次世代継承学

【第77話】大学とは、由来を辿る力を養う場所。

「私立大学の定員割れ問題が、大学を就職斡旋組織、就職予備校にしていく。就職に有利な大学だけが生き残ることが出来る。学問を教えている場合じゃないのかもしれない。」
ある大学教授とお話をしている際に、大学の在り方について考えさせられる言葉を頂きました。

「大学は学問の深化と研究の場であり、質の高い教育を提供することが最優先されるべきだ。」
伝統的な教育方針の維持するべきだという意見があります。
大学は伝統的な教育方針を維持し、学問の質を保つべきなのだと。

「社会の変化に対応し、より実践的なスキルや新しい分野の教育を取り入れることが重要だ。」
柔軟な教育改革を推進するべきだという意見があります。
大学は時代の変化に合わせて教育内容を柔軟に改革し、多様な学生のニーズに応えるべきなのだと。

大学は収容定員によって3つに分けられます。
➀小規模校「4,000人未満」
➁中規模校「4,000人以上~8,000人未満」
➂大規模校「8,000人以上」

「大学は、選ばなければ誰でも入れる場所になった。」
日本の私立大学は、近年、定員割れの問題に直面しています。
河合塾のデータによれば、2022年度の私立大学の入学定員割れ率は47.5%でした。
これは1999年度の調査開始以降で最も多く、全国の私立大学598校中284校が定員割れとなりました。

そして、2023年度の私立大学の入学定員割れ率は53.3%で、調査開始以降初めて5割を超えました。
数で言えば、320校が定員割れとなっています。

「テストの点数で足切りしてしまうと、大学の運営が成り立たなくなる。」
詳細を見ると、中規模大、大規模大では定員充足率が100%を超えたものの、収容定員4,000人未満の小規模大では95.5%と下降。
中規模大、大規模大では入学者数は増加したが、入学者数に比べ合格者数の増加率の高さが目立ったとされています。

つまり、大学運営を考えると多少の点数誤差には目を瞑ってでも入れるしか無い状態ということです。

特に、地方や女子大学を中心に定員割れが深刻化しており、今後も学生不足が予想されます。
文部科学省の推計によると、2040~2050年度には全国の大学入学者が現在の約63万5,000人から約50万人へと減少する見込みです。

このような状況下で、私立大学はどのように対応すべきなのでしょうか。

「大学は、学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することが本質だ。」
その活動を十全に保障するため、伝統的に一定の自主性・自律性が承認されていることが基本的な特質だと。
このような大学における教育の課程の修了に係る知識・能力の証明として授与されるものが学位であると。

「学問の質を保つことに努めようとする大学の教育方法は、講義だけでなく、演習や実験、ゼミナールなどを多用し、学生の主体的な学習を促す。」
卒業論文や修士論文、博士論文などを通じて、自らの研究テーマを探求し、学問の最前線に挑戦することを奨励します。
つまり、大学は学問を追求する場として在り続けるべきだと捉えています。

「学生は、学問の追求よりも卒業後の進路に興味がある。つまり、学説ではなく、事例を求めているのだ。」
しかし、近年では、大学には社会の変化やニーズに適切に対応した教育研究活動を行うことが求められるようにもなっています。
それは、言ってしまえば、就職に有利になるような後押しをすることが求められているということです。

学生が求めるものは何か。
時流に乗った事例解説、高難易度資格の勉強法、ITプログラムスキル、教授ならではの独自コネクション。
教授や先生が教えたい情報ではなく、教授というステータスから連想される就活に生きる特殊な情報が求められています。

「学生の就職先をサポートすることが、大学運営を安定させるために必要なことだ。」
楽をしたい学生が欲しい物が手に入らない大学は就職率が落ちる。
就職率が落ちれば、入学希望者数が減る。
定員割れは大学の運営を難しくする。

「大学教授は、社会人経験が乏しい頭でっかちばかりだ。」
中規模・小規模大学になればなるほど、このように考える学生が増えているのが昨今の現実です。

「人生100年時代において、一度の教育で終わるのではなく、生涯にわたって学び続けることが大切だ。」
そんな教授の声は届きません。
高学歴を手に出来なかった学生は、今この瞬間を乗り切ることに必死です。
進路さえ安定すれば、それが大学4年間で最大の成果だったと考えることでしょう。

「大学は、学問の自主性や自律性を失い、社会の圧力や利害に従うことになるだろう。」
この先、定員割れを防ごうとする大学は学問の質や伝統を犠牲にする可能性が高いです。
それは、つまり、大学の教育内容や方法が流行や需要に左右されるということです。

その結果、学生は、学問の基礎や原理を理解することができなくなり、表面的な知識やスキルしか身につけることができなくなるでしょう。

就活はお見合いと言う人もいれば、学生と企業の嘘を付き合う場と言う人もいます。
だからこそ、面接は時の運なのだと。
吉が出来るか、凶が出るかは採用してみるまで分からないのだと。

「嘘を嘘と見抜けない人は扱えない。」
面接、人と人が見合う場において、たった60分で目の前の人の力量を測ることは簡単じゃありません。

しかし、私がこれまでご支援した学生はほとんど納得の行く就活を送りました。
そして、企業のほとんどが納得の行く学生及び中途を採用して離職率と生産性に貢献出来ている状態を生み出しています。

私が人の力量を測る時に見るポイントは何か。

「由来を辿れるかどうか。」
それが、これです。

「自分の発言と行為の由来を辿れるように準備しておきなさい。」
私は、学生にそう助言しています。

「自身の発言や行為の由来を辿れているかどうかをチェックしてください。」
ご支援する企業にも助言しています。

由来を辿るというのは、バイトやサークルのリーダーとしての実績よりも、その価値について問うということです。
その意図は、「誰がその価値を決めるのか?」を抑えた上で、「その価値をどう提供したのか?」が聞きたいということです。

インターンでマーケティングを学んだことを評価するのではありません。

そのマーケティングはそもそもなぜ必要になったのか、誰がどのような経緯で提唱したのかが辿れるかということです。
そして、だからそれが御社で活かしたいという提案に繋がっているかどうかを見極めるということです。

そこまで抑えた学生は学歴を問わず取るべきです。
なぜなら、由来を辿れる人材は因果関係を見極めた提案が出来る人材に成長しやすいからです。
それは、言い換えれば「入った後に伸びる人材」です。

学生には、その価値が分からない面接官がいる場所に就職しても、将来が大変なので逆に見極めるように伝えています。

「アメリカ陸軍の面接官は経験値豊富なエースを据えている。見極める力に期待しているからだ。」
とはいえ、企業文化や風土もありますので私の答えが正解かというとそんなことはありません。
状況によって答えは変わりますし、変な押しつけや強要は文化を壊すので危険です。

しかし、どの企業にも共通して言えることは、なるべくその企業に在籍する最高の人材を面接に置くことはおすすめだと思います。

「学生は、大学で、由来を辿るための力を養うべき。」
改めて、大学の教育の目的とは何かという問いには、様々な答えがあるのだと考えさせられます。

大学の教育の目的は、人間の本質や存在意義を探求し、人間の幸福や社会の正義を追求することであるべきという声があります。
学問を通じて人間の理性を磨き、善や美や真を求めることが人間の最高の善なのだと。

それは、古代ギリシャの哲学者たちが提唱した考えの延長にあるものです。
この答えに従えば、大学の教育は、社会の変化やニーズに左右されることなく、普遍的な価値や真理を探究することに専念すべきです。

別の答えとしては、大学の教育の目的は、人間の能力や才能を発揮し、人間の幸福や社会の発展に貢献することだという声があります。

学問を通じて人間の自由や平等や幸福を実現し、社会の改革や進歩を促進することが人間の目的なのだと。

これは、近代ヨーロッパの啓蒙思想家たちが提唱した考えの延長にあるものです。
この答えに従うと、大学の教育は、社会の変化やニーズに適応し、多様な価値や知識を取り入れることに努めるべきです。

いずれにせよ、やはり由来を辿れる力に集約されるのではないか。
そんなことを考えさせられました。


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コメント

  1. AYA

    大学は学生が探究心を深めるための場所であればいいのかなとも思いました。大学の4年間は、心は子どもから大人に近づいているけど社会にでて仕事をしなくてもいいという特別な期間です。
    どんな学問でもいいですが、自分が好きなものや興味があるものを見つけること、なぜそれに惹かれるのか自分自身のことを考えること、それを探求しようとすることができるといいと思いました。

    それができるようになると、社会に出ても生活費のためだけに仕事をするのではなく、仕事についてもどんな影響があってどうしたらうまくできるか理解しようとしたりすると思います。仕事だけでなくても、何が自分の幸せかを探求できるかもしれません。
    学問は人の心を豊かにするためだと考えます。勉強しなくても生きていけますが、なぜするかというと、自分のためによりよく生きれるためだと思います。

    • 青木コーチ

      いつもありがとうございます!

      「大学は学生が探究心を深めるための場所であればいい。」
      この言葉が印象に残りました。

      「個性が並列化された時代において、個を取り戻すために必要なことは、好奇心だ。」
      神山健治『攻殻機動隊SAC』において、好奇心を持つことの重要性が語られています。

      でも、その好奇心を持つこと自体がとてつもなく難しいです。
      確立されてしまった世の中であればなおさらです。

      何を探しているのか分からない状態。
      実はそれは必ずしも悪くないことなのだなと。

      そんなことを考えさせられました。

  2. 齋藤良介

    私が学生時代の背景は、ネット社会が始まったばかりの1990年代後半でした。生徒数も多かったですし、入試の倍率も高かったです。定員割れしている大学はほぼなかったと思います。

    ブログを読んで思うことは、私が住む飯田橋には、法政大学と理科大学があります。2つの大学は年々校舎の数を増やしています。なので定員割れしている背景がこのブログを読んで知りました。

    私の場合、大学の授業で2つの授業が生かされています。「経営学総論」と「消費者行動論」です。魅力ある授業でした。大学で学んだ「金のなる木」という表現を今でも使用します。簿記には興味ありましたが、苦手でした。単位を取るよりも、授業を受けていて楽しいと感じていました。興味から始まる大学の授業の受講は苦ではありません。大学に入学する前に、高校生が大学で何を学び価値づけできるかを早い段階でわかる場所を大学が用意すべきではないでしょうか?

    社員採用の面接で、私が面接官をします。社長という立場を言わずに面接をします。あたかも自分は雇用側で、中途採用の身だと伝えます。私の面接スタイルはかなり一方的でした。このブログを読んで、次回から多少なりの変化をしようと思います。

    私の面接の経験上、面接は、ありきたりな質問とありきたりな回答ばかりと考えだったため、一方的に話し面接を行なっていました。そのため、価値基準について一度も聞いたことはありませんでした。次回から質問事項に入れたいと思います。

    まず私の基準として、天秤をかけずに、当社1本で面接をしにくる方に注力します。昨今単願で面接を受けに来る子は少ないです。だから余計に一本釣りができるようにしています。

    また時間では3時間の面接をします。2時間半はほぼ自分が話しています。話す内容は、会社の状況と条件の説明が大半です。それから、面接者に対して、仕事のやりがい=貢献度につながるかを聞きます。なので「価値ある仕事」まで落とし込んだことはありませんでした。次回の面接から今回のブログを参考にして、質問事項を増やしたいと考えています。

    • 青木コーチ

      コメントありがとうございます!

      「天秤をかけずに、当社1本で面接をしにくる方に注力します。」
      この言葉が印象に残りました。

      そもそも採用の母集団形成時点で一本に絞れるようなブランディングをされていることが素晴らしいと思わされました。
      多くの企業は営業が出来ないと言いますが、それは文字通りの意味ではありません。
      概ねそれは、営業先の母集団形成が出来ないというお話です。

      採用も同じで、良い人が取れないというのは、選択肢を増やせないこと。
      母集団形成が上手く行かないことがボトルネックになっているパターンがほとんどですから。

      「高校生が大学で何を学び価値づけできるかを早い段階でわかる場所を大学が用意すべきではないでしょうか?」
      頂いたコメントを見て、私もそう思いました。
      卒論が形式上の儀式レベルに落ちてしまうまでは、先輩や教授がその役割を担っていました。

      まるで、地域社会でちょっとお節介だけど世界観に刺激を与えてくれる隣人がいたように。

      「授業を受けていて楽しいと感じていました。」
      そう思える人が一人でも増えて、「探求することは素敵なことだ」という価値観が醸成されたならば。。。

      単願で面接される方の情熱というのは、そういう熱量が生まれる背景があってこそなのかなと。
      そんなことを考えさせられました。

  3. 星屑のかけら

    こんにちは。いつも楽しく拝読しています。
    最近はコメントを送る方が増えてきているようで、新着コメントがあるとその旨が分かるようなシステムがあると嬉しく思います。コーチの執筆されたブログとは視座の違う興味深い内容が多いのでお勉強できれば…と。

     今回のブログでは『大学において学ぶべきもの』として由来を辿るチカラがあるのではないか。という内容であったと捉えています。由来を辿るチカラを言い換えると、物事の発生起因など根幹を見定めるチカラであり、樹の枝葉を見て幹を推察するチカラなのだと思います。私自身がそのチカラが他者と比べてあるのかどうかは分かりません。ですが、よく出来事が起こった背景や理由に考えを巡らせることは多々あります。
    今回のブログを拝読して、上記の考えをする頻度が変わったタイミングがいくつかあると自身の経験を思い返しました。2つありますが、1つは幼少期で、理系の両親からよく『なんでそうなったんだと思う?』や『〇〇になるからこれはしないほうがいいよ』と教わることは理由ベースだった気がします。もう一つは(やはり)大学で、高校生とは比べ物にならない数の事例や学術に触れることで自然と『なぜこの著者はこのように考えるようになったのか』などを目の前にある学術のその背景についても考える頻度が増えました。
    社会人になってからも樹の枝葉を見て幹を推察する考えは働いています。

     さて、私は”樹の枝葉を見て幹を推察するチカラ”を環境をきっかけに得たと感じていますが、仮に教授などから一方的に伝授されていたら。恐らく、その教授と関わらなくなったら、もしかしたら数時間の講義が終わり次第に、頭から抜け、以前と何ら変わらない思考を続けていたような気がします。
    『他人からプレゼントされたものはすぐ忘れ、自力で得たものしか大切にできない』ような気がします。
    『人は失ってからようやく大切なものに気づく』というのも似た言葉かもしれません。

     私も人事領域に関わっていますが、『樹の枝葉を見て幹を推察するチカラ』がある人はどれだけ若くともあるし、逆に『樹の枝葉を見て幹を推察するチカラ』が無い人は何歳になってもないように感じています。
     私は大学などを通じて考えるきっかけを得られたと思いますが、どのように『樹の枝葉を見て幹を推察するチカラ』は身に着けられるのでしょうね。
     また、大学はそういったかけがえのないチカラを得られる、得るきっかけを与えてくれる学びの場であり続けてほしいものです。

    • 青木コーチ

      いつもコメントありがとうございます!

      「他人からプレゼントされたものはすぐ忘れ、自力で得たものしか大切にできない。」
      この言葉が印象に残りました。

      「学生を導く立場として教員免許を義務付けるべきなのではないか、もしくは社会人経験を必須要件にしてはどうか。」
      教授は教えを授ける立場ですが、学生と接する上で経験値が足りていないと。
      以前、そんな議論があったことを思い出しました。

      「余白を残し、余白に価値を持たせて、方向性だけをサジェストすること。」
      その難しさは、教育に携わった方であれば誰もが感じるところかと思います。

      それは言い換えれば、同じ目線で同じ方向を見るというアクションです。
      目線の先に、何かがあることを伝えること。
      それが本当に難しい。

      記事に投稿してくださる皆様のコメントを頼りに、私も日々探させて頂いています。
      ちなみに、新着コメントについてはスマホ版だけ暫定で設置してみますね。
      ※記事の下に一覧が出ます

      貴重なご意見頂き、ありがとうございます。

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