事例分析

【CASE7】退職代行からみた考察

今回は、GW明けは特に依頼者が殺到する「退職代行」について考察していきます。

問題提起

2017年、EXIT株式会社が日本初の退職代行サービスの提供をスタートさせたことを皮切りに、100社以上がこの業界に参入しています。

多くの労働者にとって退職のプロセスはストレスが伴うものであり、退職代行サービスはその負担を軽減する手段として重宝されています。

しかしその一方で、退職代行サービスを利用することによって生じる問題点も無視出来ないところです。

そもそも私たちは、なぜ退職代行を行使するようになったのでしょうか?

引用:転職代行モームリ


実態

エン転職の実態調査によると、退職代行サービスの認知度は72%と高いものの、実際の利用者は2%にとどまっています。

しかし、今後利用したい・場合によっては利用すると考える人の割合は4割以上にのぼり、社会において代行を通じた退職が受け入れられつつあることがうかがえます。

特に利用者層は若年層や勤続年数が1年未満の方が多く、転職が当たり前の時代の価値観を反映しています。


背景考察

▶考察1
現代社会において、私たちはどうなりたいと考え始めているのか。

それは、「心が傷つかないこと」「心に溜め込まないこと」「心を消耗させないこと」だと考えています。

インターネット及びSNSは、私たちに時間と空間を超えて人と繋がれる環境をもたらしました。

手軽に人と繋がれることが最大の価値として今では手放せないテクノロジーとなったわけですが‥
私たちの関係性を巡るネットワークがデータの集積と共に徐々に構造化してきた結果、繋がりやすく離れやすい時代が終わりを迎えました。

そう、今では探しやすく逃れにくい時代になったのではないでしょうか。


それはつまり、離れることに対してリスクが伴うようになったということです。

だからこそ退職代行という手段を使って関係性を第三者に引き離してもらいたいのかもしれません。

これまでは私とあなたと第三者、第三者は仲人という人を繋げる役割だったのですが、これからは人を引き離す役割を担う、埋人(マイニン、人と人の間に溝を作り距離感を保つ人)が求められるということです。


▶考察2
オフラインの繋がりが希薄になればなるほど私たちは距離感が測れなくなっていく。

家族と友達と知り合い、自分の関係性を三者でグルーピングした時、その関係性に応じて距離感をどう変えるべきのでしょうか。

もっと言えば、人間関係の距離感によって私たちの何がどう変わっていくのでしょうか、

これについて明確な答えを持ち合わせている人はなかなかいらっしゃらないのではないでしょうか。

私は、オンラインとオフラインの関係が内在した結果の功罪がここにあると感じています。

つまり、私たちは言葉と振る舞いが距離感によってどう変えるべきか、その基準が認識できなくなりつつあるということです。

例えば本来、言葉は距離感に応じて使い分けられてきました。

敬語は一定の距離感を保つために使われるものであり、タメ口は一定の距離感を近づけるためにあるもの。

礼儀と無礼講も同様です。

しかし、我々は言葉と振る舞いの基準を忘れることによって、敬意を払えない状態になっているのではないでしょうか。

それは上司の立場からすれば、優しさと甘やかしの違いが分からない状態に陥っているとも考えられます。


▶考察3
時間の感覚が自分に寄りすぎていて、他人の時間を共有しているという感覚が薄れている。

組織に所属するということは、時間を集団で共有するということです。

しかし現代社会はプライベートとプライバシーが尊重される価値観であり、自分だけの時間間隔を持つことが当たり前になりました。

丁寧な暮らしや自分らしさが流行る理由もここにあるのではないでしょうか。

そう、つまりは世の中で起きるすべてが自分に寄りすぎているということです。

言い換えればこれは、アニメ漫画のセカイ系というジャンルと同じ現象です。

つまり、自分の選択肢や行動1つが世界の命運を左右する重大な価値を持つという世界観そのものが、現実でも体感されているということ。

だから自分が基準になって、自分にとっての無駄やロスについて極力手間を省きたいと考えることが自然になっていく。

皮肉なことに、少ない投資で大きい利潤を生み出すという資本主義の効率化最適化思想とも合致しています。

だから、企業の動向をお客様視点で見てしまい、それを改善するためにどうするべきかという発想には繋がらないのかもしれない。


結論

退職代行を活用するに至る理由というのは、突き詰めていけば自分にもっと敬意を払って欲しいという欲求に他ならないと思われます。

しかし現代社会は、関係性の距離感が測れず、敬意を払われたいが敬意を払う術は分からなくなりつつある。

そして、アイデンティティとオリジナリティの喪失ばかりが加速していき、自分で自分を肯定する力が奪われている。

その結果、退職代行という埋人が求められるようになったのではないだろうか。

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