事例分析

【CASE15】ネットハッキングから考える人脈形成

今回は、「ネットハッキング」の観点から私たちの「繋がり」について考察していきます。


問題提起

ネットの進化に伴い我々の生活は日増しに快適になっていると感じるものですが、その裏にはセキュリティリスクを抱えています。

実は、2023年に上場企業とその子会社が公表した「個人情報の漏えい・紛失事故」は、4090万8718人分にも昇ることが判明しています。
それは去年に比べて約7倍(590.2%増)であり、大幅に増加していると言えるでしょう。

またこれまでに発生した個人情報の漏洩事故件数は、2012年から2023年までの12年間で累計1265件に達しています。
これにより、日本人の人口を優に超える1億6662万人分のデータが流出したことが分かっています。

では、個人データの流出は未来の私たちにどのような変化を与えていくのでしょうか。


背景考察

個人情報の流出とは、企業・組織が保有する従業員や顧客などの個人情報が何らかの原因で外部に漏洩してしまうことです。
個人情報が漏洩する原因は主に下記の3点と言われています。

1.外部攻撃(標的型攻撃やランサムウェア攻撃など)
2.人的ミス(メールの誤送信やクラウドサービスの設定ミスなど)
3.内部不正(社内関係者による機密情報の持ち出しなど)

まず外部攻撃で記憶に新しいのは、ニコニコ動画のハッキング事件や情報処理サービス会社イセトーの官公庁情報流出事件です。
ニコニコ動画からは、契約者情報やクリエイターの個人情報が漏洩している疑い。
イセトーからは、自動車の納税者情報や住民税の納税者情報、及び京都商工会議所の会員企業情報、公文教育研究会、三菱UFJ信託銀行、三井住友海上あいおい生命の情報が流出。

ちなみにそのどちらも犯行声明文や旧ソ連には攻撃を仕掛けていないという共通点があることから、ロシアのハッカー集団によるものと言われています。
また人的ミスは分かりやすく、USBメモリの置き忘れや操作ミスなどのヒューマンエラーに起因するものです。
そして内部不正といえば、今から10年前に進研ゼミを提供するベネッセが外部委託先のエンジニアに情報を抜かれた事件がありました。

これらの例からも、情報流出事件が起きたという事実は日常的に話題に挙がるのですが、それの一体何が問題なのでしょうか。
もちろん企業が個人情報を流出させたというのは字面から見ても悪であることは間違いないです。

そう、ここで考えたいのはそこではなく、その流出によって我々がどのような損害を受けるのかについてです。

例えばクレジットカードの番号が流出するようなスキミング。
もちろん犯罪行為の一つであり、クレカの情報が流出すれば金銭的なダメージを受けることが目に見えています。

また、メールアドレスの流出。
これによって迷惑メールと言われるような怪しい広告宣伝のメールが届くようになると想定出来るでしょう。

そして氏名、年齢、住所、電話番号。
これらの流出は、個人を特定する手掛かりとなりストーカー行為を誘発するきっかけになると考えられます。

ただいま挙げた流出の顛末はどれも直接的にイメージができるリスクです。
現にあなたも、ああすればこうなるという風に成り行きが想像出来たのではないでしょうか。

しかし私は今回、直接的にイメージが出来ないものにこそダメージの根源があるのではないかと考えました。

言い換えれば、直接的なダメージよりも間接的なダメージ。
或いは、連鎖的なダメージにこそ本当のリスクが潜んでいるということです。

「繋がることが豊かさの根源であり、繋がりが力である。」
持続可能な社会を語る上でコミュニティや社会関係資本は外すことができない要素です。
言い換えれば、絆や紐帯、関係性といったものです。

 

「孤独が寂しさを生み出しており、喪失感が絶望を運んでくる。」
つまり、21世紀の死に至る病は孤独にあるのだと。

私たちは、すでにそう考え始めている。

「待ってくれ、自分はどうなってもいいから、娘と妻だけは‥!!」
そんなセリフを唱える英雄(ヒーロー)がフィクションにはたくさん登場します。

視聴者は素晴らしい家族愛だと、美しき自己犠牲だと。
両手を上げて称賛して、これこそが美徳なのだと信じます。

「愛情が理解できないのね。孤独で淋しく、惨めな人‥」
そして対となる悪役は悲惨な境遇を経験しており、利害や暴力で繋がった脆い関係性しか築けない。

視聴者は、でも当人は悪くない環境が悪い、彼もまた時代に翻弄されたかわいそうな被害者なのだと。
被害者を生み出さないような社会や困っている人を助けられる力を得ようと決心します。

そう、何がどうあっても繋がりは肯定されて帰結される。

友情や愛情、真実や愛、人間と人間から人間と地球まで、私たちはそこに一切の疑問を抱かない。
無条件で、繋がりを善と考え始めているのです。

「政治は数、数は力、力は金だ。」
そして今や、政治家の田中角栄が放った言葉は経済でも通用する考えとなりました。
信用資産を集めたものが金融資産を得るのだと。

つまり、繋がりを否定して、分断を進めて孤独な人間を輩出することを肯定しようとする人間がいたら間違いなく炎上するということです。

しかし、もしかしたらデジタル犯罪というのは、その盲点を突いているとは考えられないでしょうか。
すなわち、繋がりはリスクにも繋がっているということです。

もっと言えば、本来は感情と連帯(繋がること)も禍福(良いことと悪いことがある)であるはずです。
しかし、偏執的に繋がりを強調させたことで悪い側面を忘れさせているのではないかと。

「友達はいらない。人間強度が下がるから。」
西尾維新『化物語シリーズ』には、そんな言葉が登場します。
その意図は、ただ青二才の高校生が中二病気質で語ったかと思いきやそうではありません。

まさに、何かと自分が繋がることがリスクになるという行間を備えたものだと読み解けるでしょう。

例えば、人質を盾とした交渉は卑劣だと言われる由縁。
なぜ英雄は妻と子を盾にされて非業の死を遂げなければならないのでしょうか。

そう、守るべきものや背負うべきものがあるから英雄は窮地に追い込まれている。
そう考えることも出来るのではないでしょうか。

だとすれば、個人情報の漏洩による被害というのは個人だけならば大した問題ではないと。
なぜなら、自分が責任を負えばよいから。

つまり、本当のリスクとは間接的に家族や友人に危害が及ぶと想像することにあるのではないでしょうか。

闇バイトから抜けられない理由、脅迫に心が削られる理由、低賃金労働を断れない理由。
その全てが、守るべき何かと繋がっていることが原因なのだと。

間接的、連鎖的ゆえに当事者になるまで心がどう反応するのか想像が出来ない。
だからこそ、個人情報流出被害を甘く見てしまう。
しかしそれは、直接的なダメージを想像しているからに他ならないからです。

そう考えれば、想像の及ばない間接的かつ連鎖的な恐怖やリスクを見抜くことほど難しいものはない。
そしてもしもこの考えが我々のスタンダードになったならば‥

「あえて繋がらない権利。それが本当の自己防衛だ。」
そう考える人間が現れることも想定しなければならないでしょう。

するとそれは、今の私たちからすれば、全く想定外の事態に遭遇する可能性があります。

例えば、技術進化と社会関係資本(ソーシャルキャピタル)の是非を問い直す必要が生まれるかもしれない。
そもそもコミュニティを重視するSDGsは根本的に見直すべきではないかという意見が出るかもしれません。

個人情報保護の観点から、そんなことを考えさせられました。


結論

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