事例分析

【CASE24】カフェ文化から考える孤独社会の未来

今回は、「カフェ文化」の観点から、「孤独社会」の未来について考察していきます。


問題提起

近年、カフェという存在はただの飲食店としての役割を超え、リモートワーカーやフリーランサーの「ワークスペース」として機能しています。
カフェで数時間過ごしながら仕事をする光景はすでに都市部では当たり前となり、PCを開く姿が喫茶店の風景に溶け込んでいるような状態です。

しかし、この変化がカフェ文化や都市にとって好ましいものなのかについては、まだ議論が尽くされていません。

「前年の34件から2倍以上増えて、2023年の喫茶店(カフェ)の倒産件数は72件となった。」
2023年、カフェの倒産数が過去最多を記録したというニュースは、都市経済とカフェ文化に新たな課題が生じていることを予見するのに十分な兆候です。

そもそもカフェ経営は、1年以内の廃業率が30%、2年以内だと50%と言われていることからも簡単ではないことが伺えます。
しかし、なぜ人々がこれほどカフェに足を運んでいるのにも関わらず、カフェ経営者は経営に苦しんでいるのでしょうか。

その理由を探ると、カフェの長時間滞在者が店舗経営に与える負の影響。
つまり「コーヒー1杯で数時間滞在」という一見お得な消費行動が、上がらない単価と回転率の悪化を招いていると。
相乗して、カフェ文化の根幹を揺るがしていることが見えてきます。

「PCやスマートフォンに向かう個人が集い、一杯のコーヒーで時間を潰すことが習慣になったのは良いけれども‥。」
カフェの利用者が増える一方で、店舗の倒産が急増する矛盾。
これこそが、個人の消費行動と社会全体の経済的影響との間に生じた新たなパラドックスであり、我々が真剣に考えるべき問題です。

この未来は、これからの私たちにどのような影響を与えていくのでしょうか。


背景考察

「最初期のスターバックス社は、“本当のコーヒー”を志向する硬派な店だった。」
しかし、後に同社の元会長兼社長兼CEOにまで上り詰めるハワード・シュルツ氏は、顧客の要望に合わせながら店を変えていく姿勢を提唱しました。
それは、言い換えれば正確にKDFを特定して、KSFを当てに行くという戦略です。

その結果、硬派なコーヒー店を目指したスタバは、顧客が望むものを具現化していった末に、大ヒット商品のフラペチーノを発明します。
そしてアメリカの社会学者レイ・オルデンバーグが提唱する「サードプレイス」(第三の場所)の要素を取り入れました。

一方で、スタッフ教育においては豆の種類や焙煎、らしさの追求といった上質を演出するに相応しい徹底して硬派な路線を歩みます。

「なぜスタバは激戦区と言われる業界において一等地を抜くことが出来たのか?」
その答えは、時代と人の変化を読み解き、カフェの未来像をKDFとして想定したことにありました。

「スターバックス流サードプレイスを端的に言えば、コミュニティの核を作る仕掛けである。」
90年代以前はイデオロギーや宗教がコミュニティの核であり、核があればこそ社会関係資本は生み出されるものです。
しかし、その潮流は90年代に崩壊していきました。

量的個人主義(同質志向)から質的個人主義(異質志向)へと進化する人々。
異質な者たちが集まろうと思った時、すなわちコミュニティを作ろうと入ろうと思っても、基礎がないしそもそも場がないと。

「だとするならば‥、その瞬間、人々は、お互いの同属性を確認/実感/承認できる場所と手段を求めるのではないだろうか?」
そう、彼らはそこでKDFを発見したのです。

そしてそのKSFが、サードプレイス(家庭でも職場でもない第三の場所)であり、スターバックス社はカフェという領域でサードプレイスを再発明したということです。
その結果、スタバの放つ強烈な連帯感と同一性が「スターバッカー」という世界に広がる熱狂的なマニアを創出することに繋がっていく。
それはまさに、時代の潮流を読み解いたことで得られた先行者利益だったと解釈することが出来るのではないでしょうか。

そもそも私は、中長期経営計画とは、先行者利益を獲得するために在るべきだと考えています。
ランチェスター戦略に類するNo1ニッチ戦略や二番手戦略は、あくまで挽回施策として数えたい。
まずは、先行者利益を獲りに行くべきではないかと。

そのために未来を身近にする必要があると思っているので、このような記事を日々構想して書いて、週末に向けて張り切っています。

「私たち一般消費者は、スタバの成功によってカフェを一種のサードプレイスとして捉えているが、そこには根本的な矛盾がある。」
そう、何が言いたいかと言うと、スターバックス社の取り組みを基点としたNo1ニッチ戦略や二番手戦略が悪いのだと言いたい訳ではありません。
経営者も消費者もステークホルダーたちも、先人の発見と発明に隠された意味と意図に光を当てずに、ただただ眩しい光に誘われてしまうと影が生まれるということです。

言ってしまえば、そもそもカフェは本来、一時的に立ち寄って短時間滞在するための場所であり、長時間占有することは想定されていなかったのではないでしょうか。
しかし、スタバのまばゆい光に誘われるままにコンセントを配置して馴染みやすい空間演出に力を入れた結果、消費者も環境がそうさせるのだからスタバの光を悪気なく盲信していく。
それが「空間の私物化」によって各店のカフェ文化が崩壊しつつある今現在なのではないでしょうか。

カフェは個人にとって、一時的な安らぎの場所であり、集中力を高めるための逃避場となります。
しかしそれは同時に、他の利用者や経営者にとってはリソースの占有となり、ビジネスモデルに大きな影響を与えるものです。
つまり、カフェは「個人の快適空間」として機能する一方で、「共有スペース」としての役割を果たすことに失敗しているということです。

「オルデンバーグが提唱したサードプレイスは開かれた交流の場だったが、実店舗流サードプレイスは個人の孤独感を増幅させる装置になっている。」
カフェはかつて、友人や同僚との交流の場であり、地域コミュニティの中核を担っていました。
しかし現代のカフェは、単なる飲食空間から、情報空間・労働空間へと変質した結果、むしろ「孤独の拠点地」として機能し始めているではないでしょうか。

そう、私たちは気付かない内に、日頃の孤独感を癒すふりをして、適度に雑音が聞こえる居心地の良い空間に依存し、さらに自ら孤立を深めているのかもしれない。
現に、消費者は集中出来る時間を得るためにカフェに来ますが、店内では周囲との接触を断ち、自らの内的世界に閉じ籠もろうとする。
つまり、来店理由はかつてのように「社交」のためではなく、自らの「孤立」を補完するためなのではないかと。

「人々は、自らの孤独感を逃避するために集まりながらも、他者との関わりを避けるというパラドックスに陥っている。」
それは、フランスの社会学者エミール・デュルケームが提唱する「アノミー」が進行している空間なのかもしれません。
つまり、第三の集いの場としてサードプレイスを求めていたはずが、いつの間にか個々人の孤独感を加速させるシェルターになっているということです。

「スターバックス社が出店すると、他社の出店を呼び込み、近隣に持続的な連鎖消費サイクルが生み出される。」
カフェワーカー(ノマドワーカー)の登場により、カフェの存在が都市の商業空間に影響を与える現象も見られます。
そう、カフェはすでに「コーヒー、出会い、会話を楽しむ場所」だけではなくなり、経済、文化、社会に多大な影響を与える存在となっています。

しかし、孤独の拠点地として機能していった場合、「消費」と「浪費」の境界は極めて曖昧になっていくことが想起されます。
効率的に作業をしているようでいて、その時間が実際には「何かから逃れるための自己防衛である」ことも少なくないでしょう。
それは、いわば「社会的な時間と空間の浪費」であり、他者との関わりが削がれ、結果として都市の活気が失われる一因ともなり得るのかもしれません。

では、私たちはこの問題にどのように立ち向かうべきなのだろうか?

「カフェは、単なる一時的な作業スペースではなく、地域コミュニティを再生させるための“接続拠点”としての役割を果たすべきだ。」
私は、カフェ文化が「孤立の象徴」として固定される前に、新たな価値観と利用形態を提案する必要があると考えています。
例えば、次世代のカフェは「公益の場」で在るべきだという仮説を提起したいです。

そのために、カフェ利用者が店舗に対して小額の寄付を行い、その寄付金を地域コミュニティや社会活動のために活用する仕組みを導入することが考えられます。
これにより、カフェはただの「消費空間」ではなく、「地域貢献型空間」として再定義されていくのではないでしょうか。
加えて、シェアオフィス機能や地域イベントの開催場所としての役割を強化することで、社会的な連帯感を育む役割を果たすことが出来ると考えます。

また、消費者の観点から言えば、「公益型カフェ」を実現するためには、我々の消費行動を見直すだけでなく「空間と時間の倫理を再構築する」必要があります。
そのために、例えば自治体は、子どもから老人まで集まれる公共空間の存在意義を広める努力が必要です。

そして、コワーキングスペースとカフェの違いを明確に差別化していき、目的に応じた使い分けという意味で消費者倫理を啓蒙することが求められるでしょう。
それにより、目的から外れて空間と時間を占有し続けることが、結果的に他者の利用機会を奪い、店舗経営を圧迫するという事実を自覚していく必要があります。

「スターバックスを待つのではなく、呼び込む努力が必要になる。」
地域コミュニティの拠点となる公益型カフェを実現しようと思えば、自治体と企業の連携、或いは自治体から企業を誘致する努力が必要となるでしょう。

そう、もしもフォースプレイスという第四の場があるのだとすれば、それは場を超えた公益空間になるのかもしれません。
それは、孤独を乗り越え、社会の一員としての自覚を取り戻すための空間になっていくのかもしれない。
そんなことを考えさせられました。


結論

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コメント

  1. 古澤泰明

    読み応えのある面白い記事でした
    閉鎖的なサードプレイス化したカフェにより、経営側も利用者側も疲弊しているのが現状と感じました。
    利用者側も経営側になって考えれば混んでいる時間帯の利用は避けることや長い時間滞在した時にはコーヒーだけではなく、他も頼むなどの売り上げに対する貢献?をするべきだと私は思いますが、なかなか、、、学生もいますし
    カフェ✕公共=フォースプレイスはよい考えですね!街作りの中にこういった発想が取り入れられると面白そうだなと感じました。日本は単身世帯や独身者が今後さらに増えるので「居場所」を創出する産業が生まれるかもしれませんね

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