今回は、「リサイクル」の観点から、「創造力」の可能性について考察していきます。
問題提起
この20年の間に、人類は25億トンのプラスチックゴミを生み出した。
1年間で排出する量は約3億8000万トンにも及び、2060年までには、その量はさらに3倍になると見込まれている。
太平洋のど真んなかには、英国本土の7倍の大きさもあるプラスチックゴミの島(太平洋ゴミベルト)が浮かんでいる。
―クーリエ・ジャポンー
環境保全への意識が高まる現代。
私たちは日々の生活の中でプラスチックごみをリサイクルボックスに捨てることで、地球に貢献していると感じてはいないだろうか。
しかし、その行為が本当に環境に良い影響を与えているのか、立ち止まって考えたことはありますか?
例えば、新しい本を購入しただけで賢くなった気になっていないだろうか。
健康器具を手に入れただけで健康になったと安心してはいないだろうか。
募金をしただけで社会問題が解決したと感じてはいないだろうか。
これらは「自己満足の罠」とも言える心理的効果であり、実際の行動や成果とは乖離している可能性があります。
同様に、プラスチックごみをリサイクルに出すだけで環境問題に取り組んでいると感じるのは、「リサイクルの幻想効果」(造語)とも呼べる現象かもしれません。
それは、リサイクル行動が環境問題への真の関心を減少させるという仮説です。
ここで一つの事実を提示させて頂きます。
実は、リサイクルプロセス自体がエネルギーを大量に消費し、さらには環境負荷を増大させている可能性が指摘されています。
いわばこれは、「リサイクルの逆説」と呼ばれるものであり、環境社会学においても議論の的となっています。
もしもリサイクルに貢献することは善意の証であるという神話が崩壊した時、未来の私たちにどのような影響を与えていくのでしょうか。
背景考察
カンボジアのごみ問題は、自国で廃棄されたプラスチックの不適切な処理が原因だとされてきた。
本紙がシアヌークビルで取材していなければ、プラスチック製容器包装がアメリカから輸入されたものだとはわからず、プラスチックごみの行方は不明なままだっただろう。
専門家の推定では、世界各国のリサイクル施設に運びこまれたプラスチック製容器包装の20~70%がリサイクルされずに投棄されている。
シアヌークビルでプラスチックごみが廃棄物と化すのは、当然の成り行きかもしれない。
―クーリエ・ジャポンー
私たちは日々、環境保全の名のもとにリサイクルボックスへプラスチックごみを投じています。
それは環境倫理に則った行為であり、地球の持続可能性に寄与していると誰もが信じています。
しかし、この行為は果たして本当に環境保全に資するものでしょうか。
「プラスチックごみのリサイクルは、実際には他国への廃棄物輸出という形で行われているケースが多い。」
実は世界では、バケツの水を隣人の庭に捨てるような現象が実際に起きています。
当然ながら自分の家は綺麗になったとしても、その汚れは他者の生活環境を侵害することに他なりません。
「自分の部屋のゴミを隣の家の庭に捨てるように、先進諸国は他国に負荷を負わせて環境美化を目指しているのではないか?」
私たちが捨てたプラスチックごみが、他国の環境汚染や労働者の健康被害に繋がっているという現実は、今や無視出来ないものとなりつつあります。
そう考えれば、先進国のSDGsは環境負荷を意図的に他国に移す活動なのではないかとも疑いたくなるような話です。
そう、つまり、私たちは知らぬ間に、環境正義と倫理的消費の概念を問われ始めているのです。
「現代社会は、氷山の一角に囚われている。」
表層的には環境に良いことをしていると信じられていることでも、実はその背景に巨大な問題が潜んでいることが明るみに出てきています。
例えば、EV車はクリーンエネルギーを動力とする環境に優しい自動車という触れ込みで周知されて、人々は国の補助金対象となったこともあり、そう信じて疑いませんでした。
しかしその実態は、バッテリーの再利用が出来ず、ガソリン車よりも製造工程でエネルギーを消費しているというものでした。
プラスチックごみの問題で言えば、あたかも世界は3R(リデュース・リユース・リサイクル)でクリーンに循環されているように思いますがそうではありません。
すでに果物や野菜の中にも根を通じて入り込んだマイクロプラスチックやナノプラスチックの粒子が検出されています。
さらに、人間のほぼすべての臓器からマイクロプラスチックが検出されており、母乳を介して母から子にもたらされることさえあると言われています。
つまり、循環はされているが弊害が蓄積されているというのが実情です。
「我々が信じていたリサイクルの善意は、実は環境負荷を増大させているのではないか?」
そう考えれば、もしかしたら私たちは知らない間に他者に被害を与えている、「見えない加害者」となっている可能性があります。
もしそうだとするならば、何を信じて行動すべきか分からなくなるという葛藤に直面するのは時間の問題です。
環境のための行動が実は悪影響かもしれないという不安。
行動を変えるべきかそのまま続けるべきか迷う感情は、私たちの心を大きく揺さぶる問題となっていくことが予想されます。
言ってしまえば、「リサイクル神話の崩壊」です。
法的な観点から見ると、バーゼル条約の遵守が問われる事態であり、有害廃棄物の輸出入に関する国際条約が適切に守られているのかを見直す必要があります。
また、リサイクル業者や政府がリサイクルの実態を正確に公表する情報開示義務が果たされているのでしょうか。
さらに言えば、消費者保護法の観点からも、誤解を招く情報が提供されていないか検証する必要が出てくるでしょう。
「この問題の根底には、環境社会学で言うところのリスク社会が存在する。」
ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックが提唱したリスク社会という概念は、現代のプラスチック問題にも適用できるものです。
技術や制度が高度化する中で、新たなリスクが生み出され、それがグローバルに拡散しているのだと。
では、ここで私たちはどうしていくべきなのでしょうか。
社会全体としては、リデュースとリユースを優先することが重要だと考えられます。
それは、リサイクルを効率化することよりも、そもそもごみを出さないこと、使えるものを再利用することを優先する社会への転換です。
また、中長期的な目線で言えば、プラスチック代替素材革命として、全く新しい環境負荷のない素材の開発と普及も必要となるでしょう。
そしてリサイクルの側面で言えば、製品規制法の強化や環境に配慮した行動を促進するための税制優遇や補助金といったインセンティブ政策が求められるでしょう。
早すぎた大発見
2001年、ある日本人科学者たちのグループが、リサイクル工場で驚くべき発見をした。
ゴミの山の中で、ペットボトルやおもちゃなどのゴミを嬉々として分解している細菌を見つけたのだ。
その細菌は、ゴミを分解する際にプラスチックに含まれる炭素をエネルギーとして取り込むことで成長・移動し、プラスチックを大量消費する細菌へと分裂していた。
手から口へと運ばれ、そこから胃に至るという、人間が理解しているような形ではないが、たしかにプラスチックを食べていたのだ。
その科学者グループのリーダーを務めていたのが、京都工芸繊維大学の小田耕平教授だった。
―クーリエ・ジャポンー
「微生物には、地球上の有害な毒素を中和し、その過程で周囲の環境全体を浄化する能力がある。」
そんな中で、実は今、微生物を利用したプラスチック分解技術が注目を集めています。
発見は日本ですが、フランスが最先端を行く分野です。
「魔法のごみ箱にプラスチックを投じれば、瞬時に分解され、環境への負荷がゼロになる日が来る。」
もしも将来そんなことが実現されれば、とてつもないインパクトを与えるでしょう。
しかし、なぜ日本が発見したにも関わらず出遅れているのでしょうか。
その理由は至極単純なものです。
往々にして人は確実なリターンが期待出来る投資を望むからです。
言い換えれば、収益が期待できるものに投資をすることが得をするというのが常識になっているということです。
つまり、そこに官民連携は無く、環境保全をしても得られるものがないと投資家は考えるからです。
例えば、100%リサイクルで生まれた服と機能性に優れた服が同じ値段だったらどちらを買いますか?
もしも展示会で「100%リサイクルで作られたイヤホンがありますよ!」と言われたら観に行きますか?
そう、ほとんどの人が買わないし行かないのです。
つまり、売上も立たないし、集客も見込めない。
そこに投資をしようとする人が日本では少なかったということです。
では何がそうさせているのでしょうか。
その原因は2つあると考えます。
1つは、やはり冒頭に申し上げたように、口当たりの良い情報が多すぎるが故に、「自己満足の罠」に陥っているからではないでしょうか。
つまり、言ってしまえば、環境保全はパフォーマンスとポジショントークに利用されているからです。
もう1つは、中長期経営計画の中に先行者利益を獲りに行くという気概が抜け落ちているからです。
発見から20年、差がついたのは中長期的な展望と未知のものを形にする戦略と企画力だと思います。
もちろん、国や企業だけが悪いわけではありません。
我々一人ひとりが「未知のものを想像する力」が足りなかったということなのでしょう。
目の前にある100%再生利用されたペットボトルを見て、「もしかして再生利用家具を作れば面白いのでは?」という発想にならなかった。
「機能性が求められる衣服を100%リサイクルで攻めるよりも、日常品の家具ならば活路があるのではないか!?」という発想の転換が生まれなかった。
もっと言えば、「微生物を利用したリサイクルBOXが発明されたら、国も協力する1家に1台必要な商品になるのではないか?」という発想からの企画考案力が足りなかった。
まだ完全に負けたわけではありませんが、あえて言うならそこが敗因だったのかもしれません。
グローバルな競争に勝つためにコストとリスクを抑えて戦うことも大切です。
しかし、コストとリスクを超克するような中長期経営計画はもっと重要なのではないでしょうか。
そんなことを考えさせられました。
リサイクルの問題点としてリサイクルに関して皆が正確に理解していないことがあげられる考えます
考えなければならないこととして
1.コストについて(再資源化する時のお金、時間、環境負荷など)
2.持続可能かどうか?
3.リサイクル前提で製造されているか?
リサイクルという言葉がイメージ先行で「リサイクルして良いことをしている」という思い込み、時には誤解になってしまっては本末転倒だと考えます
上記に加え、安全面もクリアしなければならず、超えなければならない障害は一般的に考えられているよりも高いのではないでしょうか?
リサイクルして作りました、というと聞こえはよいのですがそれを作るのにどのくらいのコストがかかったのか?聞くとリサイクルするのが馬鹿らしくなる場合もあるのではないでしょうか?
そう考えるとイメージに惑わされずにリサイクルに関して正確な情報を知ること、その情報が社会での常識にならないと真のリサイクルはできないと考えます
ペットボトルのリサイクルの多くがサーマルリサイクルという形でけっきょくは燃料として燃やされることを知ると、分別せずに清掃工場の焼却炉で一緒に燃料として燃やした方が清掃工場の燃料が節約できてよいかもしれません
リサイクルの普及には正確な環境負荷の計算方法の確立が必要なのかもしれません