く対応しない。
      会社・事業部・課でどの方針を貫くのかが共有されていなければ温度差で揉めることになります。

      何を目指して働いているのか。
      同じ職場で働くメンバーで一致している組織は、意思決定の速さと方向性を誤らないメリットを享受出来るなと。

      そんなことを考えさせられました。

  2. 齋藤良介

    私は祖父の反対で結婚ができませんでした。祖父に反対された彼女とは、私の家族に隠しながら、21年同棲しています。また彼女が付き合って2年目に心臓の手術を受け、子供を産むなら、母体を取るか、子供を取るかの選択という状況だったので、子供は諦めています。

    上記がまず私の環境です。

    上記の環境から、私の考えが一般的考えではないと思っています。何が一般的な考え方、価値観かは不明です。

    私は2000年〜2004年まで北米に赴任していました。いずれアメリカに似た現代的な個人主義の時代が日本にやってくるのではないかと考えたのが2002年のことです。やはり自分の予想の時代が来たと思っています。

    どこに住んでいようが、情報交換・情報の収集が容易く手に入る環境下において、今のこの時代の流れを遡ることはないでしょう。また、第一次ベビーブーム、第二次ベビーブームの世代が老後を迎えた時に、初めて日本の社会的繋がりが確立されていくと考えています。

    また、愛のある、思いやりのある「徒弟制度」が、人とのつながり、信頼や規範を確立できると考えています。近年では、落語家さんの師匠の選び方はSNSで「この師匠は優しい」「この師匠は厳しい」と情報を得てから師匠選びをするそうです。厳しい教えが、愛ある教えと取るか、はなから優しさの情報を得て、師匠選びをするか。

    血縁関係のない徒弟制度は、赤の他人と親子・兄弟となります。徒弟制度は、結束型に当てはまるけれども、日本人の民族的真面目さは、時間と情報化が進み、第三型をいずれ産むであろうと考えます。

    私は人と人の対面からコミュニティーを産むようにして、現在務めています。

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