次世代継承学

【第76話】与えられた基準で生きる限り、格差は必要悪となる。

「優生思想が20世紀に滅したと思われていますが、潜在的に生き延びている。消滅しないということは、根源的に、そこには何かがあると思った。」
少子高齢化と歴史観研究を専攻されている方とお話した際に、優生学について考えさせられる言葉を頂きました。

「上流階級の市民のうち良質と評価された男女だけが結婚し、それ以外は繁殖を禁じる。質の低い者は下層階級に追放するべきだ。」
優生とされる遺伝子を残すことで国家繁栄はより強固になるという意見があります。
古代ギリシャ時代の哲学者プラトンは、優秀な市民がいてこそ国家は発展すると考えました。
優生政策は意図的に格差を示すことで、より優れた市民を育成するために取られた合理的な手段なのだと。

「個人の尊厳と自由が最も重要な価値であり、社会全体の利益のために個人を犠牲にすることは許されない。」
一方、優生思想は不平等と差別を生むという意見があります。
現代社会では、個人の権利と自由が尊重されるべきだという考えが主流です。
優生思想は個人の権利を侵害し、社会的な不平等を生むのだと。

「国家洗浄。社会の全体的な福祉や発展を高めるためには、個人の自由や権利を制限することが必要だ。」
プラトンは著書『国家』の中で、哲人王が統治する理想的な国家を描いています。
その理想的な国家においては、優秀な男女による生殖を奨励し、劣ったものには生殖を禁止するという優生政策を提案しています。

人間の遺伝的な質を改善することを目的とし、優れた血統や能力を持つ人間を選別し、劣ったものを排除するべきだと。

またプラトンは、人間を金・銀・銅・鉄の四種類に分け、それぞれに相応しい役割を与えるという社会制度を考案しました。
それは、金の人間は哲人王として統治し、銀の人間は兵士として国家を守り、銅の人間は農民や職人として生産に従事し、鉄の人間は奴隷として働くというものです。

このようにして、人間の能力に応じて社会の秩序を保つことができると考えていました。
つまり、それは、国家にとって最善の役割を果たせる人間は先天的な能力によって決まっているということです。

「スパルタは優生政策によって市民を最強の戦士に仕立て上げた。」
ザック・スナイダー『300 〈スリーハンドレッド〉』でお馴染みのスパルタは優生政策を実現していました。
激しい肉体的闘争を勝ち抜いた者だけが評価されて子孫を残す。
劣等とされた場合は本人のみならず、その姉妹兄弟も同じく子供を持つことを禁止されました。

「ナチスドイツは優生学を利用して、劣等と見なされた人々を排除しようとした結果がアウシュビッツだ。」
しかし優生思想は個人の自由や権利を無視し、社会的な不平等や差別を助長する事態を招きます。
また、その行き着く先は、人間の尊厳や価値を否定し、人間を物や道具として扱うことです。

そして、誰が優秀で誰が劣っているかという基準や判断が恣意的であることが20世紀に大きく批判されました。

「現代社会では、人権宣言や障害者権利条約などの国際的な文書が、すべての人間に基本的な権利や自由を保障することを謳っている。」
その歴史の積み重ねが人権運動の声を呼び起こしました。
そして今では、個人の自由と多様性を重視するべきだという意見が一般的になりつつあります。

現代倫理観は、人間は生まれながらにして平等であり、その尊厳や価値は、血統や能力によって変わらないと考えます。
例えば、人権宣言や障害者権利条約などの国際的な文書は、すべての人間に基本的な権利や自由を保障することを謳っています。

また、障害者や社会的マイノリティなどの弱者の権利を擁護する運動や団体も、現代倫理観の表れと言えるでしょう。

「個人の自由は構わないが、誰が国の支えていくのか。国民が国を支えなければ国は潰れていく。」
しかし、個人の自由や権利を過度に重視し、社会全体の福祉や発展を軽視することで新たな火種が生まれています。
個人の利益や欲望が、社会の利益や責任よりも優先される場合があるからです。

「運動会でリレー競争は禁止して、みんなで手を繋いでスタートからゴールまで走って優劣を付けない時代もあった。」
人間の平等や尊厳が行き過ぎれば、人間の努力や成果を無視することに繋がるという意見もあります。

1789年、絶対王政に対する市民革命が起きました。
フランス革命は、自由・平等・友愛を信条として、人権宣言を制定するに至りました。

1950年代から1960年代にかけて、人種差別に対する非暴力的な抗議運動が起きました。
市民権運動は、黒人や他の少数民族の権利や自由を擁護する思想を広め、公民権法や投票権法などの法律を成立させました。

「民意の反映されない政治と投票を諦める若者。」
あれから数百年の時を経た現在。
私たちは、自由を使いこなせているのでしょうか。
少なくとも分かっているのは、格差という問題が解決されていないことです。

「課金勢が無課金勢に対して優越感を覚えるから課金サイクルは成立している。優越感を煽れなければ、ガチャを引く理由も作れなくなる。」
格差を廃絶せよという傍らで、スマホゲームは格差が課金を煽る仕組みとして成立しています。
そして現代人は、格差の上に行けた時の達成感や万能感に悪気もなく喜びを感じてしまう感覚を学習しました。

つまり、それは、格差というのが経済を動かす動機として社会に組み込まれているということです。

「もしも整形に費用が掛からず万人が適用されるものならば、喜んで整形手術に望む人がいるでしょう。」
私たちのほとんどが、親からもらった自然な顔を大切にしたいと言います。
しかし、顔の良さが社会的ステータスに直結すると分かっている場合に、もし無料で万人に整形手術が開放されたらどうなるのか。

私たちは、その態度を崩さずにいられるでしょうか。

CRISPRなどの遺伝子編集技術は、優生学的な目的で使用される可能性があり、倫理的な議論を呼んでいます。
しかし、それも同様です。
もしも無料で万人に開放された時、その技術を否定出来る人間は現れるのでしょうか。

「格差があるから、比較が出来る。比較が出来るから、幸せを感じることが出来る。」
私たちは、いつしか自分で自分の基準を作れなくなっているのかもしれません。
誰かや何かがくれる基準を大前提として受け入れる姿勢が当たり前になっているのかもしれません。

だから格差が必要悪になっているのかもしれない。

「幸せになりたいと言う人ほど、一生幸せになれない。そこにあるものが見えないから、実利も逃げているということに気付けていない。」
自分の中に、ふとそんな言葉が降りてきました。


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コメント

  1. AYA

    格差が全くない世界は幸せでないと思います。頑張りが何にも反映されないとしたら個人は頑張らないし、そうすると社会全体の発展もありません。

    「ああはなりたくないな」とか「ああいう感じになりたいな」と、格差があることで自分のレベルもはかれます。
    また現代のような、ある程度格差が生まれている世界の中で個人がどこまでを求めて何をやって、どんな生活をしたいかの基準は自由であっていいと思います。

    私は自分の基準はまだ明確にはありません。「〜は嫌だ」はありますが「〜な風だと自分は絶対幸せ」という基準はもっていないです。その感覚はこれまでも変わってきたように普遍的ではないのかなと思います。

    ただ、「自分は〜だから」と諦めることは良くないと思います。生まれや学力、環境のせいにせず高みを目指したいものです。

    • 青木コーチ

      いつもありがとうございます!

      「頑張りが何にも反映されないとしたら個人は頑張らないし、そうすると社会全体の発展もありません。」
      この言葉が印象に残りました!

      一つの結果で挽回が出来ないくらいの差が生まれてしまえば、歩くことやめてしまいます。
      挽回出来るチャンスが散らばっているから、結果に執着しなくて済む。

      だから良い競争関係とは、結果が永遠ではなく、機会が再三あるものなのかなと。
      しかし、それだけだと承認欲求が満たされず、身を持ち崩す勝者達が生まれてきます。

      満たしに行くからややこしいことが起きる。

      だとすれぱ、称賛の贈与と返礼が巡る文化あることでお互いに自分を持ち崩さずにいられるのではないかと思います。
      つまり、称え合う文化が組織や界隈にあるかどうかで廃れない個人と組織が生まれるのだと。

      そんなことを考えさせられました。

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