「自殺大国日本と言われているけど、その原因が経済的社会的な理由で心が絶望した時になるって分かっているのに止められない。それはなぜなのか。」
地域で包括的に見守りサービスを展開されている方とお話をした際に、自殺について考えさせられる言葉を頂きました。
「バブル崩壊後の失業率の上昇や、金融危機による経済的不安が自殺率を押し上げた。」
自殺率は経済的要因によって変動するという意見があります。
例えば、1997年のアジア通貨危機後、お隣の韓国では自殺率が急増しているケースがあると。
日本人は満たされているがゆえに気付かないが、そこには経済的な要因や物質的な困難が要因となっているのだと。
「戦時中の国家的な統制や高度成長期の社会的な希望が自殺率を抑制した。」
一方、社会心理的要因によって変動するという意見があります。
自殺率の変動は社会的な圧力や孤立、文化的な価値観の変化など、経済以外の要因によるものだと。
例えば、第二次世界大戦中のドイツや日本で見られた自殺率の低下は、国家的な統制と社会的な統一感が自殺率を抑える要因となったのだと。
自殺率の変動要因は経済的要因か、それとも社会心理的要因にあるのか。
あなたはどう思いますか?
「自殺率の変動要因は、一見すると社会心理的要因に集約されていくけど、結果が分かりやすいからと言って物事が浅いということにはならない。」
捉え方が浅いと物事も浅くなっていきます。
分かりきっている結論かもしれませんが、少しずつ言葉にしていきます。
「日本の自殺率推移は、歴史的に見て大きな変動を経験している。」
1936年までは緩やかな上昇傾向にありましたが、戦時中には最低レベルに低下し、高度成長期には再び低下しました。
しかし、バブル崩壊後や2008年の世界的な金融危機後には自殺率が上昇しました。
日本の自殺率と失業率の関係を分析した研究では、失業率が1ポイント上昇すると自殺率が0.27ポイント上昇するという結果があります。
また、失業者の自殺率は非失業者の約3倍であり、失業期間が長くなるほど自殺率が高くなるという傾向も見られます。
社会学者の大塚久雄さんは『自殺の社会学』で、自殺率は経済的な困窮や社会的な混乱などの経済的要因によって上昇すると語られています。
そして、自殺率が高い時期は社会の変動期であり、自殺率を低下させるためには、社会保障や雇用政策などの経済改革が必要だと提言しています。
ちなみに、世界の自殺率と経済危機の関係を分析した研究では、2008年の金融危機によって自殺率が急増した国が多く見られたそうです。
特に、欧州やアメリカでは、金融危機の影響で失業や貧困が増加し、自殺率が上昇したという報告があります。
しかしながら、経済状況と自殺率の関係は必ずしも一定ではなく、時代や国によって異なる場合があります。
「日本ではバブル崩壊後の自殺率の急増が顕著であるが、他の先進国ではそのような傾向が見られない。」
つまり、それは、経済状況と自殺率の関係は単純な因果関係ではなく、他の要因との相互作用があるということです。
例えば、経済的な困難に直面した人々が自殺するかどうかは、社会的な支援や精神的な健康状態などにも影響されると。
「始まりや根幹は経済的要因にあり、自殺には多様性や個別性がある。」
動機や背景には複雑な紐帯が存在しているということです。
つまり、それが社会心理的な理由に繋がっているのかなと。
しかし、必ずしもお金だけがすべての理由ではない可能性があります。
「自殺率の変動は社会的な圧力や孤立、文化的な価値観の変化など、経済以外の要因による。」
日本の自殺率と社会的な統合の関係を分析した研究では、社会的な統合が低い地域ほど自殺率が高いという結果があります。
社会的な統合とは、家族や友人との交流、地域活動への参加、宗教的信仰など、社会の連帯感のことです。
言い換えれば、社会関係資本が少ない社会は自殺率が高いということです。
「個人主義的な文化では、自己決定や自己表現が重視される一方で、社会的な支えや帰属感が低下する。」
世界の自殺率と文化的な要因の関係を分析した研究では、個人主義的な文化ほど自殺率が高いという結果があります。
フランスの哲学者モンテスキューは『法の精神』で、自殺率は気候や宗教、政治制度などの社会的な要因によって異なると語っています。
彼は、自殺率が高い国は自由や平等が欠如していると考え、自殺率を低下させるためには、法の支配や分権制などの政治改革が必要であると提言しています。
何をしても良いけど自己責任。
つまり、極端な自由は呪いにもなり得るということです。
ではここで一緒に考えて頂きたいことがあります。
「社会的な圧力や孤立、文化的な価値観の変化。これが理由だとしても対策が追い付かないのはなぜなのでしょうか。」
あなたはどう思いますか?
「この世界は、すべて数値化して証明が出来るはずだ。」
ある人は、21世紀に人類の身の回りにあるものはすべてデータ化されたと言います。
世の中の謎、解き明かされていない秘密、それらはすべて数字で証明出来る。
定性と定量という考え方自体も、人類は数値化に成功して乗り越えているのだと。
しかし私は、必ずしもそうではないと考えています。
定性と定量に属さないものがあると。
それは、定振という概念です。
揺れるもの、安定しないもの、定まらないもの。
私にとって、「間」に由来するすべてのものは定振に属するものと考えています。
例えば、人の心や社会関係資本は、定量的に測定して分析が可能だと思われていますが、実は正確ではありません。
私たちは、理論や論理的な思考を基に、確からしさを信じようとしているだけです。
「社会的な統合や個人主義といった概念は、国や地域によって定義や尺度が異なる場合がある。」
仮に、定量的なデータをもとに社会心理的な対策に依存すればどうなるのか。
これもまた完全な策にはならないでしょう。
なぜなら、個人や集団の主観や価値観に左右されるからです。
「私たちは、定振度合いを確かめるために、引き出すという所作が必要になる。」
ロシア帝国の小説家ドストエフスキーの「罪と罰」やフランスの小説家アルベール・カミュの「異邦人」。
これらの文学作品は、個人の苦悩と社会的な環境によって個人の内面と社会的な状況がどのように相互作用し、絶望に至るかを示しています。
つまり、定振的なものは、観察は出来るがその瞬間を捕まえることが難しいということです。
だからこそ、「引き出して気付くこと」が必要なのです。
医学の世界では、対症療法と原因療法という考え方があります。
対処療法とは、病気によって生じている痛みや発熱、せきなどの症状を和らげたり、無くしていく治療法です。
一時的に病気の症状を和らげるもので、病気そのものやその原因を治療するものではありません。
原因療法とは、病気の原因を根本的に取り除くことを目標とする治療法です。
「経済と社会が結び付いた世界において、原因療法は正しいが採用されにくい側面がある。」
対処療法は物が売れ続ける仕組みですが、原因療法は物が売れなくなる仕組みです。
そこに加えて、原因療法は定性と定量のアプローチではないかもしれない。
おそらく、定振的なものは「引き出すこと」でしか有効なアプローチとならないのではないでしょうか。
つまり、定性と定量という考え方では歪みを捉えきれないということです。
「定振を引き出せる人が周りにいない。」
これが自殺予備軍、及び社会で心の不安や人間関係の不安に悩む人たちの陥っている問題なのかもしれません。
なぜなら、定まっていないからこそ、その瞬間に適切なアプローチが出来ないからです。
あなたは、誰かの悩みや不安に対して日々どのように寄り添っていますか?
※自殺の思想史―抗って生きるために ※ルポ自殺 : 生きづらさの先にあるのか ※こころが動く医療コミュニケーション読本
人の悩みを定振的に引き出すってめちゃくちゃ難しいですね、すごく人生経験がある人で、真剣にその人を救おうとしないと出て来ない答えなのではないかと思いました。
私は、人が何かに真剣に悩んでいる時に諦めることを提案することがあります。
基本的に応援はしていますが、悩みから解放されて欲しいのでいい意味での諦めや方向転換の話をすることがあります。
悩んでいる人もそういう、自分では決めきれない決断を他の人に言って欲しい時があるのではないかな?と思います。
いつもありがとうございます!
「基本的に応援はしていますが、悩みから解放されて欲しいのでいい意味での諦めや方向転換の話をすることがあります。」
この言葉が印象に残りました。
とても共感させられました。
私たちの多くは、少しでも善い選択肢を選びたいという衝動を持っています。
そして、メンターやコンサルはそれに沿うようにサジェストを試みます。
「本心では分かっていても受け入れたくないから、止められない。」
しかし、中にはそんな状態に陥っている人もいます。
「失敗しない(後悔しない)やり方を教えます。」
SEO上位は選択肢を間違えないためのワードで、ノウハウ系の商材や動画も同様です。
つまり、それは、「選択肢を間違えたことで悩まれる人が多い」という証だと捉えています。
しかし私は、選択肢ですべてが決まるとは思っていません。
「選んだのなら、それを正解にするために努力を怠らないように。」
普段、そんなことを言わせて頂いています。
そんなことを考えさせられました。