事例分析

【CASE10】ゲーム業界からみた考察

今回は、業界を牽引する会社が軒並み減収となっている現状を踏まえ、「ゲーム業界」について考察していきます。


問題提起

ゲーム会社が軒並み苦しんでいます。
ドラクエ、ファイナルファンタジー、三國無双、ソニック、ガンダムの会社が苦戦していると言いかえれば、事の重大さが伝わるかもしれません。

スクウェア・エニックスHDの24年3月期決算によれば、営業利益は前期443億円から325億円と26.6%減りました。
コーエーテクモの営業利益も前期比で391億円から284億円と、27.2%減っています。

また、セガサミーの営業利益は全体では21%の増加ですが、エンタテインメントコンテンツ事業(ゲーム)では411億円から307億円と25.3%減少しています。
そしてバンダイナムコは、ゲームを含むデジタル事業の利益は493億円から62億円と約87%もの大幅減益となりました。

このように、ゲームを中心とした事業による利益だけみれば、スクエニ、コーエー、ナムコ、セガと日本を代表するゲーム企業がいずれも25%以上の大幅な減益です。

今、何が起きているのでしょうか。

そして、この変化は未来の私たちにどのような変化を与えようとしているのでしょうか。


背景考察

ファミ通ゲーム白書によれば、2018年、世界のゲーム市場規模は13兆1774億円でした。
それからゲーム市場はコロナ禍を機に爆発的に拡大し、2021年には21兆8927億円、2022年で26兆8005億円と成長しています。

つまり、ゲーム市場に関して言えば、たったの4年で倍増というとんでもないバブルが訪れています。
しかし、市場規模は上昇傾向にあるのにも関わらず、なぜこのような事態が起きているのでしょうか。

「往年の名作タイトルさえも面白くなくなった。」「魅力が薄れている。」「○○はもうオワコンだ。」
ポストやコメントを見ると、厳しい辛口の意見がどうしても散見されます。

しかし、面白さの定義は人それぞれであり、大衆がそれぞれの価値観を持ち始めた現代であれば、どんなコンテンツにも称賛と批判が集まるものです。
とはいえ、コストパフォーマンスとタイムパフォーマンスを重視する傾向を考えれば、「損したくない。失敗したくない。」という考えが共通の価値観とも言えそうです。
それは言い換えると、限りある自分の時間の中で最大の効果が得られるような状態を作りたいという考え方です。

「分からないから、面白い。」から「分かっているけど、面白い。」へ。
今、これまで当たり前と思われてきた認識が一変されてきています。

ここ数年、ある種の安心感や安定感に評価が集まるようになりました。
例えば、ナンバリングタイトルやリメイク作品。
映画で言えば、複数回視聴や原作マンガの映画化です。

すでにどういうものなのか分かっているけど、それでも面白いと思える心情。
その心理の源泉には、コスパとタイパが強烈に働いているものと考えられます。

しかしながら、その中でも明暗が分かれています。

例えば、任天堂のポケットモンスターとスクウェア・エニックスのファイナルファンタジー。
両作品とも、初代から脈々とIPが継承されてきた作品、ある種のナンバリングタイトルです。

しかし、ポケットモンスターが好調を維持する傍らで、ファイナルファンタジーは落城したと称されています。

一体、何がそうさせているのでしょうか。

もちろん、メディアミックスの展開方法や広告宣伝の設計など複数の要素が絡み合っていることは承知しています。
しかしながらその両者の明暗には、顧客の心情を汲み取れているかどうかが強く反映されているのではないでしょうか。

私が思う、両者のもっとも明確な違いは、あるものを継承できているかどうかにあると思います。

それは、世界観とシステムです。
つまり、世界観とシステムが継承されていることがナンバリングにおける強みの源泉だということです。

例えば、ポケモンは赤緑の時代から最新作に至るまで、人間とポケモンが共存する世界が一貫して描かれています。
そして、ユーザーが体験する育成交換対戦というシステムは不変ものとして確立しています。

一方で、ファイナルファンタジーはナンバリング毎にキャラクターたちの置かれる世界観が違います。
そして探索や戦闘のシステムもシリーズ毎に異なる様相を見せており、確立されているのは物語をムービーで見せるという点のみ。

世界観とシステムが継承されているかどうかは、新規ユーザーの購入ハードルと古参ユーザーの期待値を絶妙にコントロールします。

当たり前かもしれませんが、ゲームは受動的に見るものではなく、手を動かして体験するものです。

だとするならば、システムが確立されているということは、「そういうものだよね。」という既視感を生み出すことで購入ハードルと期待値を下げてくれます。

そしてゲームという概念が、継続的に接して没入させることを目的とするならば、世界観の近似性は奥行きをもたらし、手触りだけでは味わえない深みを感じさせてくれます。

仮に、ゲームを受動的に体験するものと定義するのであれば、それはYoutubeやNetflixなど、別のエンターテイメントと差別化が出来ないものとなるでしょう。

「2023年の全プレイ時間の80%を占めるのはわずか66タイトル、総プレイ時間の60%がリリースから6年以上経過した作品である。」
衝撃的な統計が発表されています。

PCゲームだけでも、年間で約1万5千本の新作が発売されていますが、実際に遊ばれているのは約70タイトル前後。
そして、ほとんどのユーザーは新作よりも、長く愛する作品に時間を注いでいるのだと。

つまり、新作が売れないのは当然だとして、仮に売れたとしても、書籍で言えば積読状態が起きていると言えるでしょう。

もちろんPCゲームに限らず、例えばアプリゲームのセールスランキングを見ても、常にパズドラやモンスト、ツムツムが上位に君臨しています。
それは、流行り廃りという概念を超えた異常事態と言えるでしょう。

何がそうさせているのでしょうか。

それは、一度発売したゲームを常にアップデートし続けることが可能になったことに起因します。
言い換えれば、買い切りのゲームから更新型のゲームに移行したことによって、コンテンツのコスパ及び耐用年数がとんでもなく向上したということです。

これによって、どのゲームをいつまで遊ぶのかという引き際のラインが見えなくなり、新作を遊ぶ時間が減ったのだと考えられます。

そもそも人間は24時間という限られた時間の中でゲームを遊んでいます。
言い換えれば、すべての消費とは、可処分時間(人間が意図的に自由に使える時間)という枠組みの中で行われるものです。

ところで、あなたはPay to Winという言葉を聞いたことがあるでしょうか。
それは、お金をより多く支払った人ほど勝利に近づくという考え方であり、平たく言えば「課金すればするほど恩恵が得られる」ということです。

今ではゲーム業界においてスタンダードとも思える発想ですが、そもそも求められないものは廃れていきます
そう考えれば、Pay to Winはユーザーから求められているのだと考えることも出来るでしょう。

だとするならば、何がそうさせているのでしょうか。

それはひとえに、勝利(快感)を得るまでの時間(工程)を圧縮出来るからです。
つまり、可処分時間の中でよりコスパ良く満足感を得るためにPay to Winが必要とされたと考えることが出来るでしょう。

「何事もギリギリが一番面白い。勝っても負けても。」

しかし人間はワガママな生き物でして、圧倒的に勝つと飽き始めるし、大差で負けるとやる気が削がれます。
そう、対戦ゲームが盛り上がるために不可欠な要素は、拮抗した状態なのです。

昔々、オンライン対戦が勃興した前後で、ユーザーが一番不満を持ったのは、まさに「同じレベルのプレイヤーと戦えないこと」でした。

ちなみに、Pay to Winが普及する以前は、Time to winという考え方が主流でした。
それは、長く時間をかけたほうがより勝利に近づくという考えであり、言い換えると先行者利益です。

ユーザーの視点から見れば、ゲームに使える可処分時間でより効率よく快感を得たい。
メーカーの視点から見れば、販売後も継続的に効率よく収益を上げたい。

つまり、双方の利害を一致させる仕掛けとして、Pay to Winが優勢になり、スタンダードになったということです。

まとめますと、可処分時間の奪い合いはゲーム業界のみならず、すべての視聴覚メディアを有する業界がライバルです。

ゲームらしさ(特色や特徴)が能動的な没入体験にあるとすれば、それを提供するために必要なものは何か。

それは、世界観とシステム、そして拮抗した状態を生み出すことです。

もしくは、それらを払拭するような斬新なゲーム性(ジャンル開拓)を創造する必要があります。

或いは、1日を24時間以上に伸ばすか、体感時間を加速させるか、人間の可処分時間を底上げするかです。

それを満たせないエンターテイメントは、今後淘汰されていくと考えられるでしょう。


結論

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