次世代継承学

【第27話】希望は、信用で紡がれてきた。

「可愛さのあまり我が子をしつけできない親は、悪人を育てるようなもの。」
桜井政博『星のカービィ』には、愛情について考えさせられるセリフがあります。

親の愛情は子どもの成長にとって必要不可欠です。
しかし過度な愛情は子どもの将来に悪影響を及ぼす可能性があるかもしれません。

愛情のさじ加減はどこにあるのでしょうか。
あなたはどう思いますか?

「愛情をたっぷりと注ぐことで、子供は自分が大切にされていると感じ、自尊心が育まれる。過保護になることを恐れるあまり、子供を放置するのは避けるべきだと思う。」
子どもに対する愛情は無限であり、それによって子どもは安心感を得て成長することができるという意見があります。
愛情を制限することで、子どもが安全で愛されていると感じる機会を奪う可能性があると。

つまり、愛情不足は子どもの自尊心や自己効力感の育成を妨げる可能性があるということです。

「我が子を甘やかすことは、将来的にはその子供のためにならない。自分の子供が困難な状況に直面したとき、自分で解決する能力を持っているかどうかが大切だと思う。」
一方で、過度な愛情は子どもの自立心を奪い、社会に出たときに困難に直面する可能性が高まるという意見があります。
過度な愛情は、子どもが他者との関係性や社会のルールを学ぶ機会を奪う可能性があると。

つまり、愛情過多は子どもが困難や失敗から学ぶ機会を減少させ、適応能力や問題解決能力の育成を妨げる可能性があるということです。

愛情とは何か。
そして愛情の適切な量や質とは何か。
あなたはどう考えますか?

「過保護な環境で育った子どもは、社会に出たときに自分の意見を持たず、他者に影響されやすい傾向がある。」
近年、子供の犯罪率や非行が増加しています。
これについて一部の専門家は、親の過保護や愛情過多に起因すると指摘します。

しかしその指摘をより具体的に言うならば。
それは、人からの影響を解釈する力が無い者は犯罪や非行に染まる可能性があるのだと。

愛情とは、動物が狩りの仕方を子に伝えるように、社会を生きる力を授けることだと言いたいのかもしれません。
言い換えれば、目的もなくその場に都合に合わせてアメとムチを振りまくことは愛情とは言えないのだと。

「この町では、自分の事は自分で、みんなの事はみんなでやるという決まりがあるんだ。子供だからって遊んでばかりはいられないんだよ。」
伸び伸びと育てる教育が注目を集めています。
やりたいことはやらせて、やりたくないことはやらせない。
その意思を尊重して、ストレスを与えずにその子らしさを大切にする。

しかし、自分以外の人間と出会えば集団の利益を考えなければいけない時が来ます。
各自の意思を損なわないストレスフリーな決定が常に実現出来るほど、集団は甘くないです。

個人の損得を重視する人よりも、集団の利益と貢献に目を向けられる人の方が社会は渡りやすい。
だとすれば、愛情は生き抜く知恵を授けるものと言えるでしょう。

「友達の友達は友達でしょ?」
しかしながら、集団で協調性を発揮するためには信頼と信用が必要です。
そのためには、まず自分が誰かから安心感を覚える経験が無いと人を信用することは難しい。

つまり、親が子に贈る最初の贈与は愛だということです。

その贈与に気付け無かった子どもは、人を信用して何かを贈与するという概念の土台が形成されません。
その意味で、愛情の目的は、人間という同種は悪いやつではないという感覚を覚えることなのかもしれません。

「社会に出たとき、自分の意見を持ち、他者と協力しながら生きていく力を身につけること。」
端的に言えば、愛情の目的は生き方を教えることです。

しかしながら、効率と合理を中心とした現代社会の思想は生き方が定まらない大人を量産してしまった。

「年長者を敬いなさい。」
年の功を尊敬するという訓戒が忘れられたという意見があります。
では、何がそうさせているのでしょうか。

年の功を敬うためには、そもそも信用が必要です。
それは、年長者は必ずそれを獲得しているだろうという期待値です。

それが、“語れるものと誇れるもの”です。

つまり、語れるものと誇れるものがない大人たちが量産された結果、年長者の信頼は損なわれたということです。

「希望は信用で紡がれる。」
私たち大人が信用回復に務めることが、次世代の日本に希望を伝えることに繋がるのではないか。
そんなことを考えさせられました。

あなたは、子どもたちに何を語り残していきたいですか?


※アニメ版 星のカービィ とは ※テイルズ オブ デスティニー2 とは ※贈与論についてより深く知りたい

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コメント

  1. うらら

    どうやって愛情を注ぐかを考えた時に、言葉で伝えたり、行動で伝えたりすることを思い浮かべますが、
    愛情を注ぎ続けた人、受け取った人の話を思い返すと、愛情は背中で伝わるものかもしれないなと思いました。

    あの人なら何と言うか、どういう行動をするか、その場にいない人を思い浮かべることがありますが、
    それが理性の元となり、利己的な行動に歯止めをかけ、社会で生きる術となっている。

    信用があれば言葉を介さなくとも近くにいなくとも、存在を感じられるようになるのかなと。
    その存在に共通することは言葉と行動の一貫性です。

    となれば、誠実な生き方をしていることが愛情を注いでいることになるのかもしれませんね。
    案外、アニメや映画からも愛情をもらうことができるのかもしれません。

    • 青木コーチ

      「その存在に共通することは言葉と行動の一貫性です。」
      この言葉が印象に残りました。

      愛情を注ぐとは、存在を身近に感じられるようになること。
      その定義にとても考えさせられました。

      改めて、伝え方や接し方に一貫性を持つことの難しさも感じますね。

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