事例分析

【CASE13】ウーブンシティからみた考察

今回は、トヨタの完全子会社ウーブン・バイ・トヨタが仕掛ける「ウーブンシティ」について考察していきます。


引用:TOYOTA Woven City


問題提起

トヨタ自動車が静岡県裾野市で建設を進めているウーブンシティは、未来のスマートシティとして大きな注目を集めています。
2021年2月に着工され、最終的には70万8000平方メートル(ディズニーランド1.5個分)の規模に達する。
2024年には一部(5万平方メートル)の建設工事が終了し、2025年には360名程度(トヨタ関係者)が居住する予定です。

ウーブンシティは、完全に接続された生態系として設計されており、そのコンセプトは「ヒト中心の街」「実証実験の街」「未完成の街」だとか。
画一的な幸せではなく、人それぞれによって異なる幸せに寄り添っていくというコンセプト「幸せの量産」の実現のために常に改善を続け、そのため永遠に未完成だとしています。


引用:Woven City Press

つまりこの都市は、交通、エネルギー、ヘルスケアなどの分野での実証実験を行う「生きた研究所」として機能するのだと。
そのために、インターネット・オブ・シングス(IoT)、人工知能(AI)、自動運転技術など、最先端のテクノロジーを駆使して住民の生活をサポートするそうです。

この変化は未来の私たちにどのような変化を与えようとしているのでしょうか。


背景考察

自動運転車が街を行き交い、ロボットが家事を手伝い、スマートホームが住民の一挙手一投足をサポートする。
ウーブンシティは、生活のあらゆる面を効率化することを目指しています。
こうした未来図は、まるで100年前の人々が描いた夢のようです。

しかし、そもそもなぜトヨタはウーブンシティ構想を計画したのでしょうか。
それは一説によれば、EV競争に乗らず水素自動車の開発に注力をしていたトヨタが、その実用性を証明する場として作ったのだと言います。

「トヨタは時代の波に乗り遅れた。日本衰退の象徴だ。」
EV市場が補助金の後押しをもらって販売台数を伸ばしている中で、トヨタはマスメディアからバッシングの嵐を受けました。
というのも、EV競争はそもそも自動車業界から多額の税を集めた政府によるパワーゲームです。

つまり、自国の思惑と国家間の忖度を考えれば、国の言う事を素直に聞く企業は可愛がってもらえるということです。

例えば、イーロン・マスク率いるテスラが世界一EVを販売して時価総額を急激に上げて、日本では全く売れていないにも関わらずテスラの知名度はなぜか一躍広まりました。
反対に、素直に言うことを聞かない企業は、各国も長いものに巻かれる団体も「煙たい存在」と見てしまいがちです。

なぜならそう、トヨタは一時期テスラにも投資をしていたけど自身はEV競争には乗らず、独自路線として水素自動車の実現に舵を切ったのですから。
そして、ウーブンシティという前代未聞のプロジェクトに全精力を傾けました。

「このままで本当に良いのだろうか?」
最初から最後まで、社長が描いた未来を全員が一致団結して進めるほど小さく小回りの利く会社ではありません。
社内では反論する方もいたでしょう。
時には、疑念が拭えず会社を信じられなくなった社員もいたと思います。

しかし、周囲に流されることなく中長期経営計画が実現される日に向けてトヨタは邁進しました。
胆力が違います。スゴイですね、本当に。

では具体的に、ウーブンシティでトヨタは何を狙っているのでしょうか。
それは、一言で言えば、世界初のシティプロダクト業界を創生しようとしているのではないかと考えられます。

約4万社の下請け企業を束ねるトヨタは、自動車業界の一社にしては人と社会に与える影響力が半端ない企業です。
それこそ例えば、42万人の人口を持つ愛知県豊田市はトヨタ自動車の企業城下町とも称されています。

それだけの企業がウーブンシティに2000人の社員を「移民」させて実験都市を作ろうとしているのです。
それはただの実験施設では終わらないと考えるべきでしょう。

例えば、そもそも実験都市と称すること自体に意味があります。
そう、そこはあくまでトヨタ自動車の研究施設なのです。

つまり、都市ではなく研究施設であるということは、一般的な法規制とはまた別の枠組みに位置する「治外法権都市」だということです。
例えばドローンを自由に飛ばせない理由も自動運転車の実験が出来ない理由も、すべて地主や自治体という難攻不落の規制や勢力が存在するから進まないのだと。
だとするならば、あくまでそこはトヨタ自動車の研究施設という位置付けで、ある意味「何でもあり」な状態を作ることが出来ると言えるでしょう。

「大企業が市町村の長となる未来が来たら、現在企業が抱えている問題点はほとんど解消されるかもしれない。」
それは、つまり、社宅レベルでも衣食住レベルでもなく、生活インフラレベルで企業から福利厚生を得るという発想が生まれる瞬間です。
言い換えればそれは、組織に属するという発想ではなく、ファーストプレイスとセカンドプレイスの融合と言えるでしょう。

また、まちづくりという観点で言えば、自治体ごとに入札制度があるのでインフラや誘致企業はそれぞれ異なります。
しかし、企業がもし一括で街づくりを手動できるのであれば、ある意味非常に完成度の高い都市が完成すると考えられるでしょう。

では、ここで言う完成度の高さとは何を意味するのでしょうか。

例えば従来の都市は、古典的な形態として同心円モデルが長い間用いられて来ました。
このモデルの最大の利点は、効率的な経済活動の集中にあります。

中心業務地区(CBD)を中心に、商業地、住宅地、工業地帯が同心円状に広がる。
この構造により、経済活動が中心部に集約され、ビジネスの効率性が高まる。
企業間の連携が強化され、通勤時間も短縮されると。

また、同心円モデルは視覚的に理解しやすく、都市計画が容易になるのだと。
つまり、中心から外縁へと広がる構造は、インフラの整備やサービスの提供を一元化しやすいと。
それは、視点を変えると、都市計画者にとって大きな利点になります。

さらに、同心円モデルは都市のアイデンティティを維持する助けにもなる。
中心部にランドマーク(歴史的建造物や文化的施設)が集まることで、都市の特徴が保たれ、観光資源としての価値も高まるという訳です。

しかし、この美しい円形の背後には、いくつかの問題が潜んでいます。
まず、交通渋滞と環境問題です。

中心部への通勤が集中することで、交通渋滞が発生しやすくなります。
これに伴い、大気汚染や騒音などの環境問題も深刻化します。

また、経済活動が中心部に集中することで過密化が進むため、ヒートアイランド現象が生み出されます。
これにより、住環境が悪化するのにも関わらず、経済合理性から住宅価格が高騰するという事態が起きます。

さらに、同心円モデルは、中心部と郊外の格差を生み出します。
つまり低所得者層が職住近接を求め中心部に集まり、通勤コストをかけられる高所得者層は郊外に向かうことで、社会的分断が進行するということです。
そして、都市の成長が続くにつれこの格差はますます拡大し、都市全体の持続可能性が脅かされて現代の社会課題の巣窟になっていると。

果たして本当に同心円モデルは完成度の高い都市なのでしょうか。
当たり前だと思われているものでも、観点を変えれば実は伏魔殿に見えるという事例だとは思いませんか。

そこで、都市地理学や都市工学の分野では、多核心モデルが提案されています。

このモデルは、都市内に複数の核を持ち、それぞれが独自の機能を果たすことで、より均衡の取れた都市構造を目指すというものです。
例えば、商業地区、住宅地区、工業地区がそれぞれ独立した核として存在し、都市全体が分散して発展することで、効率的で持続可能な都市運営が可能となるのだと。

多核心モデルの利点は3つあります。

1つは交通の分散です。
複数の核が存在することで、通勤や移動の流れが分散され、交通渋滞が緩和されます。
そしてこれにより、環境負荷も軽減されると言われています。

2つ目は、ランドマークの分散です。
各核が独自の経済活動や文化を持つことで、地域の自立性が高まり、多様性が生まれるのだと。
つまり、それは、都市全体のレジリエンスを強化し、経済的な安定をもたらすということです。

最後の3つ目は、住民の生活の質を向上させるというものです。
住民が近隣の核で必要なサービスを受けることができるため、生活の質が向上すると期待されています。
また、通勤時間が短縮され、余暇時間が増えることで、住民の幸福度も高まるのだと。

つまり、各核が独自のコミュニティを形成することで、社会的なインクルージョンが促進され、多様な背景を持つ住民が共存しやすくなるのだと。
同心円モデルと比較すると、一極集中から要所分散に移行することで恩恵があるということです。

しかし、素晴らしく思える多核心モデルにもデメリットは存在しています。

1つは計画の複雑化です。
多核心モデルは都市計画が複雑化しやすく、各核の連携や交通網の整備には、高度な計画とコーディネーションが求められます。
街作りのゲームシミュレーター(例えばシムシティやシティーズスカイライン)やデジタルツインを駆使しても、なお変数と不確定要素に悩まされるものです。

もう一つは多核心モデルの実現には多大な経済的負担が伴うという点です。
各核の開発とインフラ整備には多大な費用が必要でして、初期投資が膨大になる可能性があります。
さらに、各核が競争することで地域間の摩擦が生じる可能性があり、本末転倒の社会的な不和や格差の拡大を引き起こすリスクも孕んでいます。

そのため、多核心モデルが理論上は注目を集めていても、コントロール出来ないしスタートラインに立つことも難しいと言われています。
しかしだからこそ、これを克服するために、誰も見たことの無いシティプロダクト事業に可能性があるのではないかと思った次第です。

それは、言うなれば企業城下町(カンパニーズシティ)の複合による多核心モデルの誕生です。
完成度の高さが多核心モデルにあるとすれば、それを大企業が研究施設という名目でスタートさせて、徐々にパッケージ化していくことには活路があるのではないかと。
これは日本の鉄道インフラが海外で入札されている話や中古の列車が使われているというレベルを越えた壮大な話です。

とはいえ、完成度の定義はこれだけで終わらず非常に難しい問題であることは間違いありません。
例えば、ある大企業の社員だけが特権のように様々な恩恵や最先端のテクノロジーに関与できると考えれば、それを差別と唱える人がいてもおかしくありません。

「サムスンにあらずんば人に非ず。」
それこそ、居住区差別のような新たな差別概念が生まれると考えられます。

そう考えると、カンパニーズシティ(ウーブンシティ)に付随するシティプロダクト業には大きな困難が待ち受けているでしょう。

しかしながら犯罪率の高い国の人々から見たら、この仕組みはどう映るのでしょうか。
犯罪率が低くても、銃の所持が認可されている国の人々から見ても同様です。

「お金で余生が買える。」
例えば、多額の税金を納める代わりにあなたとそのご家族の生活の安全が保障されますよと。
もしあなたがお金を持っている立場であるとすれば、この提案をどう受け止めますか。

他人の目を気にすることが無ければ、おそらく頷く方が多いのではないでしょうか。

とはいえ、シティプロダクト業には倫理観や経済合理性という側面をひっくり返すぐらいの可能性が秘められていることは確かです。
シティをプロダクトするということは、都市にまつわるあらゆる業界をコーディネートするということですから。

似たような概念として、これまで地域コーディネーターやまちづくりプロデューサーという言葉が生まれてきましたが規模が全く違います。
例えるならば、シムシティやシティーズスカイラインという街を創生するゲームを現実でやるようなものです。
もっと言えば、その街作りのゲームに登場する企業や使えるツールも選定するようなものです。

その壮大なスケールに参入するプレイヤーが膨大であることを考えれば、シティプロダクト業は何兆単位の市場規模に膨れ上がる可能性があるのではないでしょうか。
トヨタが賭けたプロジェクトには、日本の風土と文化を街という総合芸術品(プロダクト)にするという壮大な夢と希望があるなと思いました。


結論

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