事例分析

【CASE27】エシカル消費から考える消費行動の未来

今回は、「エシカル消費」の観点から、「消費行動」の未来について考察していきます。


問題提起

8万3000ヘクタール以上ものバナナとパイナップルの農地を持つコスタリカは、世界第三位のバナナ輸出国、そして世界一のパイナップル生産国である。
2023年には、主に米国と欧州にむけて、200万トンのバナナと250万トンのパイナップルを生産した。

2000年から2015年のあいだに、コスタリカのパイナップル生産量は700%の増加を成し遂げた。
しかし、これは同時に5000ヘクタールの森林破壊と、地域社会での農薬による深刻な健康問題をもたらした。
2022年の国連開発計画(UNDP)の調査によれば、コスタリカの農薬使用量は1年に1ヘクタール当たり34.45kgにもおよび、これは世界でも有数の水準にある。
―クーリエ・ジャポンー

私たちの日常生活は、無数の選択で構成されています。
朝食に選ぶ果物から、通勤時に利用する交通手段、週末に購入する衣料品まで、その一つ一つが世界のどこかで誰かの生活や環境に影響を及ぼしています。

最近の調査によれば、私たちが何気なく手に取る果物が、遠く離れた国々での環境破壊や労働者の健康被害と深く結びついていることが明らかになっています。

例えば、コスタリカに在住の親子の血液からは、クロロタロニル、マンコゼブという発がん性のある防カビ剤。
子どもの神経に毒となるクロルピリホス、神経発達を阻害する殺虫剤成分であるネオニコチノイドなどが検出されています。
この事実は、収穫量の最大化と欠陥のない作物を作るために、20年以上飛行機による農薬散布で化学薬品を集中的に使用した結果です。

「欧州で禁止された農薬がそれ以外の他国で使用され、その結果生産された農産物が私たちの食卓に並んでいる。」
この事実を知ったとき、私たちはどのような責任や役割を感じるべきなのでしょうか。
また、消費者としての選択が他者の生活や環境に影響を与えるという認識は、どの程度まで私たちの価値観や行動を変えるのでしょうか。

そして倫理的な消費について考えることは、未来の私たちにどのような影響を与えていくのでしょうか。


背景考察

EUは、2019年から2021年にかけて、発がん性、内分泌かく乱、子供や胎児の脳障害の危険性、
生態系や水棲生物への影響の懸念から、複数の殺虫剤を加盟国内で使用禁止とした。

だが、コスタリカの農業省、国家植物検疫局のデータを見ると、クロルピリホス(ベルギーから輸入)、マンコゼブ(イタリアから輸入)、
ダイアジノン(スペインから中国を経由して輸入)など、EUで禁じられた農薬が、いまだに中米諸国で大規模に使用されていることがわかる。

有害物質や殺虫剤の輸出は、ロッテルダム条約によって世界的に規制されているが、これは輸入するかどうかを各国に委ねるものである。
一方、EU外への輸出品と、EUの輸入品については、インフォームドコンセント制度が取り締まっている。

欧州委員会の環境広報官アダルベルト・ヤンツは、「EUからの輸出を禁止しても、第三国がその使用を必ずしも中止するとは限りません。
これらの国々に使用中止を呼びかけていくことこそ重要です」と述べた。
―クーリエ・ジャポンー

まず、ここで想起されるのは、「見えざる手」による市場調整の限界です。
アダム・スミスの経済学説は、個人の利己的行動が社会全体の利益につながると説きましたが、グローバル化した現代社会では必ずしも当てはまりません。
むしろ、個々の消費行動が遠く離れた地域での環境破壊や人権侵害を助長する「負の外部性」を生み出す可能性があります。

それは、つまり、「21世紀以前の経済学理論には、自然環境指数や生産倫理指数とでも言うべき値が含まれていなかった。」ということです。

例えば、私たちが安価なファストファッションを購入することで、発展途上国の労働者が劣悪な環境で働かざるを得ない状況を助長しているとしたらどうでしょうか。
また、便利な使い捨てプラスチック製品の大量消費が海洋汚染を引き起こし、海洋生態系に深刻なダメージを与えていることはすでに周知の事実です。

つまり、昨今話題に挙がる倫理的消費という概念は、革新的な傾向ではなく、グローバルな相互依存性が深化した現代社会における必然的な課題と言えるでしょう。

「自分にとってベネフィットがあることだが、それはモラル的にやってはいけないし将来的にも良くない。でも自分の現実や信条も大切だ。どうする自分。」
このような現実を前にして、私たちは「エシカル・ジレンマ」に直面しています。
すなわち、自分の快適さや便利さを追求する生活と、持続可能性や他者への配慮を重視する生活の間で揺れ動く葛藤です。

この葛藤は、一人の行動が大きな変化をもたらすのかという無力感や、社会の中で自分だけが異なる振る舞いをすることへの不安をもたらします。

「おれ一人の振る舞いで社会が大きく破滅するわけないでしょ。だったら自分は儲けさせてもらうよ。しかも他の人がズルしてたらおれだけ損するしさ。」
通常の人間は、「バタフライ・エフェクト」「合理性の誤謬」を感知することが出来ません。
なぜなら、記憶のある範囲にしか知覚が及ばないからです。

しかし私は、これを覆す精神力こそが日本人の力強さの源だったのではないかと考えています。

そう、つまり、因果応報や輪廻転生という禍福善悪のすべてが巡るという発想を享受していたことが日本人の凄さでした。
言い換えればそれは、自然を含む万物への思いやりと慈しみは「行いは、いずれ巡って来るだろう。」という感覚があったから生まれたということです。

「今、私たちは摂理を手放してしまっている。」
その理由は明確で、日本人は貧困という将来の落とし穴に焦燥感を感じているからです。
そして、思想の構造にイギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミルが提唱する「自己責任論」が日本人の思想と見事に融和してしまったからです。

自分の努力範囲で起きる困難な状況には、「自分で招いた結果だよね。」と言われる。
事故や病気など、自分の力ではどうしようもない被害には「日頃の行いが悪いからだよ。」と言われる。

いかがでしょうか、我々の身に起きるすべての出来事が八方塞がりになっているとは思いませんか?

では、物事が巡らないという感覚は、我々に何をもたらしたのか。
そう、それが焦燥感です。

「隣人よりも上へ、同年代よりも先へ、本名も知らない誰かよりも幸せでありたい。」
焦燥感が魔を引き寄せて、保身に走らせて、消費行動を加速させていく。
それが常識になればなるほど、経済が加速してビジネスは潤う。

では、私たちはどうすれば良いのでしょうか。
もし、日本人一人ひとりの意識が変わることに期待出来ないとなれば政策の1つとして何かをする他ありません。

その場合、例えば「倫理的価値税」の導入による、倫理的な生産を促進する新たな経済モデルを構築することが考えられます。

例えば、消費者の購入履歴が生産地の環境改善に直接貢献するシステムが導入されたらどうでしょうか。
あるいは、個人の消費行動が他者の幸福度にどう影響するかを視覚化するアプリが開発されたらどうでしょうか。
さらに言えば、消費者が購入する商品に対して、環境や社会への影響を示すスコアを義務化する法律を制定するというのはいかがでしょうか。

これらのアイデアは夢物語のように思えるかもしれませんが、ブロックチェーン技術の本質が追跡と不可逆性にあると考えるならば。
商品の生産過程を完全に追跡し、透明性を確保すること、すなわち「トレーサビリティ革命」は十分可能だと考えられます。
もしそうなれば、消費者はスマートフォン一つで商品の背景情報をリアルタイムで得られるようになるでしょう。

またこの流れが進めば、倫理的消費をサポートする「エシカルショッピングアシスタント」の開発へと繋がることが想定出来ます。
それは、AIが商品の生産過程や環境への影響を評価し、社会的コストをリアルタイムで消費者に提供することで、選択の質を飛躍的に向上させるというものです。
これにより、消費者は「情報の非対称性」を克服し、倫理的な選択を容易に行うことが出来ると考えられます。

また、ここで重要なのは、義務教育時代からテクノロジーを倫理教育の一助とすることが可能になるという点です。
なぜなら、スマホさえあれば、エコ意識よりも現実的な、エコスコアが確認出来るのですから。

そしてこの取り組みは、法の抜け道を探してずる賢く稼ごうとする企業に対して新たな圧力を掛けることが出来ます。
消費者が企業の倫理性を評価し、それが企業の市場での優位性に影響を与えるシステムが導入されれば、企業は透明性の確保と倫理的なビジネスモデルの構築を迫られます。
これは「グリーンウォッシュ」のような見せ掛けのCSRやSDGs、或いは表面上の環境配慮を未然に防ぐ効果も期待出来るでしょう。

つまり、サプライチェーンが公に可視化されるため、賃金格差や待遇改善に繋がるということです。
これを実現しようと思えば、まずはIRに表記を義務付けることから始めるのが第一歩として有効なのではないでしょうか。

このような動きは、社会契約論や功利主義といった哲学的な議論とも深く結びついています。
社会全体の幸福を最大化するために、個人の選択がどのように貢献できるのか。
ここで重要なのは「倫理的個人主義」の視点であり、自らの行動が他者や環境に及ぼす影響を主体的に考える態度です。

また言い換えれば、「倫理的消費」は現代の消費社会における「モラル・エコノミー」の再構築とも言えます。
市場原理だけでなく、倫理的価値観が経済活動に影響を与える社会では、消費者と企業の関係性も質的に変化すると考えられます。

このように、私たちが直面するエシカル・ジレンマは、個人の問題であると同時に社会全体の課題でもあります。
消費者一人ひとりの選択が集積され、それが市場を変え、ひいては生産現場や環境にまで影響を及ぼす可能性を秘めています。

未来を見据えると、倫理的共感経済の成立や、グローバルな環境正義の実現といったビジョンが現実味を帯びてきます。
それは、国際的な環境規制が統一され、生産国と消費国が協力して持続可能な農業と公正な貿易体制を確立する世界です。

そのためには、私たち一人一人が「消費者主権」の意識を持ち、倫理的選択を積極的に行うことが求められます。
それは同時に、企業に対して透明性と社会的責任を果たすよう求める圧力にもなります。

「他者への責任こそが自己の存在を定義する。」
最後に思い起こしたいのは、フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスの言葉です。
私たちの消費行動が他者や環境にどのような影響を与えるのかを深く考えること。
それが成熟した社会への第一歩であり、より良い未来を創造する鍵となるのだと。

そんなことを考えさせられました。


結論

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コメント

  1. 古澤泰明

    このブログのトレーサビリティのシステムが導入されると賢い消費者が増え、よりよい社会への変革が進む可能性がありますね
    しかし、
    1.とにかく安ければよい、とかそもそも倫理的に消費を考えるというということを拒否する層はどうなるのか?
    2.アービトラージ的なビジネスをやりづらくなるので企業や国が導入を妨害するかも
    3.倫理的消費を資本主義のシステムに導入した際、うまく機能するのか?(現在の資本主義のシステムでは拒絶されるよいな気がして)
    以上のような問題が生じるのではと考えました。
    ただ、こういった価値観に社会変革が始まることは私としてはよいことだと思います

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