次世代継承学

【第86話】命を捧げる冥婚について

「死後に結婚させられる女性たちがいます。そして、冥婚のために殺される女性もいます。中国の人権侵害は許されないと思います。」
民族信仰について研究されている方とお話をした際に、多文化共生について考えさせられる言葉を頂きました。

「冥婚は私たちの文化の一部であり、先祖への敬意を表す方法です。この伝統を失うことは、私たちのアイデンティティを失うことに等しい。」
冥婚は長い歴史を持ち、文化的伝統として重要だという意見があります。
家系の存続や死者の鎮魂のために必要な慣習として、これを守るべきだと。

「冥婚は過去の遺物であり、現代社会では受け入れられない。人権を尊重し、女性の権利を守るためにも、この慣習は廃止されるべきだ。」
冥婚は時代遅れの迷信であり、人権侵害を引き起こす危険性があるという意見があります。
特に女性の権利を無視した行為であり、現代社会では許容されるべきではないと。

冥婚とは、死者と生者、あるいは死者同士を結婚させる風習です。
殷王朝(紀元前1600年~1046年)から存在するとされ、家系の存続や死者の鎮魂のために必要な慣習として、一部の地域で現在も行われています。

「冥婚は私たちの文化です。私たちは死者を大切にするのです。私たちは彼らに幸せになってほしいのです。私たちは彼らに子孫を残してほしいのです。これは私たちの祖先から受け継いだ伝統です。私たちはこれを変えることはできません」
例えば、山西省のある村では、冥婚を行うことで、死者の霊が安らかに眠れると信じられています。
村の長老は、家系の存続や死者の鎮魂のために必要な慣習として、これを守るべきだと語られています。

しかしそれは、普遍的人権を無視することにもなります。

「冥婚は女性の人権を踏みにじる行為であり、死体の売買や殺人を助長する悪しき風習である。」
例えば、山東省のある事件では、16歳の少女が死後、すでに亡くなっていたとある少年と冥婚するよう手配されました。
そして、養父母はその対価として6万6000元(約138万円)を受け取っていることが分かりました。

冥婚は、死者の意思や感情を考慮せず、生者の都合や利益によって行われることが多い風習です。
生前に結婚する権利を奪われたり、冥婚のために殺害されたり、遺体が盗まれたりする被害に遭う対象のほとんどが女性です。

それは、女性の人格や尊厳を軽視し、性差別や暴力を助長する行為であり、科学的な根拠や合理性に欠ける迷信とも考えられます。
つまり、現代社会においては非合理的で非効率的な風習だということです。

しかし、冥婚を人権侵害として否定することは、文化的多様性を無視することになります。
約3500年という長い歴史と深い意味を持つ文化的伝統であり、死者を大切にし、家系を存続させることを願ったものです。
文化的アイデンティティや社会的連帯感、また、死生観や宗教観に基づく信仰の1つとして捉えるならば、尊重されるべきとも言えます。

このような対立は、他の文化圏でもあります。
例えば、インドのサティ(夫の葬儀の際に未亡人が自ら火葬される慣習)は、伝統と近代化の間の類似した対立を引き起こしています。

「文化的多様性とは、人類の豊かさと創造性の源泉だ。」
2001年に文化的多様性に関する世界宣言が採択されました。
国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)は、文化的多様性の保護と促進を人類の共通遺産として宣言しています。

しかし、文化的多様性と普遍的人権は、必ずしも相互に調和するとは限りません。
例えば、ある文化では伝統的な慣習や信仰として認められている行為が、他の文化では人権侵害として非難される場合があります。

その意味で、まさに 冥婚という風習は、文化的多様性と普遍的人権の間の緊張関係を浮き彫りにする事例だと言えるでしょう。

「歴史を見れば分かる。対立する緊張関係が事件や紛争の原因になっている。それ以外に争う理由がない。」
例えば、第二次世界大戦後に成立した国際連合は、普遍的人権の保障と促進を目的として、1948年に「世界人権宣言」を採択しました。
しかし、この宣言には、西洋的な価値観や思想が反映されており、他の文化や宗教との相違や対立を生み出しました。

「そちらの国々の思う正しさと、私たちが思う正しさは、必ずしも同じではない。」
例えば、イスラム教の国々は、この宣言に含まれる「男女平等」や「信教の自由」などの条項に反対し、1981年に「イスラム人権宣言」を採択しています。
この宣言は、イスラム法(シャリーア)に基づいて人権を定義し、西洋的な人権観とは異なる内容を含んだものでした。

「文化的多様性と普遍的人権の間の緊張関係は、一方的に正しい答えや解決策があるとは言えない状態に陥っている。」
これが私たちの向き合うべき現実です。

両者の間には相反する価値や利益が存在し、対立や衝突が起きています。
そしてどのように妥協や調整を図り、誰が調停するのかという問題が控えています。

国家や国際社会のレベルだけでなく、個人や集団のレベルで何が出来るかを模索する必要があります。


※多文化共生 人が変わる、社会を変える ※日本の「ユネスコ 無形文化遺産」がわかる本 ※イスラム教再考 18億人が信仰する世界宗教の実相

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コメント

  1. AYA

    冥婚、もし今も行われてるとしたら怖いな〜と読ませていただきました。

    私は人権侵害になる文化はどんなものであれ廃止されるべきだと思います。
    これが文化だ!と主張する人ももし自分や家族が殺されたら嫌に決まってます…

    その文化の中で生きている人からしたら、よそ者が口を挟むなと言われそうですが、そうしないと被害者がで続けますよね…

    もっと他者を思いやる気持ちが大事だと思いました!

    • 青木コーチ

      コメントありがとうございます!

      「余所者が口を挟むなと言われそう。」
      この言葉が印象に残りました。

      「コンサルタントの最大の価値は、規範の外側から意見を出せることにある。」
      それは、第三者の公平な観点から言葉を紡げるという意味です。

      嫌なのに訳あって続けてしまう人、嫌とも思っていない人。
      様々な立場の人がいます。

      どう伝えるのか、なぜ伝えるのか。
      口の挟み方を極めていくと、それだけで立派なスキルになります。

      「何がそうさせているのか。」
      そこに目を向けて話せる人でありたいなと。
      コメントを読んで改めてそう思わされました。

  2. 星屑のかけら

    こんにちは。今回も楽しく拝読させていただきました。と書きたいところですが、内容が内容ですので考えさせられながら読ませていただきました。

    かなり前のブログにあった『正義と悪』の話に根幹が似ているのかなと思いました。
    一方にとっては当然であり正当であっても、他方にとっては到底受け入れることはできない不当であるかもしれない。
    自分にとっての当たり前は、他人にとっての当たり前ではない。

    私は現在、人事関連のお仕事をさせていただいていますが、新しく会社に入って頂いた方へ特に感じます。
    例えば、私からしてみれば50歳の方は大先輩であり、経験も豊富であると見てしまいます。
    ですが、実際には異業種から転職してきた方であったりして、業界経験は大学の新卒と変わらなかったりするわけです。
    同じ言語で話せるために、その認識のずれを修正することはまだ方法はありますが、異言語であった場合、認識の修正はほぼ不可能であるように感じます。

    また、言語が同じだとしても、どちらか一方でも対話をする気がなければ。
    認識のずれを修正するのは同様に不可能でしょう。

    なにかしらの方法で認識のずれを修正することはできるかもしれない。
    ですが、何かしらの方法を実現/確立させるには、多くの思索と思考と検証が必要になる。

    そんなことを考えさせられながら拝読していました。

    • 青木コーチ

      いつもコメントありがとうございます!

      「認識の修正はほぼ不可能である。」
      この言葉が印象に残りました。

      人間は自然・構造・関係のなかで一定の影響を受けています。
      例えば、上下関係や内外関係によって言葉遣いを変えることが美徳とされています。

      しかし、状況や関係性の中で、年齢や実績に関わらず、誰もが意識できることがあります。
      それが、臨む姿勢だと考えています。

      「状況を察して、機転を利かせてボールペンをお渡しする。」
      言葉は通じなくても、振舞においては通じ合える余地があると思っています。
      価値観を曲げる曲げないではなく、和合を崩さない価値基準を持ち、そのように振る舞うことが大切なのかなと。

      そんなことを考えさせられました。

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