次世代継承学

【第13話】異文化交流の善き在り方とは何か

「郷に入っては郷に従え。」
4世紀のミラノ司教、聖アンブロジウスが残したとされる言葉です。
この言葉から、異文化交流について考えさせられました。

「異文化の中で生きる時は、その文化や習慣を尊重して受け入れるべきだ。」
ある文化圏に入ったならば、そこに適応することが重要だという意見があります。
それは、個性よりも調和を重んじる必要があるという意味です。
言い換えればそれは、郷の歴史や文化、伝統を尊重するべきだということです。

「自分の価値観や信念を犠牲にすることなく、異文化の中で自分らしさを貫き通すことが大切だ。」
一方で、常に郷に従うことが正しいとは限らないという意見もあります。
調和を重んじるということは、自分の個性を殺すということなのだと。
それは言い換えれば、集団が個人の資質や特徴を抑えつけようとする圧力に対する非難です。

調和か個性か。
あなたはどちらを重んじていますか?

ビジネスの世界には、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)いう言葉があります。

ダイバーシティとは、企業が多様な個性や背景を持つ人材を積極的に雇用すること。
そして、組織にさまざまな従業員が在籍している状態を指します。

インクルージョンとは、多様性を持った従業員同士がお互いに個々の違いを認め合うこと。
そして、一丸となって働くことを指します。

つまりD&Iとは、一言で言えば、”別け隔てなく人々を受け入れて、個性と能力に応じた活躍の場を提供すること”です。

ここまでを聞くと理想的で素晴らしい考え方に聞こえるかと思います。
しかしながら、そこに至るまでには様々な苦労が見え隠れしています。

「日本人であることが恥ずかしい。」
例えば、現地の文化に適応しようとするあまり、自分の国の文化や価値観を否定するような行動を取ることがあります。
つまり、郷に入って従い過ぎると新たな敵意を生み出してしまうということです。

「アーリア人種は人類のプロメテウスである。」
また、企業の海外進出時に、現地の文化や習慣を理解せずに、自国のやり方を押し付けることで、現地の人々との摩擦が生じることもあります。
つまり、郷に従わず自分らしさを譲らなければ、決して交わることのない聖戦が勃発します。

では、私たちが異文化交流をする上で必要なことは何なのでしょうか。

調和か個性か。
私たちは知らず知らずの内に、極端な方向に振り切ろうとする傾向があります。

「交流とは、お互いのより善き何かのために交わることだ。」
しかし、交流することの意味、その原点に立ち返るとまた別な観点が生まれて来るのではないでしょうか。

「郷を知り、郷に貢献せよ。」
私は、交流に必要なことは、相互理解だけではないと考えています。
理解を深めたところで相容れないことはままあるものです。

だからこそ、交流には”自他共に繁栄することを喜ぶ姿勢が求められる”と考えました。

「異文化に対して、今の私が貢献できることは何か?」
お互いの文化や価値観を共有する場はなぜ必要なのでしょうか。
それは、双方が貢献する余地を探すためです。

優劣を探して同化政策を狙うこと。
それは、つまり、グローバリズムという文化輸出を前提に交流するから問題が起きるのです。

郷に適応すること、郷において自分らしさを保持すること。
両者を両立させるために必要なものは何か?

そのために私は、双方の発展に寄与するという姿勢が必要だと考えました。
所属先に応じて、還元先は個人なのか集団なのか、それとも企業なのかが変わっていくのだと思います。

あなたは、異文化交流をする上で何を大切にしたいと考えていますか?


※ダイバーシティとインクルージョンを深く知りたい ※異文化交流において大切なこと ※ナショナリズムとグローバリズムを深く知りたい

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