事例分析

【CASE40】フィデューシャリー・デッドロック〜利益追求と地域貢献のはざまで〜 ②

問題提起

後編では、「フィデューシャリー・デッドロック〜利益追求と地域貢献のはざまで〜 ①」を基にお話を進めていきます。
「ダウンストリーム・コミュニティ・ファンド」構想とは、地域社会の下流領域への投資を企業価値の一部として組み込む試みです。

つまり、それは、計画的な企業城下町の構築です。

「利益か責任か」というテーマは、一見単純な二分法に思えるものです。
しかし実際には、企業が抱える諸要素は複雑に絡み合い、株主、従業員、地域社会という三つ巴の綱引きが繰り広げられています。

彼らの立場・視点から見えるものについて追っていく中で、未来の現象が与える影響を身近に感じて頂けましたら幸いです。

 


背景考察

アクティビストや買収者から突如として仕掛けられるさまざまな攻撃に直面する日本企業にとって、実効性のある自衛策は限られているのが現実だ。
朗報は、優良な日本企業の買収に意欲的な(場合によっては争奪戦も辞さない)PEファンドの存在によって、解決策が提供されていること。
非中核事業を売却し、企業をよりシンプルな組織にスリム化することは、かつてなく実行可能な選択肢となっている。
―クーリエ・ジャポン―

「彼らが嫌いなものは、変数だ。」
アクティビスト・ファンドの介入は、しばしば「提案書」「株主総会での議決権行使」という形を取ります。
例えば、ある地域密着型の製造業A社は、2023年の株主総会に先立ち、海外のヘッジファンドから経営改革提案を突きつけられました。

その提案の要旨は、「売上高が伸び悩むいくつかの地方工場を閉鎖し、ある生産拠点に集約すべきだ。」というものです。
つまり、選択と集中を実施することで、立て直しを図るべきだと。

長期視点で見れば効率化を図れるかもしれませんが、数千人規模の地元雇用を一気に奪うリスクもある内容と言えるでしょう。

「すべては、投資家へのリターンを確実に増大させるために。」
ファンド側は、固有のモデルや理論値を駆使して「人員削減による原価率低減」「遊休不動産の売却益」「配当の増額」等で株価上昇をシミュレートします。

「経済学とは、歴史を背景に、事実の成否を説明するための学問であり、未来を証明するためのモデルではない。」
個人的にはそう思っているのですが、ファンドはAIや知見を駆使して経済学のモデルを未来学に昇華させて扱おうとします。

すると、どうしても扱いきれない範囲と要素が出てきます。
例えば、地域社会との信頼関係や従業員モラルといった数値化しにくい資本です。

アメリカの政治学者ロバート・パットナムが唱えた「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」と呼ばれる無形資産があります。
それは、信頼・規範・交流が、社会や地域コミュニティにおける人々の相互関係や結びつきを支える源泉であるという概念です。
販促施策よりも、実はソーシャル・キャピタルこそが売上の根底を支えていたという事実はいくつもの事例があります。

例えば、あなたがお住まいの地域で昔から地場に根ざして経営されている会社はその例かもしれません。
しかしそのような無形資産は、変数が多く、かつ定量で測ることが困難であるなどの理由から、ファイナンスの視点ではしばしば軽視されてしまいがちです。

「持続可能性が大切なのは前提で、問題はその手段をどうすべきか。」
労働組合や従業員の立場からすると、ファンドの提案は生死を分ける剣ヶ峰とも言えます。
ファンドがもたらす変化は、給与や福利厚生、地域社会との共生といった従来型の企業文化が失われる可能性があるからです。

しかし一方で、このまま行けばジリ貧で経営が停滞し株価が落ち込み、企業そのものが存亡の危機に瀕する可能性があります。
社会関係資本を大切にしてきて今があるのだから、今更その先に何か光があるとは信じきれないという葛藤もあるでしょう。

「確かに、ファンドの提案通りに事業再編を行えば、経営指標は良くなるかもしれない。でも、地域から愛されなくなった企業が将来まで続くとは思えない。」
ここには、“株主重視”が必ずしも“企業寿命の延長”と直結しないという認識が見え隠れしています。

また、地方自治体やそこで暮らす人々にとって、大企業が地域社会に果たす役割は極めて大きいものです。
例えば、税収や雇用だけでなく、社会的イベントへの協賛や学校教育への支援など、多岐にわたる恩恵を受けています。

もちろん、過去を振り返れれば四大公害病(水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病)のように、良いことばかりではありません。
とはいえ、大企業が工場を閉鎖するということは、簡単に言えば税収と雇用が失われるということです。
それこそ、公害が生活に支障をきたすレベルでも無い限り、ファンドの提案内容を鵜呑みに賛成する人はさほど多くないことが予想できるでしょう。

つまり、短期的な利益を追い掛けるファンドの提案に対して、首を縦に振らない人が出てくると。

「短期的な利益追求は長期的なリスク拡散を生み、最終的に社会全体を脆弱化する危険にいざなうだろう。」
ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは「リスク社会論」を唱えました。
それは、近代社会が技術的進歩と引き換えに多面的なリスクを拡大してきたという考え方です。

近年、ESG(環境・社会・ガバナンス)投資やSDGsの観点が注目されるのも、こうしたリスクを回避し、より包括的な価値観へ移行する動きの一端といえます。
リスク社会論が警告する自体が、すでにどれだけ世界で現実になっているかは周知のとおりです。

こうした観点から見た時に、将来的に短期的な視座ではなく、中長期的な視座で動くアクティビスト・ファンドも登場するのではないかと。
だとするならば、彼らはダウンストリーム・コミュニティ・ファンド構想(DCF構想)を起案するのではないかと考えます。

それは、投資対象を“上流(アップストリーム)”や“自社領域”に限定しないことから始まる構想です。
つまり、サプライチェーンの末端や地域社会、その先にいるステークホルダーにまで拡張し、「潜在的価値を顕在化させる」ことを目的とする仕組みです。

例えば、農家や漁業、地場の職人など従来は切り捨てられがちだった地域産業に資本を注入し、企業との協業を促す。
こうして培われた協力関係が、やがて新商品や新サービスの源泉となり、差別化戦略へと結びつくというロジックです。

その結果が、企業城下町の構築に繋がっていくと考えられます。

「DCFへの投資はリスクが大きい。回収が不透明。企業のコアコンピタンスを超えた領域に手を伸ばしている。」
当然ながら、従来のファンドからはこうした声も挙がるでしょう。

「長期的な視座に立てば、地域産業との共創は企業の競争力を飛躍的に高める。ソーシャル・キャピタルを価値化すれば、株主にも十二分に還元できる。」
しかしDCFを肯定する人々は、“投資リターン=金銭的評価” だけでは測れないものがあると声を挙げるでしょう。
多様な成果指標(地域ブランド力、従業員のモチベーション、社会的評価など)を持続可能な収益に還元できる可能性を模索するべきだと。

では最後に、これまでの①と②の記事を通した上で、個人と社会がそれぞれ抱えるであろう命題に目を向けてみます。

新たに生まれる個人の命題:「仕事を通じて地域を守れるのか?」
通説: 「企業は利益のために存在し、地域との共存は副次的な要素にすぎない。」
新説: 「企業と地域を不可分のものと捉え、ローカルコミュニティと協働することで、個人も社会も豊かになる道がある。」

身近な話題として、例えば地元農産物を使った社食メニューを拡充するプロジェクトに、社員が自発的に参加し始めるといったケースがあります。
生産者との交流が生まれ、社員が“地域に貢献している”感覚を得ることでモチベーションが向上するという現象ですね。

一方で、「そんなことをしても給料が増えるわけではない」と割り切る社員もいます。
そこには、「企業による社会貢献活動が本当に自分のキャリアや幸福に関係するのか」という葛藤が存在する。
とはいえ、その迷いや不安こそが自己の働き方を見直す大きな契機となるのでしょう。

新たに生まれる社会の命題:「全員参加型のM&Aガバナンスは可能か?」
通説: 「M&Aは投資家と経営陣が主導し、従業員や地域住民は受け身の立場にならざるを得ない。」
新説: 「従業員・地域住民も意思決定に組み込む、マルチステークホルダー型のガバナンスを実装することで、M&Aそのものが地域活性化や新産業創出のトリガーとなる。」

具体例としては、海外ではワーカーズ・コレクティブ的手法を取り入れる試み。
或いは、地域コミュニティが独自のファンドを組成して企業の株式を買い取り、一定の議決権を確保する試みがあります。

まだ多くは実験的段階ですが、「M&Aのプロセスに地域社会が参加すること」で、公正な価格評価だけでなく、地域に根差した経営戦略が討議される可能性が高まるのだと。
しかしその一方で、利害関係者が増えれば合意形成の難度は急激に上がり、意思決定が停滞するリスクもあります。

とはいえ、そこには新たなスリルと未知の可能性があるのではないかという意見もあります。

「対立構造の背後にこそ、企業がイノベーションを起こせる余地が潜んでいる。」
ここまで考えて思うのは、短期的な視点が悪くて中長期的な視点が正しいという話ではありません。

なぜなら、アクティビストの要求がなければ、企業は漫然と非効率を温存し、いつかは競争力を失って倒れるかもしれないからです。
また逆に、地域社会との繋がりを断ち切れば、企業はブランドイメージを損ない、従業員の士気を削ぎ、長期的にはリスクを高めることも考えられます。

「企業と地域が生み出す価値は、単に株価や利益率だけで測れるのか。」
これから求められているのは、この“せめぎ合い”を建設的な対話と革新的な戦略へと昇華し、「利益×社会×人」の三つ巴を統合するアプローチを確立することなのかなと。

そんなことを考えさせられました。
あなたはどう思われますか?


背景考察

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コメント

  1. 星屑のかけら

    こんにちは。
    今回も楽しく拝読致しました。

    さて、今回のテーマは企業は何を軸に動くべきか。に感じました。
    ビジョン経営やパーパス経営などが謳われる昨今ですが、投資家や近隣からの視点を足すと、その考え方への見え方が変わるなと感じました。
    明確なビジョンやパーパスは、誰が見ても似た景色を想像させ、視座視点を問わずに共通言語を持たせる強みがあると感じました。一方、言葉一つ間違えると、非常に曖昧になり、個々人で見えるものも変わってくる1面もあるように思えます。

    誰もが同じ景色を想像するビジョンやパーパスは個性的なもの。ただし個性的なものが活きる場面は中庸的なものよりも限られる。一方中庸的なものは誰もが同じ景色を見れない。
    そのジレンマをブレイクスルーをできるか否かが、新興企業が化けるための鍵のひとつに思いました。

  2. 古澤 泰明

    DCF構想はやはり日本型経営を思い出させる仕組みだと改めて感じました
    今の資本主義社会ではとにかくマネーゲームが激しく、すべての問題は「投機」が存在することに起因するのでは?と考えました。
    ヘッジファンドの投機は短期的な利益を追求し、得た利益をまた投機に回し、加速して雪だるま式にマネーを獲得していく
    その根本的な要因を探っていくと、貨幣制度にあるのではないか?
    金本位制から変動相場制に変わった時からただの紙切れになったドル紙幣はいくらでも発行できるようになった。
    ドルがただの紙切れだとバレないようにアメリカは原油の取引にドルを使用させ、価値を担保してきた。軍事力で産油国を支配しながら
    それも中国やロシアの台頭で難しくなってきた
    ドルの価値の根源は原油とアメリカの軍事力だったはずが、両方とも危ういのが現状
    世界一の債務国のアメリカが発行するドルがどこまで信用されるのか?
    ドルの信用が失墜し、新しい通貨体制になったときに投機がなくなり、本来の投資(長期的な視点)が再度注目されるかもしれない
    また株式上場審査にDCF思考を入れて、それを評価すればよいかもしれない
    さらに世の中の考え方が「投機的思考」に支配されているのではないかとも考えました

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