次世代継承学

【第67話】自分が望むものと周囲の期待がズレる理由。

「転職斡旋者は、苦しかったら逃げてもいいという逃げ道に対して背中を押すことが秘訣と言うけれども、それは無責任なんじゃないか?」
採用コンサルをされている方とお話をした際に、社会のレールについて考えさせられる言葉を頂きました。

「逃げることのリスクを理解するべきで、困難状況であっても立ち向かう勇気を持つべきだ。」
一方、個人の選択が社会全体に影響を及ぼすという意見があります。
より慎重な選択が求められるべきだと。
社会的なレールから外れることは、個人の未来だけでなく、社会全体の秩序にも影響を及ぼすのだと。

「学歴や年収といった社会的価値観に縛られず、自分に合った生き方を見つけることが最も重要だ。」
個人が自己の幸福を追求する権利を重視するべきという意見があります。
レールから外れる選択を尊重すべきだと。
苦しい時に逃げることは、自己保存の本能であり、それを否定することは個人の自由を侵害するのだと。

社会には「レール」と呼ばれる、一般的な成功の道筋が存在していると言われています。
例えば、受験勉強をして偏差値の高い学歴を獲得として上場企業に務めること。

確実とは言いませんが、ある程度高い確率で権威と財産を獲得出来る方法。
それをレールと呼んでいます。

「社会のレールを外れても幸せになれるの?」
社会的なレールから外れても、自分の居場所や幸せを見つけることができる人は当然います。
例えば、ある調査によれば、ホームレスやニートと呼ばれる人たちの中には、自分の生き方に満足している人もいる結果があります。

「好きなことで、生きていく。」
そしてYoutuberという職業が飛躍的に認知度を挙げました。
自分の趣味や特技を生かして、インターネットやSNSを通じて収入を得たり、コミュニティを作ったりする人もいます。

例えば、世界を代表する芸術家ピカソ氏は、16歳で美術学校に入学したが、授業に出席せずに絵を描き続けたと言われています。

また小説家の村上春樹さんは、早稲田大学在学中にジャズバー経営していました。
しかし、29歳の時に作家の道を歩むことを決意して、バーを閉めました。
そして今では日本を代表する小説家として活躍されています。

「社会が安定するためには秩序が必要だ。」
レールとは、一定の成功に必要な基準を示すものとして捉えることが出来ます。
その意味では、秩序を生み出す基準として遵守される方が、社会全体の安定と安全に寄与しているとも考えられます。

特に日本は、勤勉や忠誠といった美徳が重んじられている国です。
元来、逃げることや諦めることは、臆病や卑怯とみなされることが多いです。

「子どもは国の宝である。」
また、世界的に共通するのは、最終的に家庭を持ち、家族や子孫を作ることが社会的な責任や役割として期待されるという点です。
それを果たさないことは、非難や孤立の対象となることが多いです。

「逃げることは恥ずかしいことじゃないよ。」
あえてレールを外れることを優しく諭す方々もいます。

しかし、逃げることはリスクを伴い、社会的な尊敬や安定した家庭生活を得ることが難しくなるという現実があります。

「自分で選択肢を選び、自分に約束をして、自分の力を信じて進むこと。」
自己責任論で言えば、誰が何を言おうとも、最終的に選択するのは当人です。
選んだ先に何があろうとも、何が起きようともそれは自分の責任です。

「アドバイスしたのに言うこときかないなら、もう何も言わないから!!」
しかし、助言する人には、それが分かっているからこそ、愛情を注いで接してくださる方もいます。
つまり、悪く言えば、愛情ゆえに相手をコントロールしたがる人がいます。

「自分が望むものと相手の期待。」
それは時折衝突します。

なぜこれが起きるのでしょうか。

「関わり、関係性を築いた時点で、人は一人(孤人)ではなくなる。」
私たちは、プロのコンサルタントに頼まない限り、助言を貰うことに費用は必要ないと考えてしまいます。

しかし私は、それを大きな錯覚だと考えています。
つまり、助言を貰う側と与える側には費用以外のものが授受されているということです。

「ただより高いものはない。」
それは信用や信頼、社会関係資本、或いは時間を消費している。
一般的にはそう解釈をされています。

つまり、与えたものと受け取ったものを「情報」と解釈する。
そして、与える側と受取る側は「金銭」か「信用」を取引材料にしていると解釈している。

私は、自分が望むものと相手の期待がズレる理由が、そこにあると考えています。

「私たちは社会関係資本や信頼と信用が大切だと言うけれども、その先にあるものが一致しない。」
社会関係資本が目指すもの、信頼と信用の集約先は何かと考えていくと、途端に多様性に濁されていきます。

これが大きな問題です。
神という統一規範の不在がもたらした結果です。
※詳細は書籍に記しています

私は、集約先は調和にあると考えています。
すなわち、助言をする側とされる側で授受されているもの。
それは、関係性が調和に至るための源泉です。

そもそも調和とは、相生と相克の関係が満たされた状態のことです。
その状態を生み出す源泉。
私はそれを「志向」と呼んでいます。

「社会的な連帯感という曖昧な感覚を司るもの。」
信頼と信用とは別次元にあり、見えない授受。
志向を体裁よく言えば、信向になります。

この概念をお互いに揃えない中で授受を行うと予期せぬ誤解とバタフライエフェクトが起き始めます。

「目的は的で一つ、目標は道で複数ある。」
自分の幸福と周囲の期待を両立するために必要なもの。
最終的な到達地点を知らせ合うこと。

プロのコンサルタントは成果という責任を負っています。
しかし、周囲の助言者は責任を負わないし負えません。

「他人事だからっていい加減なこと言ってはいけないよ。」
そう言われても、権威性や評判を考えると助言側も困ったものです。
そしていい加減なことを言って失敗したら自己責任とはいえ後味は悪いものです。

では助言はしない方が良いし、そもそも尋ねるべきではないのか。

そのために、志向(信向)という概念が必要なのではないか。
そんなことを考えさせられました。


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コメント

  1. 星屑のかけら

    こんにちは。毎日楽しく拝読させていただいています。
    自分の幸福と周囲の期待を両立する。この問題は、何をもって自身は幸福なのか、自分に対しての周囲の期待には何があるのか。の確認が両立を目指すには必須であると感じています。というのも、自身の幸福が本当は家庭の充実なのに自己成長であると勘違いをしていたら、周囲からの期待は成果を出すことなのに経験を積むことだと勘違いをしていたら。仮に両立しているつもりでも、間違った両立であり、それは自己満足であり両立していないことと何ら変わりません。

    今の私の場合、
    幸福は充足感を得る事であり、それは仕事における自己成長や成果を出すこと、私生活において生活が豊かになることや彼女(もしくは嫁)と円満であること等が構成する一例です。
    周囲からの期待というのは、仕事においては成果を出すことや成長をすること、私生活においては自立や次のライフステージに行くことなのかと考えられます。(間違っている可能性も十分にあります。)
    この程度の粒度で考えると私の幸福と周囲からの期待の両立ができているのかもしれません。
    ですが、もっと粒度を細かくすると…?

    他の方にとっての幸せは私にとっての幸せとは限りませんし、周囲からの期待もその周囲を誰と選定するのか(会社員ならば社長?上長?同僚?それとも親?妻?子?)によって大きく変わるかと思います。

    青木コーチの問いに問いを重ねてしまうことになりますが、
    『私達の幸せとはどのように定義され、周囲からの期待とはどのように感知すべき』なのでしょうね。

    • 青木コーチ

      コメントありがとうございます!

      「私達の幸せとはどのように定義され、周囲からの期待とはどのように感知すべきなのか?」
      考えさせられる言葉ですね。

      「人類の歴史上、初めて信頼と価値が何に由来するのかを問う時代が来ています。」
      最近面白かったのはビットコイン財団の会長、ブロックピアース氏のお話です。

      曰く、人間が自分の幸福を定義出来ていないのと同じように、価値もまた定義されていないのだと。

      どんなものにも固有の価値があるのかと言えば、ピアース氏はそうではないと考えています。
      価値とは、実用性があって初めて本質的な価値となり、また、そこに需要があって初めて経済的な価値になると。
      個人的に価値があると思い込んでいるものは、感傷的な価値であり、第三者には通用しない価値なのだと。

      価格とは、需要と供給で決まるものであり、だとするならば、純粋な信念の共有システムそのものが経済圏だということです。
      そこには純粋な信仰や信頼がある。

      「ビットコイン(仮想通貨)とは人類史上初めて、私たち人間自身が何を価値あるものと表現するかを選択できるようにするツールだ。」
      もしも価値が共通して信じることにより生まれるシステム、或いは共有基盤であるならば。
      私たちは、集団投票により価値を規定出来る時代を迎えたと考えている。

      そのようなことをピアース氏は仰っていました。

      「もしかしたら価値を幸福に置き換えても同じなのではないか?」
      そんなことを考えさせられました。

      • 星屑のかけら

        青木コーチいつも返信ありがとうございます。

        ビットコインは価値の決定を民衆に全て委ね、国などの思惑に左右されづらい(国がビットコインを購入しても、一個人が購入しても量は違えど1ユーザーとしては等しい)面白い例だと認識しています。貴金属の金も同様ですが、金とビットコインでは現実に存在するモノかどうかという点で大きく本質が異なり、返信コメントにある実用的な価値があるかどうかの点において全くの別物かと思います。
        さて、そんなビットコインを例に、集団投票によって価値が規定されるのであれば、『幸福は価値に置き換わり得る。』というのが青木コーチからの返信も旨だったと捉えています。

        返信を拝読し私が感じたのは、『だからこそインフルエンサーが流行ったのか。』ということです。
        共通にして”良い”と感じさせる投稿を行い、自身にファンを付ける。その結果としてインフルエンサーはチカラを持つようになり、業が成り立つ。現在のインフルエンサーの流れはそのようなものかと思います。
        多くの人が憧れ、良いなと感じるからこそインフルエンサーはインフルエンサーたるのであれば、インフルエンサーこそ集団投票によって規定された価値を体現した存在であるのかもしれません。

        では、インフルエンサーは皆当然に幸福なのでしょうか。

        子ができるなどライフステージが変わることによって価値観は大きく変わるといいます。もしかしたら、昨日の幸福は今日の幸福ではないのかもしれません。
        価値は数字という絶対値で表現できる(絶対値がゆえに比較しやすい)が、幸福とは感情と同様に個人の尺度で比較表現しかできない。つまりは万人に共通の絶対的な感情=幸福など定義できない。とも考えられる気がします。
        VUCAな時代の今、自分の軸を持つべきという意見も数多く見受けられます。果たして、幸福とはいったいなんなのでしょうか。

        • 青木コーチ

          ご返信ありがとうございます!

          「もしかしたら、昨日の幸福は今日の幸福ではないのかもしれません。」
          この言葉が印象に残りました。

          同じコミュニティにいる人々が「これが幸せだよね。」って確認するプロセスが幸福らしさを定義する。
          最大多数の最大幸福のように、幸福は集団投票によって決まっているのではないか。

          つまり、幸福とは関係性の中に見出されるものだということです。
          言い換えれば、比較が無ければ幸福は実感できないということです。
          もっと言えば、幸福とは「自分で自分を誇りに思えている状態」を指しているのだと思っています。

          「正しいことの白の中に俺はいる。」
          行動するための由来を辿れる状態が、軸を持っている状態と考えています。
          そして「進むべき道」が由来に沿っていると幸福に近付きます。

          なぜなら尺度を揃えた比較が可能になるからです。
          だから覚悟が定まります。

          「覚悟した者は幸福だ。」
          もしかしたらそういうことなのかもしれません。
          そんなことを考えさせられました。

  2. AYA

    私はレールに関係なく自分のやりたい事を進めるべきだと思います。
    なぜなら自分の人生なので決定権は自分にあるし、自分の仕事や生活は自由なものであるべきだと思うからです。社会的なレールに沿って欲しいと親から思われていても、私がやりたいことはこれだから!と突き通すタイプです。

    ただ、親や周囲とも関係性をよく保ちたいとも思います。
    そのためには他の人たちの納得感もある程度必要だと思います。自分はこんな考えを持っていて、こうなりたいから今こんなふうにしているんだ、と納得させられること。納得感を感じさせるには、その人に信念があってそれが世間的にいいものっぽいと感じさせられることが必要だと思います。

    その人たちに迷惑をかけるどころか関わることでいい影響を与えられればなお良いと思います。
    「自由と責任」とよく言いますが、それに似ていると思いました。

    • 青木コーチ

      コメントありがとうございます!

      「他の人たちの納得感もある程度必要だと思います。」
      こちらが印象に残りました。

      人間は関係性の間に生きるものです。
      だからこそ難しいことがありますよね。

      例えば、どんな学歴なのか、どんな仕事をしているのか。どんな恋人なのか。
      友人、親、取引先、知人。

      どんな人に自分がどう思われているのか、どう見られているのか。
      信念があって、世間的にも認められていること。

      これをクリアすれば納得感を持ってもらえるのだとしても。
      コントロール出来ない部分がもどかしさを生み出していきます。

      出会った人に良い影響を与えられるように。
      そのために何が出来るのかなと。
      改めて考えさせられました。

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