「レヴィ=ストロースは世界中の料理に共通する構造があると言いました。生もの・火にかけたもの・腐ったものという料理の三角形です。とっつきにくい話ですけど、食品が自然状態から文化的な存在へと変貌したと考えると何か意義深いですね。」
社会学を専攻されている方とお話した際に、食の在り方について考えさせられる言葉を頂きました。
「食品を塩漬けや燻製にすることで、腐敗を遅らせ食文化を豊かにすることが出来た。」
食品保存技術によって、人類が飢餓から救われたという意見があります。
そして多様な料理を生み出す基盤となったのだと。
「腐敗を通じて新たな生命が生まれるサイクルは触ってはいけない。在りのままを尊重すべきだ。」
一方、自然の流れを受け入れるべきだという意見があります。
腐敗もまた自然の一部であり、それを過度に防ぐことは自然のリズムを乱す行為なのだと。
文化的保存と自然の腐敗。
自然をコントロールすべきか、それとも自然のままにすべきか。
あなたはどちらに重きを置きますか?
食とは、人間が自然から生命を維持するために必要なエネルギーを得る手段です。
また同時に、人間が自然を加工し、文化を創造する過程でもあります。
そして、食は自然と文化の境界を曖昧にするものであり、その曖昧さが人間の多様性や創造性を生み出してきたとも言えるでしょう。
「自然の摂理に逆らう食品保存技術があればこそ、腐敗を防ぎ長期間保存が可能となり、人類は飢えを凌ぐことが出来た。」
塩漬け、乾燥、発酵、燻製、冷凍。
例えば、塩漬けによってキムチや漬物、乾燥によって干し魚や干し肉、発酵によってチーズやヨーグルト。
そして燻製によってハムやベーコン、冷凍によってアイスクリームや冷凍食品が作られました。
ちなみに、腐敗は忌諱されるものですが、人間の文化として昇華されています。
例えば、発酵は、腐敗の一種であり、微生物が食品に含まれる糖やタンパク質を分解することで、アルコールや酸、ガスなどを生成します。
そして私たちが大好きなビールやワイン、酢や味噌、醤油や納豆などは発酵によって作られています。
古代から発展してきたこれらの技術は、食品の味や風味、栄養価、食感などを変化させ、新たな食文化を生み出しました。
「腐敗は、自然の恵みを無駄にせず、次の世代に引き継ぐための自然の仕組みである。」
その一方で、腐敗は発酵とは別の存在意義がある現象と言えます。
そもそも腐敗とは、食品に含まれる有機物が微生物や酵素によって分解される現象のことです。
それにより、食品に含まれる有機物は無機物や水に分解され、土壌や水中の栄養素となります。
そして栄養素は、植物や動物に吸収され、再び生命のエネルギーとなります。
つまり、腐敗は食品の品質や安全性を低下させるものとして忌避されますが、生態系の循環に欠かせないものだということです。
ではここで一緒に考えて頂きたいことがあります。
「遺伝子組み換え作物(GMO)の導入は肯定されるべきなのでしょうか。」
あなたはどう思いますか?
20世紀後半から21世紀初頭にかけて、日本では高度経済成長期以降、食生活が大きく変化しました。
米や魚、野菜が中心の日本型食生活から、肉や油を使った料理が好まれるようになりました。
その結果、米の一人当たり年間消費量は減少し、食料自給率も低下しました。
一方で、畜産物や油脂類の消費量は増加し、肥満や生活習慣病などの健康などの健康問題が増加しました。
これに対して、伝統的な日本食や地産地消、有機農業などに関心が高まり、食の安全や環境への配慮が求められるようになりました。
私たちは、遺伝子組み換え食品という未知の影響があるかもしれない食品をそう簡単に受け入れることはしないでしょう。
同様に、昆虫食という新たな提案も当面は受け入れることはしないでしょう。
楽に綺麗で安全な食生活。
なぜなら私たちの生活は満たされて来たからです。
「食品の生産と消費をどのように持続可能にするべきなのだろうか。」
世界人口はもうすぐ80億人を突破します。
「文化的保存と自然の流れのバランスを取りながら、環境への影響を最小限に抑える食のサプライチェーンを模索するべきだ。」
以前はSDGsの影響もあり、持続可能なチェーンについて語られていました。
しかし、状況が変わりつつあります。
「すべて生産財がもしも世界中に廃棄ロスなく分配されたならば、そもそも食糧問題は起きていない。」
農作物の生産問題よりも、食品廃棄問題という罪深い行為が明らかになったからです。
生産時の問題ではなく、消費時に問題があるのだと。
「持たざる者たちの食の品質にそこまで力を入れる必要があるのだろうか?」
資本主義社会は、平等と言いつつも、どこかで効率化と合理化が働きます。
飢餓に苦しむ国に対して即時分配が出来ないのであれば、生産するしかありません。
では生産効率とコストを考えるとどのような食を届けるべきなのか。
つまり、遠いどこかの国では、私たち日本人の受け入れられない食で生活が成立する可能性があるということです。
食料自給率が低い日本。
先進国最低水準の38%です。
この問題を解決しなければ、遠い国の出来事が私たちの身に起きるでしょう。
あなたは、食料自給率改善のために何をしますか?
※日本からみた世界の食文化―食の多様性を受け入れる― ※構造・神話・労働 ※遺伝子組み換え食品についてより深く知りたい
このページを読んでいる途中でプラットフォームという映画を思い出しました。
何層にも分かれている建物の階にそれぞれ2人ずつくらい人がいて、数週間ごとに自分のいる階と同じ階にいる人が誰かがランダムでかわります。毎日食べ物が大きなエレベーターのような台にのって上から順に降りてきます。
全員が普通に生きれる量があるので適量ずつ食べればみんな生き延びれますが、上の階になった人々はお腹いっぱい食べちゃうので下の階になった人は食べれるものもないので争いや共食いみたいな事態になっていてグロい描写も多い映画です。キリスト教的世界観も盛り込まれていて面白い映画です。
満たされている側のわがままや身勝手な行動によって貧しい人たちがより貧しく命を削っているという状況って改善することがすごく難しいと思います。満たされている側が知識を持って行動を変えないと状況は変わらないと思います。
食の話ではないですが、近年流行っている海外の格安アパレルECサイトを使っている日本の若者は、その裏の綺麗ではない部分、安く労働力を使っている実情などは知らないと思います。
ですがその若者がそれを知ったとすると、その選択を変える可能性はあります。
食に関しても同じで、添加物や遺伝子組み換え食品の危険性、フォアグラの作り方、知っていれば嫌悪感すら抱くかもしれません。
義務教育で正しい食育がちゃんとされなければ、良くすることはできないと思います。
いつもコメントありがとうございます!
「満たされている側が知識を持って行動を変えないと状況は変わらない。」
こちらが印象に残りました。
善意を込めて社会をより善くするための活動があります。
その時、満たされた人とそうでない人はお互いにどのような態度であるべきなのか。
例えば、お金が無くて困っている人にどのように支援すべきか。
ある人は、お金を渡せば良いと言います。
でもある人は、お金を稼ぐ方法を教えるべきだと言います。
『プラットフォーム』という映画で例えるなら。
適量ずつ食べることをルールにすべきか、それとも自主的な道徳に任せるべきなのか。
本当に難しいですね。
生徒が育てた豚を食肉処理施設に送り、その肉を自分たちで調理して給食で食べる。
命の尊さを学ぶための伝統的な授業が行われている小学校があります。
こちらも賛同の声と批判の声で割れています。
どうすれば一致されるのか。
その難しさについて考えさせられました。