事例分析

【CASE53】クローゼットの奥に潜む、見えない物語

問題提起

「あなたのクローゼットには、霊が潜んでいるかもしれない。」
ある朝、あなたはスマートフォンの画面をスワイプし、今日の気分にぴったりの服を探している。
数百円のトップスが瞬時に目に飛び込み、「これだ!」と迷わず購入ボタンを押す。

すると、「今日はラッキー!めっちゃ便利な時代になったなあ‥」と心の中でつぶやくかもしれません。

しかし、もしその一着の服の裏に、あなたが想像もしない物語が隠されているとしたらどうでしょうか。
そう、まるで、何の変哲もない公園のベンチの下に、太古の遺跡へ続く秘密の入口が隠されているかのように。

2021年、アメリカのファストファッション市場で大激震が起きました。
長年不動の王者だったZARAやH&Mを抜き去るブランドが登場したのです。

そう、それが、中国発のECブランド、SHEIN(シーイン)でした。
その勢いは、まるで突然変異した新種の生物が、既存の生態系をあっという間に塗り替えていくかのようです。

日本でも昨年に初のショールーム型店舗「SHEIN TOKYO」をオープンし、その存在感は増すばかり。
しかし、この「ありえない安さ」の裏には、どこか「不自然さ」を感じませんか?

そう、あなたのスマートフォン画面の向こう側には何かがあるのかもしれませんよ。
本日はその裏側に迫ってみます。


背景考察

「なぜ、この服はこんなに安いのか?」
「安さ」には必ず「理由」があります。
美味しいカレーを作るためには、スパイスと肉と熱(技術)が必要なように。

「ファストファッションは、週刊漫画のように新しいキャラクター(服)が次々登場し、読者(消費者)を飽きさせない。」
かつて、服は「誂える(あつらえる)」ものでした。
職人の技と時間、素材への敬意が込められた一着は、まさしく「物語」そのもの。

それが次第に既製服、そしてインターネットの登場で手軽になり、さらに「ファストファッション」という名の嵐が吹き荒れました。
ZARAやH&Mは、最新トレンドを数週間で店頭に並べ、ファッションを一部の特権階級から解放したのです。
しかし、SHEINは、このファストファッションの概念すら塗り替えていきました。

「彼らは、毎週2万点以上もの新商品を投入して、アクセサリーは数十円、服は数百円から販売する。」
「ありえない安さ」で、世界の若者を熱狂させていきます。
しかし、なぜ彼らはこれほどの「安さ」と「速さ」を実現できるのでしょうか?

その秘訣の一つが、「関税逃れ」です。
SHEINはシンガポールに本社を置き、中国の工場から直接消費者に商品を配送するシステムを採用しています。
なぜかというと、まとまった量を輸入する店舗型アパレルだと関税が高いのですが、「個人輸入」扱いで少量だと無税になるからです。

また2つ目は「原価」にあります。
SHEINの工場がある中国広州では、他のアパレル企業の返品された商品や、売れ残った布生地が大量に廃棄されています。
なぜ廃棄されるかというと、中国のECは年間イベントを組み大量販売をするのですが、反動で大量返品が起きているからです。

すると、原料費が実質タダになるため、破格の安さを実現できる。
つまり悪い言い方をすれば、SHEINはこれらの「ゴミの山」を商品として再利用しているとも考えられます。
まるで、誰かが捨てた廃材を拾い集めて、見事なアート作品を作り上げるように。

そして、3つ目は、徹底したデータドリブン経営です。
SHEINは、AIを使って世界中のSNSから流行を瞬時に分析し、その情報を中国広州の数千もの小規模工場で直接反映させています。
これにより、「欲しい人がいる量だけ、欲しい時に生産する」という、在庫リスクのほぼない「オンデマンド生産」が可能になりました。

一説によればSHEINの年間新規商品数は100万点を超えると言われています。
これが、もし本当にAI活用で在庫リスクを抱えていないのだとすれば、驚愕の事実です。

「価格には理由がある。」
あなたのお気に入りのカフェで、ある日突然、コーヒーがたった100円になったとしましょう。
嬉しい反面、「なぜこんなに安いの?」と改めて疑問に思いませんか?

もしかしたら、豆の産地で、過酷な労働が強いられているのかもしれない。
あるいは、そのカフェが、環境汚染を伴う方法でコーヒーを生産しているのかもしれない。
そう、「安さ」には必ず「理由」があるのです。

今、SHEINの製品から基準値を超える発がん性物質が検出されたという報道が各国でなされています。
また、有名ブランドの偽造品が公然と販売され、デザインの知的財産権侵害で訴訟が頻発しています。

これはまるで、あなたが手に入れた安価な絵画が、実は世界的な名画の粗悪な模倣品かのような事態です。
或いは、お買い得だと信じて購入した物件でアスベスト被害が頻発するようなものです。

「では、なぜこれほどの問題が報じられながらも、シーインの勢いは止まらないのでしょうか?」
なぜ私たちは、その「闇」に目を瞑ってしまうのでしょうか。

「安ければ安いほどいい」という若者の心理は、果たして本当に彼ら自身の選択なのでしょうか。
それとも、この社会構造が、彼らを「それしか買えない」状況に追い込んでいるのでしょうか。

ここで、私たちはいくつかの構造的なジレンマに直面します。

1.「経済的効率性」対「倫理的公正性」
ファストファッションは経済的効率性を極限まで追求しました。しかし、その過程で、倫理的公正性、つまり労働者の権利や環境への配慮といった価値が犠牲になっているように見えます。まるで、アクセルを最大限に踏み込み、目的地に最速でたどり着こうとするあまり、途中の信号や標識、歩行者を見落としてしまっている車のようです。

2.「物質的豊かさ」対「精神的充足」
私たちは、安価な服を大量に手に入れることで、物質的な豊かさを享受しているように感じます。しかし、その服がすぐに飽きられ、ゴミとして捨てられるサイクルは、私たちの精神的な充足感を本当に満たしているのでしょうか?

3.「デジタル空間の無限性」対「地球の有限性」
インターネットは、私たちに無限の選択肢と可能性を与えてくれました。しかし、服は、水やエネルギー、そして土壌という、有限な地球の資源を使って作られています。デジタル空間の「無限性」が、地球の「有限性」を覆い隠し、私たちの感覚を麻痺させているのではないでしょうか?


結論

私たちは今、大きな問いの前に立たされています。
それは、「価格」と「価値」の真の姿とは何か、という問いです。

「あなたのクローゼットにある一枚の服は、ただの布ではない。」
それは、グローバル経済の複雑なサプライチェーン、労働者の汗と涙。
そして地球環境への負荷、さらには私たちの倫理的選択が織りなす「物語」の一部です。

私たちは、単に「安い」という価格に惑わされることなく、その商品の背景にある「真の価値」に目を向けることができるでしょうか?
私たちは、自身の消費行動が、遠く離れた人々の生活や、未来の地球環境にどんな影響を与えるのかを想像し、倫理的な選択ができるでしょうか?

もちろん現実的な回答として、「金が無いから仕方ないじゃん。」という声も聞こえてきます。
しかし、流されたままだとワーキングプアは泥沼になります。

誰かがどこかで覚悟と決断をしなければ、この流れは変わらない。
そんなことを考えさせられました。


用語解説(Glossary)

  • SHEIN(シーイン): 中国発のECアパレルブランド。シンガポールに本社を置く。AIを活用した需要予測とサプライヤーネットワークにより、週に2万点以上の新商品を投入し、低価格で世界の若年層に人気を博している。
  • 関税逃れ: 国境を越えた取引において、税関を通さず、あるいは適切な手続きをせずに税金(関税)の支払いを回避する行為。SHEINの「個人輸入」形式での直接配送が指摘されている。
  • オンデマンド生産: 需要が発生した後に、必要な量だけを生産する方式。在庫リスクを最小限に抑えることができる。
  • データドリブン経営: 経験や勘に頼らず、データ分析に基づいて意思決定を行う経営手法。
  • 外部不経済: ある経済活動が、その活動とは直接関係ない第三者や社会全体に、コスト(環境汚染、健康被害など)を負わせてしまう状態。市場の価格には反映されない。
  • 知的財産権侵害: 著作権や特許権、商標権などの知的財産を、正当な権利者の許可なく使用・模倣する行為。
  • 奴隷労働: 非常に低い賃金または無賃金で、移動の自由を奪われたり、過酷な条件下で強制的に働かされたりすること。現代社会における深刻な人権問題。
  • 横流し販売: 別の場所で安価に仕入れた商品を、まるで自社製品であるかのように見せかけて、より高値で販売する行為。特にアパレル業界で問題視されている。

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コメント

  1. 古澤泰明

    今回の記事で考えたこと

    1.その「物」がどこからきたのか?どうやって、どんな人が作られたかをを知る、このことを知らなければ購買という行為が誘導、または操作され、資本家(企業)に搾取されてしまうケースが多いのではないか?
    本当に自分の納得できるものを選ぶことによって見えない力が得られるのではないか?「万物に神は宿る」は工業製品でも一緒ではないか?よい物を身近に置くことで自分が「見えない力に守られる」ことにつながるのではないか?

    2.資本主義の勝者が「善き者」とは限らない、グレーな部分を責めれば利益につながる、そうしたことが企業の成長?規模拡大につながるのだとしたら、新たなルール作りが必要なのではないか?

    3.とはいえ、現行のルールに従わなければならないのも真実。「安ければ安いほどよい」と考える消費者がなぜ存在してしまうのか?情報格差、教育格差が経済格差を生んでいる大きな要因か?
    私は資本主義の現状を「現代の奴隷制度」と一部捉えているが、改善の方策はあるのか?

    同じ中国のオンライン通販サイト、temuを使用したことがあるが、確かに安いが、粗悪な物であると感じた
    いくら安いといっても他の人たちはこの品質で納得するのだろうか?

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