事例分析

【CASE41】“納品を待つ時間”の再定義──儀礼的消費という新たな概念の誕生 ①

問題提起

フェラーリの生産台数は増加しているが、富裕層の増加に比べると遅れている。
平均価格38万ドル(約5700万円)のフェラーリを購入できる財力があっても、車種によっては納車待ちの期間が3年に達することもある。
この希少性こそ、フェラーリのブランド価値だと言うヴィーニャは、「市場の需要より常に1台少なく売る」という創業者の戦略を守る。
納車待ち期間もブランドを体験することの一部とされ、顧客にとって特別な時間となっている。
―クーリエ・ジャポンー

「需要より常に1台少なく売る。」
これは、高級車メーカーのフェラーリが実践する希少性マーケティングを象徴する一言です。

ここ数年、いわゆる「待機時間の演出」が消費文化において新たな転換点となりつつあります。
例えば、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンが長い行列を退屈しないために趣向を凝らしているように。

そしてこの波及は、単なる富裕層向け商品やレジャー施設の戦略に留まらず、家電や住宅、さらには日用品など幅広い領域へ進出していくかもしれません。

例えば、分かりやすい例として家電で想像を膨らませてみて頂きたいです。
家電といえば、大量生産・大量流通が前提であり、消費者も「速く手に入れたい」「安く手に入れたい」という効率性を最優先にしてきました。

しかし、ここに“フェラーリ式”の逆説的なマーケティング。
すなわち「待つこと自体」を高付加価値と見なす方策が持ち込まれた場合、何が起きると思いますか。

そもそも、家電は日々の生活を支える実用性の高いプロダクトであり、しばしば「究極の実用品」と評されます。
多様な家電を束ねるエコシステムが我々の家庭やオフィスを彩り、利便性の向上に大きく寄与してきました。

この大前提があるからこそ、あえて生産台数を絞り込み、“品切れ”あるいは“予約待ち”を常態化させるという発想は、既存のビジネス常識に反するものです。
そう、つまり、普通に考えると「あり得ない」愚策になるということです。

少量生産と体験価値の最大化。
つまり、希少性を演出することでブランド価値を高める手法は、果たして大量生産と即時消費を前提にしてきた家電産業でどこまで通用するのか。

今回は、あえてこうした問いを正面から扱うことで、私たちはこれまでの常識や慣習を一度リセットしたいなと。

「待ち時間の本質的な意味」と「消費行動の再設計」について再考することで何が見えるのかを探してみたいなと思います。
求道の過程で見えるものは、未来の私たちにどのような影響を与えていくのでしょうか。


背景考察

フェラーリが高級ブランド企業である所以は、唯一無二の製品を提供しているからだ。
「フェラーリは、人間のもっとも深い部分、感情に訴えかける。
テクノロジー、イノベーション、物語性、伝統のすべてを駆使して、人々の感情を揺さぶる存在であるべきだ」とし、
人の心を揺さぶるかどうかがすべてだとヴィーニャは語る。

だからこそ、フェラーリは決して「移動手段」をつくることはない。
「カンファレンスに招待されても、“ユーティリティ”や”モビリティ”という言葉が出た瞬間に断る。
私たちは便利な製品をつくっているのではない。感情を動かす製品をつくっている」と断言する。
―クーリエ・ジャポンー

結論からいえば、私はこの先、「消費の儀礼化」(儀礼的消費)(造語)という現象が起きるのではないかと考えています。

現在、消費者は商品をただ手に入れるだけでなく、その周辺にあるストーリーや体験を重視するようになっています。
特に、日常から切り離された“特別感”を味わいたいという欲求は、21世紀において加速してきた文化潮流の一つと言えるでしょう。

これまで家電産業は「技術革新」と「価格競争」が主軸でした。
しかし、この先は少量生産と体験価値の最大化という新しいアプローチが浮上して来るのではないかと。

通常ではあり得ない愚策ではありますが、起きると思われる構造的な背景理由は下記の3点です。

■テクノロジーの進化と熟成
高性能な家電が市場にあふれ、各社の製品スペック差が縮まってきた。
消費者も「新しい製品が出るたび買い換える」ことに疲弊しつつある。
つまり、エクスクルーシブ感(他では得られない希少性)をアピールすることでブランド間の差別化を図るのではないかと。

■サプライチェーンの最適化
近年のデジタル技術により、極少ロットであってもコスト増を最小限に抑える生産管理が可能になりつつある。
とりわけ、先進的な企業は「オンデマンド生産ライン」を整備し、生産計画を柔軟に変更する仕組みを構築している。
つまり、少量生産+高価格というモデルでも、従来ほどの大きなリスクを抱えなくなった。

■サステナビリティ意識の高まり
大量生産・大量廃棄が環境負荷を高めるという認識は既に広く共有されている。
必要な分だけ生産して在庫を持たないというスローガンが、環境経営の観点からも支持を得るようになってきた。
つまり、待ち時間が発生するほど生産数を絞るモデルは、“サステナブル”とみなされる余地がある。

「人は「手に入るまでのプロセス」に時間とお金を注ぎ込むほど、その商品に対する愛着や満足感を増幅させる性質を持つ。」
もっと言えば、第四の視点として、行動経済学が示す「期待値のバイアス」や「サンクコスト効果」の影響も想定することが出来るでしょう。

このような背景を踏まえると、「待機時間そのものをブランド体験に昇華させる」家電ビジネスの可能性は、あながち空中楼閣では無さそうです。

「納車待ち期間が数年に及ぶことで、購入者はまるで長い旅路を共にするかのように高揚し、実際の納車後の感動体験が何倍にもなっていく。」
しかし一方で、家電は「日々の暮らしを彩る道具」という性格上、あまりにも長い納期はライフスタイルと折り合わない懸念もあります。
例えば、冷蔵庫や洗濯機が故障した場合、悠長に数ヵ月待っていられないのが現実ですよね。

とはいえ、一部のハイエンド家電や趣味性の強いオーダーメイド家電には、この“待つ価値”の概念が確実に浸透する余地があると考えられます。
例えば、オーディオ機器やエスプレッソマシンなど、趣向を凝らすための製品はクラウドファンディングで人気企画になる傾向が高いという事実があります。

それは、つまり、受注生産+長納期モデルで利益率が向上する可能性は「趣向を凝らす」という概念にヒントがあることを示しています。

さらにそこで、「受注生産ラインのライブ中継」などのブランディング施策を組み込むことで、購入者は“作られる過程”をリアルタイムで見守ることができると。
するとこの段階で、消費者は自分が受け取る製品との間に「自分がカスタマイズに参加している感覚」や「職人との共創」といった物語を形成し始めるのではないかと。

こうした物語性は、フランスの社会学者ピエール・ブルデューが論じた「文化資本」の拡張として理解できるでしょう。
つまり、単なる性能や価格ではなく、製造工程や作り手の精神性を理解することで、ユーザーはその製品に深い愛着やステータスを見出すということです。

「長い待ち時間のあいだに消費者の期待が膨らみすぎ、実際に製品が届いたときに生じるギャップが顕在化するリスクがある。」
しかし、この華やかな新潮流には見逃せない副作用もあります。

SNS上では、購入前に夢と憧れを語り尽くすユーザーたちで溢れかえる。
今か今かと待ち侘びて、いざ届いて使い始めたら「思ったほど音質が良くない」「設定が面倒だった」と落胆した場合。
手のひらを返した炎上パターンに陥るのが予想できます。

こうした過大な幻想と現実の落差は、インターネット上で一瞬にして拡散され、あっという間にブランドイメージを揺るがす可能性があると。
そう、いつの間にか、家電の話題が炎上案件へと変貌してしまう危険性が潜んでいるということです。

さらに言えば、少量生産を過度に強調した結果、供給制限による価格操作や市場独占と見なされる恐れも否定できない。
もし特定の会社が“真似できないほど少ないロット”かつ“高価格”を当たり前にしていけば、それは独占禁止法や競争法との摩擦を生じかねません。

そして何より、家電が本来持っている機能性の側面やユーザビリティを二の次にする風潮が生まれるかもしれない。
いわば“所有の浪漫”に振り回され、日々の実用が軽視される事態に陥る可能性があります。

こうして見てみると、フェラーリ式の「待ち時間を特権化する」マーケティングは、家電業界のビジネスモデルにも強いインパクトを与えうる潜在力を秘めています。
一方で、「幻想と現実のギャップ」や、法的リスク、実用性とのトレードオフといった負の側面もあります。

では、もしこのモデルが家電全般のみならず、広く他業界にも普及した時、どのような現象が起きるのでしょうか。
それが、冒頭に申し上げたように、消費の儀礼化(儀礼的消費)という現象が社会通念として機能する未来なのかもしれません。

例えば、お中元やお歳暮の贈り物は、感謝や関係性の維持を目的とした儀礼的消費の典型と言えるでしょう。
そこで重要なのは、贈る品物の選択や包装にも細かなルールがあり、社会的意味が込められているということです。

或いは、限定版スニーカーやフェラーリのような高級車を購入することは、実用性以上にステータスやコミュニティへの参加を示す儀礼的な行為として機能すると。
つまり、購入/消費は参加の入口となり、儀礼として、礼儀として受け止められる「必要な消費」となるのではないか。

それは、記号的消費(差異を求める消費)や暗号的消費(差異を際立たせる消費)とはまた別の観点です。
儀礼的消費は、社会通念の1つとして「しなければならない、必要な」消費として機能されるのではないでしょうか。

そんなことを考えさせられました。
それではまた、後編の②でお会いしましょう!


結論

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コメント

  1. 古澤泰明

    今回の記事を読んで感じたこと、考えたこと

    1.儀礼的消費と言えるかは分からないが年賀状の習慣が消滅の危機
    お中元、お歳暮も今後はどうか?
    2.大量生産、大量消費のビジネスモデル思考の転換が必要になりそう
    3.特別な商品を「待つこと」への付加価値がキーワードになりそう

    具体的な事例として
    3について
    ディアゴスティーニは模型のパーツを毎月送り、お客様に組み立ててもらう
    組み立てる楽しみと新しいパーツを待つ楽しみができる
    自社でもリフォーム工事が職人や製品の納期の関係で何ヶ月かお待ちいただくことがある。その時に着工一ヶ月前にちょっとしたグッズを届けるとか
    (例えば浴室のリフォームなら浴槽を洗うスポンジとか)
    1.について年賀状は今や「出さないこと」が礼儀になりつつある感じ
    常識は時代とともにガラッと変わることを改めて思い知らされました
    今の当たり前は5年後の「まれなケース」になるかもしれません

  2. たきさん!

    今回も面白い記事ありがとうございます!

    フェラーリが実践する希少性マーケティングから、消費行動が単なるモノコトの獲得ではなく、「社会的な儀礼」として機能しうる未来が実は近いのではないかという上記の文を読み、

    「できたものに一喜一憂する」時代から「消費のプロセスそのものが意味を持つ」時代にシフトする可能性が高いのだと感じました。

    似た事例として、インフルエンサーの飽和も同じ理論かと思います。憧れのインフルエンサーから誰もがなれるインフルエンサーになれる時代に変化したことによって、なるまでの過程にスポットが当たる時代になりました。

    まさに、社会にいきなりこの文化が根付くかどうかはともかく、価格競争から体験価値へ、本質が問われてくる時代になった扉はもうすでに開かれていると思いました。

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