「実績が無いので単価の高い仕事が取れない。そして仕事量が安定しない。このまま続けていても良くなる見込みが見えてこない。どうすれば良いのか分からない。」
在宅ワーカーとして働く知人とお話をした際に、在宅ワークについて考えさせられる言葉を頂きました。
「在宅ワークで高収入を得るためには、市場で求められるスキルを身につけて高単価案件を獲得することが重要だ。」
一方、稼ぐためには、高単価な仕事を任せてもらえるスキルを身に付ける必要があるという意見があります。
プログラミングやWebデザイン、英語などの専門的なスキルを持っていれば、在宅ワークでも高単価の仕事が取れると。
だからこそ、継続的な学習とスキルアップが必要なのだと。
「在宅ワークで自立したければ、家庭と仕事とスキルのバランスを安定させることが重要だ。」
稼ぐためには、高単価でなくとも安心して長く働ける仕事を獲得する必要があるという意見があります。
仕事はクライアントの期待値調整や優先順位の決め方で質が決まると。
だからこそ、良質なペースで仕事ができるように、柔軟な働き方や時間管理の重要性を考えるべきなのだと。
稼ぐためには、まずスキルを磨くべきか、それともまずは環境を調整すべきか。
あなたはどう思いますか?
「芸は身を助ける。」
スキルを用いて、誰にどのような価値を提供すべきかを選定すること。
それが出来れば高単価案件を獲得する見込みは十分立ちます。
「そもそもスキルが十分でないと、高単価の案件を獲得するスタートラインに立てない。」
例えばフリーランスエンジニアの場合、求められる要件を満たしていないと高収入を得るのが難しいと言われています。
また、テレワークでは、仕事の概要や目的、進め方、使用ツールの理解が不十分になりがちです。
つまり、間はスキルによって埋め合わせをする必要があるということです。
そのため、スキルが不足していると間を埋める力が無いため、会社が求めるパフォーマンスが発揮できないことがあります。
「スキルを身につけるためには、時間やお金、努力が必要だ。」
とはいえスキルを身につけることは簡単なことではありません。
在宅ワークをする人の中には、そうしたリソースが十分にない人も多いでしょう。
また、スキルを身につけたとしても、市場のニーズや競争状況によっては、それが高収入につながらない可能性もあります。
そして最も忘れてはいけないこと。
それは、在宅ワーカーには制約があるということです。
「在宅ワーカーは、生活リズムの乱れや、家事・育児との両立が難しい状況に置かれている。」
そもそも在宅ワークの難しいところは、自分の能力値を100%出せるかどうかにあります。
その不安定さは、家庭と仕事のバランスの難しさから来るものです。
どれだけスキルを磨いても、融通を効かせられる環境が整っていなければその力は宝の持ち腐れになっていきます。
「自分の都合と相手の都合をどう調節するのか、その交渉が出来る力があれば良いけれども、出来ないならば合わせるしかない。」
高単価案件な案件になればなるほど、不足や緊急に対応できる力も同時に求められます。
求められる対応が出来なければ、継続的な高収入に繋げることは、難易度が高くなっていきます。
個人のコントロールを超える要因にも左右されるため、周囲と連帯感を得られないと苦労します。
つまり、環境が整わず、スキルだけを持つ人間は、ストレスと戦いながら高単価案件を回すという、消耗型のスタイルになるということです。
ではここで一緒に考えて頂きたいことがあります。
「これからの在宅ワーカーに求められる力とは何なのでしょうか。」
あなたはどう思いますか?
「自分の立場と自分の選択だけを正当化して、他者に分かってもらうことを優先しようとすれば仕事は失われていく。」
在宅ワークで中長期的に高収入を得るためには、スキルや生活状況の両方に配慮する必要があります。
イギリスの政治哲学者アイザイア・バーリンは、自由の概念を「消極的(負の)自由」と「積極的(正の)自由」の 2 つに分類しました。
前者は、他者からの干渉や障害がない状態で自分の望むことをすることです。
個人の行動や選択の自由が他人によって干渉されないことを意味します。
後者は、自分自身の理性や意志に従って自分の人生をコントロールすることです。
ものごとの価値の優劣を知り、より高い価値の実現のために自律的に行動することを意味します。
「あなたが自由を行使すれば、万人が自由ではなくなっていくだろう。」
正の自由のために他者の負の自由を制限すること。
負の自由のために他者の正の自由を無視すること。
バーリンは、二つの自由は相互に矛盾することがあると指摘しました。
これと似たような現象が今の在宅ワーク界隈では起きていると思わされました。
私は、今の在宅ワーク市場は必ずし企業とワーカーの両者共に善き関係になれているとは言えないと考えています。
2015年前後、在宅ワーカーという言葉がまだまだ潜在労働力市場の1つとして世に浸透認知されていなかった時。
企業側は、在宅ワーカーの中長期的な活用方法を検討出来ていない中で、ある1つの基準を導いてしまったように思います。
「コア業務は正社員に。それ以外はアウトソーシングしましょう。」
この一節が在宅ワーク界隈の方向性を決定付ける一因になりました。
それは、つまり、企業がやりたくない仕事を外に出すという意味です。
よって、在宅ワーカーに振られる仕事は、そもそも練度を必要としないもの。
或いは、単発短納期で成果だけを求めた仕事が外に出されるという事態を招きました。
それにより、外に出された仕事を重ねても実績にはならない仕事と、経験の伴わないスキルで推進するには難しい仕事が増えていきました。
企業は業務フローを可視化して何をコアとしてどこに付加価値を見出すべきかを検討せずに波に乗ってしまった。
それは、正の自由のために他者の負の自由を制限することに繋がりました。
そして揺さぶられるワーカーは、負の自由のために他者の正の自由を無視することを選びました。
自分が思っているほどのスキルは身に付かず、不足や緊急を克服できる実績は得られないまま時間だけが過ぎて行きました。
そしてコロナ禍によって、本格的に在宅ワークが推進され始めてしまいました。
文化の土台を再検討する前に、強制的な進化が促されてしまった。
現在、飽和して二極化した在宅ワーク及びアウトソーシング市場は、少々焦り過ぎた結果だと思います。
では両者に足りなかったもの何か。
それは、期待値調整だと考えています。
私は、すべての企業に、影受けという新たな職種が必要だと思っています。
それは、外部調整機能に特化したポジションです。
「事業部担当者が外部をコントロールしようとすると、会社単位で見た時に歪みが生まれる。」
事業部によって差が生まれて、担当によって進捗に差が生まれる。
外部委託者に責任を求めることが多いですが、実は内政の問題が主因であることが多いです。
とにかく安く発注して、コストを落として進めたい。
とにかく高いお金を出して、良い在宅ワーカーを使えば上手く行くだろう。
私は、そのどちらの発想でも行き詰まると考えます。
発注単価や工程表、仕様管理、品質管理、スキルの見極め。
事業推進が滞る責任は誰にしても構わないのですが、結果的に両者が痛い思いをするくらいならば、外部調整に特化した影受けがいればいいなと。
だからこそ、業務一覧表と業務フローを勘案した時、生産性と付加価値をどこで誰が生み出すのかを明らかにしておくべきだと考えています。
「お願いしていたのと何か違う。」
在宅ワーカーは、スキルを高めることや環境を整えることよりもやらなければいけないことがあります。
それは、期待値調整能力です。
在宅ワーカーに限らず、業務委託者のほとんどは、期待値調整を怠ることで疲弊・消耗しているのではないでしょうか。
あなたは、周囲の人から等身大で見てもらえていますか?
※インターネットで 在宅ワークがしたい!と思ったら最初に読む本 ※リスキリングは経営課題 ※目的を達成するために、組織を動かし、“時間的余裕”を生み出す実践法とは?
私は、なんでこんなに期待してくれるんだろう?というタイミングがこれまでに何回かありました。
すごくありがたいことですが、プレッシャーに感じることもありました。
ただ、そう言った経験を通してできることの幅や質は良くなっていくと思います。
期待値を超えられず離れていってしまう人もいるかもしれませんが、誠心誠意向き合っていると応援してくれる人も増えるのではないかと思います。
そうはいってもバランスは1番重要で、詐欺レベルの事をしていると信用はなくなりますよね。
在宅ワークでもうまくやっていくには、それまでに人間関係や仕事のバランスを取れるように学ばないといけないと思います。
いつもコメントありがとうございます!
「詐欺レベルの事をしていると信用はなくなりますよね。」
この言葉が印象に残りました。
正攻法の積み上げは難易度が高い。
努力の天才という言葉がありますように、継続的に努力出来ることはそれ自体が才能です。
「一頭地を抜きたい。」
合法と非合法、常識と非常識。
だからこそ、グレーゾーンが際立ちます。
でも、それは紙一重です。
結果が出れば何でも良いのか。
それとも、結果と礼節を求めるのか。
或いは、結果よりも大切なものを求め始めるのか。
受発注における関係性について、改めて考えさせられました。
広告代理店の方がおっしゃっていましたが、求められているものが100とした時に+5の提案をしたらクライアントに喜ばれる、でも+10以上の提案は求めていたものと異なるものとして判断されてしまうと。
期待値調整は互いの納得を生み、円滑に進めることの必須条件ではあるかと思いますが、同時に期待値以上の可能性に蓋をしてしまうことにもなり得るのかとも思いました。
コミュニティ単位であれば役割を明確にしその範囲で全うすることが求められ、個人であればその制限を超えられる。
「我々の間にはチームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。
有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。」
益々響きますね、このセリフ
コメントありがとうございます!
「コミュニティ単位であれば役割を明確にしその範囲で全うすることが求められ、個人であればその制限を超えられる。」
この言葉が印象に残りました。
「規範の中にいるときはそれを窮屈と感じるけど、規範無き行為はまた行為として成立しない。」
草薙素子は、組織として求められる期待値を超えるために孤人になることを望みました。
しかし、組織を離れてみて分かったこと。
それは、規範の中で裁量を発揮して初めて期待値はコントロール出来るのではないかという可能性でした。
つまり、自主性と自制の利いたメンバーが揃って、初めて組織は組織として機能するということかなと。
「私は何に達観していたのかしら? 何を探してネットをさまよっていたんだと思う? 真理、知己……それとも特定の誰か? もしかして自分の非力さを、組織やシステムのせいにしていただけなのかしら?」
そこに気付いているのがSSSで再合流を果たした少佐なのかなと。
つまり、自分の夢と現実の乖離が少ない少佐が、大佐(荒巻ポジション)としての期待値調整能力を獲得した。
なのに攻殻機動隊は、少佐が脱退して再合流を果たした後の物語が描かれていません。
そこが、SACシリーズが先細っている理由です。
少佐が大佐としてどうリーダーシップを発揮するのかを見てみたい。
そんなことを考えさせられました。
初めまして!
ふと、このサイトに辿り着きました。
非常に興味深い記事が多い中で、「82話」に特に目が止まった理由は、きっと世の中の働き方かたの違和感、もっと広く捉えると人間関係の違和感のヒントを知る1歩目になりえそうな記事だとおもったからです。
今の時代、昔と比べて携帯は普及し、IT技術も発達し、仕事のスタイル自体も変化を遂げています。
それはいつ、どこでもだれとでも働くこともできる豊かな時代だと捉えられます。
しかし、仕事環境、技術は進歩したのはいいが、それに伴う人間関係は薄くなっているとどこかで感じています。
まさに「お願いしていたのと何か違う。」
これは、私の周りでもよく聞く言葉です。
私も、昔はよく期待に応えようとして、正直に疲れる日々をすごしてました、、、
なぜこれが起こってしまっているのか、、、
グーグルで検索すればなんでもでてきて、SNSをみてたら言葉だけは見たことになって、そんな知ってないのに、なんとなく知ったような現象がおこっている。
知ってるようななんとなくの浅い知識が徐々に伝達されているからこそ、目の前の事象を理解できず、結果としてなんとなく「人に伝え、人に頼む」、これでは「確かにお願い事をする人」と、「お願い事を受ける人」のバランスをとることは難しい気がします、、、
どこまでたってもAIはAI、人は人であり、人はいなくなりません、
だからこそ、人々の間を調整できて物事を円滑に進められる方が今後台頭してくるのではないかと思いました。
みんなが笑い合ってたのしく仕事できたら1番ですね!
影受けという言葉、考えは非常に共感を覚えました。
言葉のセンスに脱帽です。
このサイトに出会えてよかったです。
また、覗きに来ます!!!
コメントありがとうございます!
「どこまでたってもAIはAI、人は人であり、人はいなくなりません。」
この言葉が印象に残りました。
AIが普及するに連れて、相場というものが再発明されたように感じます。
つまり、それは、人々の業務内容が相場感で示されることで仕事に優劣が付き始めたということです。
「世の中に必要のない仕事は存在できない。」
そう考えていくならば、仕事に賃金という基準で良し悪しを測ろうとすること自体がナンセンスなのかなと。
とはいえ、一般的にこういう意見はキレイゴトと言われて斬られています。
「お願いしていたものと違う。」
それは、ネットやAIが生み出した相場です。
それを鵜呑みにして考えようとしている自分が天秤に乗せられる立場になったらどう思うのか。
そこを考えるためにも、期待値調整という概念は関係性を築くために必要な要素だなと。
そんなことを改めて考えさせられました。