「朱に交われば赤くなる。」
古来より、人間は環境に染まる生き物だと言われてきました。
環境とは何か、それは非常に興味深い問いです。
もし本当に環境が人間のカタチを作るとしたならば、環境を調整することはお金を積む価値があります。
では、現代における環境調整の手段とは何か。
そんなことを考えていました。
現在、若い世代を中心に推し活が注目を集めています。
衣食住のライフラインを守ることが急務とされる中で、進んで身銭を切る。
誤解を恐れずいえば、推しの為なら従来の欲求仮説を無視した行動を取る方々です。
何がそうさせているのでしょうか。
そもそも推し活とは何なのか。
なぜ、こんなにも閉塞感の漂う日本の中で推し活が注目を集めているのでしょうか。
「常連は良いところに座らない。良いところは新参者や観光者に譲る。常連は端や後ろの席を買って隙間を埋めて応援する。何日も。」
例えばこれは、宝塚歌劇団の常連ファンが語ったとされるコメントです。
宝塚歌劇団は100年以上の歴史を誇り、ファンの熱量も高いのは想像が出来ます。
しかしながら、なぜこのような奥ゆかしさを感じられる心境に至ったのでしょうか。
例えば、日本では無口で大人しい性格だった人間が、海外に行くとなぜか活発で話好きに変貌するという事例があります。
つまり、宝塚ファンの奥ゆかしさは元々だったのか、宝塚という因子によって獲得したのか。
あなたはどう思いますか?
しかしながら、宝塚は群を抜いて特殊な環境です。
例えば、専属担当制や一体同心の付き人制、タニマチ制など。
スター達の生涯を支えることがファンの醍醐味であるが故に、日本一戒律が厳しく、各自が役割を担うことがファンであることの証明とも言える環境です。
その意味では、宝塚の場合は”役割がそうさせた”という説も考えられます。
とはいえ、推し活とは何か。
改めて考えてみると非常に興味深い現象です。
「あなたの記憶に残りたい。」
以前までのオタクは、憧れと距離を縮めることが望みのように思えました。
つまり、物理的或いは関係値的に距離が近ければ近いほど、すなわち、距離感が熱量の原動力だった。
なのに推し活においては、まるで隣人として見守ることが主体のようにも見える。
それはつまり、距離感ではない何か別の原動力を欲した活動のようにも感じられます。
これはどういうことなのでしょうか。
「あなたの世界を分けて欲しい。」
推し活とは何か。
結論から言えば、それは、推しの文化圏或いは世界観に同化しようとする活動だと考えます。
つまり、”推し活の原動力は思想的な同化”です。
文化圏に迎合するために必要なもの。
それが物語です。
言い換えれば、”物語に身を委ねて自らを溶け込ませることで推しとの一体感を得ること”を推し活と呼ぶのかもしれません。
「清く、正しく、美しく。」
これは、宝塚歌劇の創始者である小林一三さんの遺訓であり、宝塚音楽学校の校訓であり、宝塚歌劇の訓戒とされる言葉です。
真偽は定かではありませんが、もしかしたら、文化規範が集約された訓戒と物語によってファンは奥ゆかしさを獲得したとも考えることが出来そうです。
それは、すなわち、推すことで環境に同化するということです。
もしそうならば、推し活とは現代における環境調整手段の1つなのかもしれません。
だとすれば、ここで新たな疑問が生まれて来ます。
文化圏への帰属、迎合、同化。
これらは、本当に消費なのでしょうか?
あなたはどう考えますか?
※宝塚歌劇団 とは ※推しの子 とは
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