次世代継承学

【第25話】正義は、悪がいなければ成立しない。

「時の流れは人の価値観を変える。国の指導者も替わる。だから絶対敵なんてものはない。私たちは時代の中で絶えず変化する相対敵と戦っているのよ。」
小島秀夫『メタルギアソリッド』には、敵とは何かを考えさせられるセリフがあります。

人間はなぜ、敵を必要とするのでしょうか。
あなたはどう考えますか?

「自分たちの価値観や信念を再確認するために敵が必要だ。」
敵がいることで自己のアイデンティティを確立出来るという意見があります。
つまり、集団の一員としての結束を強めるために、敵が必要だということです。

「新しいアイディアや技術の発展のきっかけを得るために敵が必要だ。」
一方で、敵や対立する存在がいることで、社会が進化し、変革を遂げるきっかけとなるという意見があります。
つまり、対立や競争を通じて、新しい価値観や技術、文化が生まれて社会全体が発展するということです。

人間の脳は「我々 vs. 彼ら」というカテゴリーを自然に作り出す傾向があるとされています。
これは、古代の人々が生存のために敵と識別し、仲間と協力する必要があったからだと考えられています。

それは、集団組織においても同じで、内集団(自分たちのグループ)と外集団(他のグループ)を区別しています。
そして、人々は自分たちのグループを好む傾向があり、他のグループに対して偏見を持つことがあるとされています。

「絶対に負けられない戦いが、そこにはある。」
伝統的なライバル対決は、ファンや選手たちが自分たちのアイデンティティを強く感じる瞬間をもたらします。
例えばバルセロナとレアル・マドリードの試合はエル・クラシコと言われているように。

また政治的な対立も帰属意識を刺激します。
例えば、冷戦時代のアメリカとソビエト連邦の対立は、双方の国民に強いアイデンティティを持たせました。

敵が存在することで、自国の価値観や信念を再確認出来る。
そして、敵対的なチームが存在することで、自分たちの所属感やアイデンティティが強まるということです。

「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」
企業間の競争は、技術進化やサービスの開発を促進させます。
例えば、DOCOMO、au、ソフトバンクの競争は、長きに渡って業界を牽引しています。

また社会的な変革を求める運動は、しばしば既存の体制や考え方との対立を契機に生まれます。
例えば、公民権運動や女性の権利運動は、社会の不平等や差別に対する反発をきっかけに始まりました。

ではここで一緒に考えて頂きたいことがあります。
古今東西、人類の歴史において敵がいなくなった事例はありません。

それはなぜなのでしょうか?

敵という存在は、人間の心の中に根付いているのか。
それとも社会的な構造や文化によって形成されているのか。

「正義は、悪がいなければ成立しない。」
必要悪という言葉があります。
私たちは自分を肯定するために否定を必要としているのかもしれません。

つまり、真実には嘘が必要であり、善意には悪意が必要であり、平和には争いが必要だということです。

そう考えていくと、人間はもとより悪に魅入られた存在なのかもしれない。
そして、人間は敵がいるから仲間を集めて社会を築けるのかもしれない。

もしそうならば、私たちにはこれからも悪が必要になります。
言い換えれば、貧困や戦争は終わらない可能性があります。

では、未来における敵の在り方と存在意義はどうすべきなのでしょうか。
あなたは、どう思いますか?


※メタルギアソリッド3 とは ※必要悪についてより深く知りたい ※悪と全体主義 とは

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コメント

  1. 星屑のかけら

    『いじめは正義だから、悪を懲らしめているんだぞ。』
    上記を善意無過失で信じている人がいたとして、その人は”悪”なのでしょうか。

    『人はそれぞれ正義があって争いあうことは仕方のないことなのかもしれない。だけど僕の正義がきっと、彼を傷つけていたんだね。』
    ある人にとっての正義や善意は、ある人にとっては間違いであり悪意に見えるのかもしれません。

    世界の終わりの楽曲の中には、”対立”をテーマにした曲が多くあるように感じます。
    メロディーやリズム感に注目が行きがちですが、その歌詞のメッセージが多くの人の心を掴むからこそ、楽曲に人気がでるのではないでしょうか?

    さて、正義は悪がいなければ成立しないか。ですが、私は真であるように考えます。

    正義=正しいこと。であれば、間違いが存在しなければ正義は存在しないということになります。
    間違いが明確でなくとも、直感的に間違いがあることを感じていなければ、正しいことは当然であり認知しない。と考えられるため。

    何が正義で何が悪かの断言はできないとしてもその存在自体は”ある”とでき、2つ以上の考えが存在するときに少なからず「自分にとっての正しさ=正義は、相対的な間違い=悪がある」となるのではないでしょうか。

    • 青木コーチ

      いつもありがとうございます!

      「自分にとっての正しさ=正義は、相対的な間違い=悪がある」
      この言葉が印象に残りました。

      「人が誰かを指摘するけど、視点が変わると、その人が誰かに指摘されている。」
      直近の広告で、電車内のマナーについて考えさせられる広告があります。

      マジョリティが正義として語られることが多いですけど、マイノリティにも正義はあります。
      以前は、2つを統一するのが道徳規範であり、そのために「神」が必要と考えられて来ました。
      しかし現代は神の消失と共に道徳規範が揃わなくなって来た。

      「神仏習合思想を持つ日本人だからこそ。」
      例えばこれについて、編集家の松岡正剛さんは、乗り越えられる可能性について示唆されていました。

      おかげさまで、対立をどう乗り越えれば良いのか、その難しさを考えさせられました。

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