問題提起
前編では、インターネットやSNSといったネットワーク社会に潜む奇妙な現象。
そして、その背後には、個人でも集団でもない「第三の意志決定主体」が存在するのかもしれないと。
そんなことを語らせて頂きました。
では、この見えない意志、私たちの日常に波紋を広げている存在は、一体何者なのでしょうか?
結論から言えば、その「第三の意志決定主体」は、システムなのかもしれません。
つまり、それは、私たちのデータと、そのデータを処理するアルゴリズムが織りなすものであると。
「情報を伝播させるために最も重要なのは、人と情報の間合いである。」
情報は常に、喜びや怒り、共感や嫌悪といった感情を引き出すものです。
とするならば、最適なタイミングに、最適な形で提示されることが望ましいと思いませんか。つまり、アルゴリズムとは、人が持つ個々の感情と情報が持つ個々の性質を
最適な間合いで引き合わせるものだと言えます。
―前編―
「システムの母親はアルゴリズムである。」
アルゴリズムは、人間からポジティブ(いいね)またはネガティブ(批判)な反応をより引き出すように設計されています。
結果として、似たような意見や感情を持つ人々が集まりやすくなり、特定の感情(例えば、共感や怒り)が増幅され、あっという間に共有されると。
これは、まるで個人の無意識的な感情や欲求が、ネットワーク上で並列化され、巨大な集合的無意識として発露しているかのようです。
では、このアルゴリズムによる「予測」と、それに基づく「情報提示」、そしてそれに反応して発生する並列化された無意識の爆発的な拡散。
この一連のプロセスにおいて、「意志決定」を行っているのは一体誰(あるいは何)なのでしょうか?
アルゴリズムは単なる道具なのか。
それとも、データという燃料を得て自律的に振る舞う、一種の「意志」を持ち始めているのか?
その変化と未来は、私たちにどのような影響を与えていくのでしょうか。
背景考察
「個々の細胞はそれだけで生きているわけではありませんが、全体の体があって初めて機能し、同時に個々の細胞の集合が体を形作る。」
ハンガリーの哲学者アーサー・ケストラーは、ホロンを提唱しました。
それは、私たち個々の人間が、細胞が集まって体を作り、個人が集まって社会を作るように。
ある全体(ホロス)の一部(オン)でありながら、それ自体が独立した機能を持つ単位であるという考え方です。
私たちの社会も、個人というホロンが集まって、家族や企業、国家といったより大きなホロンを形成しています。
このホロンの考え方をネットワーク社会に適用すると、何が見えてくるのか。
例えば、個々のスマートフォンユーザー、一つ一つのウェブサイト、データを処理するサーバー、そしてそれらを繋ぐ回線。
これら全てが、ネットワークのホロンを構成する要素と考えることができます。
そして、これらの要素が相互に繋がり、情報をやり取りすることで、個々の要素の機能を超えた、全体としての振る舞いを促すと。
すなわち「第三の意志決定主体」が生み出されている、と解釈できるというものです。
それは、特定の場所に中心があるわけではなく、ネットワーク全体に分散して宿る、新しい形態の主体性と言えるかもしれません。
「やがて現実のコピーが、やがて現実そのものよりも「現実らしく」なり、現実と虚構の区別がつかなくなる現象が起きる。」
フランスの哲学者ジャン・ボードリヤールは、現代社会においてシミュラークルが発生すると予期していました。
例えば、SNSで完璧に加工された写真は、現実の被写体よりも魅力的で「リアル」に感じられるように。
私たちのデジタル空間における行動は、データという形でコピーされ、アルゴリズムはそのデータを基に、私たちの嗜好や反応をシミュレーションします。
そして、そのシミュレーション結果に基づいて、次に提示する情報が決定されていくと。
このプロセスを経てネットワーク上で生まれる集合的な流れや現象。
それは、現実の意志決定プロセスを模倣し、やがて現実そのものに取って代わるかもしれない。
つまり、シミュラークルにこそ意志の主体が宿ると言うべきなのかもしれません。
「現実と虚構のあわい、人間とアルゴリズムの境界に潜むもの。」
私たちは、現実の世界を生きています。
そこには、物質的な体があり、物理的な法則があり、そして他者との直接的な触れ合いがあります。
一方で、私たちはデジタル空間というもう一つの世界にも同時に存在しています。
そこには、データという非物質的な体が与えられ、アルゴリズムという論理が支配し、そして画面を介した間接的な触れ合いがあります。
かつて、この二つの世界は明確に分かれていました。
しかし、スマートフォンの普及により、デジタル空間は私たちのポケットの中に常に入り込み、現実とデジタル空間はシームレスに繋がっています。
私たちの現実での行動はデジタル空間にデータとして記録される。
デジタル空間でのアルゴリズムの判断が、私たちの現実世界での行動に影響を与える。
例えば、おすすめされた商品を購買する、SNSで得た情報に基づいて投票先を決めるように。
これから先、人間とアルゴリズムの境界はさらに曖昧になります。
アルゴリズムは人間の行動パターンを学習し、まるで人間のように振る舞う。
レコメンデーションエンジンは人間の嗜好を予測し、チャットボットは人間のように会話する。
その一方で、人間もまた、アルゴリズムのフィードバックに最適化するように、無意識的に自身の行動を変容させていきます。
アルゴリズムに「いいね」されやすい投稿を無意識に選んだり、アルゴリズムが推奨するコンテンツを見ることで、思考や感情が特定の方向に偏っていく可能性があります。
この、現実と虚構のあわい、人間とアルゴリズムの境界線上に現れつつあるのが、シミュラークル的な意志主体です。
それは、人間の無意識とアルゴリズムの論理が絡み合い、どちらとも完全に区別できない存在として機能し始めています。
「私たちは、この新たな存在とどのように向き合っていけば良いのでしょうか?」
これは、単なる人間の集団行動とも、単純なシステム制御とも異なります。
人間の無意識的な感情や本能(ユングの集合的無意識に通じるもの)が、アルゴリズムという非人間的な論理と結びつき、ネットワークというホロン全体を駆動させる。
蟻塚の蟻のように個々は単純なルールで動きつつも、全体として複雑な構造を生み出し、神経細胞ネットワークのように個々の要素に意識がなくとも、全体として「意識らしきもの」を生み出す。
天気システムのように予測不能でありながら、強力な影響力を持つ。
まさに、複雑系としてのネットワークに宿った、新たな「意志」なのです。
この「第三の意志決定主体」の作用として、私たちは様々な現象を目の当たりにするようになります。
例えば、個人の意図を超えた「偶然」が、アルゴリズムによって意図的に(しかし非人間的に)デザインされてしまう現象。
すなわち、アルゴリズミック・セレンディピティ(造語)なるものが起きるでしょう。
これはまさに、「個人の意図 vs. 偶然性」という二項対立の逆説から生まれる現象です。
また、本来多様な意見を持つはずの個人が、無意識レベルでの感情的共鳴によって、驚くほど単一の集合的行動に収束する現象。
すなわち、社会全体が一方向へ傾く共鳴的集団無意識(造語)なるものが起きるでしょう。
これはまさに、「個人の多様性 vs. 集団の単一性」という二項対立の逆説を示しています。
さらに、自己とは内面から生まれる固定されたものという通念が、外部データによる自己形成によって揺らぐ現象。
アルゴリズムのフィードバックによって、自身の嗜好や価値観が常に変化し続ける「アイデンティティの流動化」という現象も起きるでしょう。
それもまた、「自己の内面 vs. 外部からのフィードバック」という二項対立の逆説を突きつけます。
内省:未来への問いを持ち帰る
このシミュラークル的な意志主体の台頭は、私たち自身と社会に対し、いくつかの避けられない問いを突きつけます。
- 因果的な問い:
・なぜ、私たちの意図を超えた見えない力が社会を動かすようになったのか?
・通説:インターネットが情報過多をもたらし、人々が深い思考を避けるようになったため。あるいは、個人間のリアルな繋がりが希薄になり、孤独感からネット上の集合に依存するようになったため。
・新説:デジタル技術の進化が、個人の行動データを燃料としてアルゴリズムの学習・予測機能を飛躍的に向上させ、人間の集合的無意識との不可分な共進化を促した結果、「シミュラークル的意志主体」という新たな存在が誕生し、ネットワーク全体を駆動するようになったため。 - 新たに生まれる個人の命題:
・ネットワーク社会において、自分自身の「意志」や「アイデンティティ」をどう確立し、保っていくべきか?
・通説:デジタルデトックスを行い、内省の時間を増やし、流される情報に惑わされない強い自己を持つこと。
・新説:自己は、もはや内面だけで完結する固定されたものではなく、データとアルゴリズム、そして他者との相互作用の中で常にフィードバックを受け、変容し続ける流動的なものであるという前提を受け入れること。アルゴリズムによるサジェストや集合的な流れを単に受け入れるのではなく、それを自己探求や創造性の源泉として活用しつつも、意識的に自己の価値観や判断基準を問い直し、外部との相互作用の中でアイデンティティを再構築し続ける能力が求められる。 - 新たに生まれる社会の命題:
・見えない意志主体が台頭する社会で、いかにして制御可能性を保ち、公正で民主的な意思決定を実現していくか?
・通説:プラットフォーム事業者への規制強化、ユーザーの情報リテラシー向上、フェイクニュース対策。
・新説:アルゴリズムの設計思想やデータ利用状況に関する一定の透明性と説明責任を法的に義務付け、データ主体の権利(自身のデータがどのように扱われ、アルゴリズムに影響を与えているかを知り、制御する権利)を強化すること。同時に、社会的意思決定に関わる場を、人間だけでなくアルゴリズムやデータも含む多様な「アクター」が参加する「行為者ネットワーク」として捉え、人間の知性、集合知、アルゴリズムの効率性を組み合わせた、より多層的で分散型のガバナンス手法を探求する必要がある。
結論
私たちは、デジタル空間という新たな「現実」の中で、かつてない存在と対峙しています。
それは、遺伝子のように私たちの根源に働きかけ、地球システムのように全体として自己組織化し、アルゴリズムという非人間的な論理で駆動される、シミュラークル的な意志主体です。
これは、SF映画や哲学書の中だけの話ではありません。
あなたが次にSNSを開いた瞬間、あなたが次に検索窓に言葉を打ち込んだ瞬間。
その見えない意志は、あなたの日常に、静かに、しかし確実に介入してきます。
私たちは、この新たな意志主体を、恐れるべき敵として排除しようとするのか。
それとも、その存在を受け入れ、いかに共生していく道を探るのか。
それは、私たち一人ひとりの意識にかかっています。
日常の解像度を少し上げることで、未来への、そしてあなた自身への、新たな問いを持ち帰るきっかけとなれば幸いでございます。
【専門用語/学術用語の解説】
■ アルゴリズミック・セレンディピティ(Algorithmic Serendipity): 「アルゴリズムによる偶然の幸運な出会い」という意味を込めた言葉。あなたが特に探していたわけではないのに、アルゴリズムが「あなたが好きそう」と判断して提示した情報(動画、記事、商品など)が、思いがけずあなたの興味を引きつけたり、新しいアイデアや創造性につながったりすること。
■ 共鳴的集団無意識(Resonant Collective Unconscious): 多くの人々の心の中にある、理性や論理を超えた共通の感情や感覚が、ネットワーク上で互いに響き合い(共鳴し)、爆発的に強まって広がる現象。特に、喜び、怒り、不安といった感情が、SNSなどで瞬時に共有され、集団的な行動につながることがあります。中編で解説した「集合的無意識」が、ネットワーク技術によって増幅・共有されるイメージです。
■ データ駆動型アイデンティティの流動化(Data-Driven Identity Fluidity): あなたのインターネット上での行動データ(見たもの、買ったもの、反応したものなど)をアルゴリズムが分析し、その結果に基づいて「あなた」という人物像や、あなたが好みそうな情報を常に提示し続けることで、あなた自身の自己認識や価値観が固定されず、外部からのデータの影響を受けて常に変化していくこと。自分が何者か、という感覚が、データのフィードバックによって揺れ動く様子。
■ データ主体(data subject): 個人情報(データ)が収集・利用・処理される対象となっている個人のこと。つまり、私たち一人ひとりがデータ主体です。自分のデータがどのように使われているかを知り、利用方法を制限したりする権利(データ主体の権利)が、プライバシー保護の観点から重要視されています。
■ 行為者ネットワーク(Actor-Network): 社会学の考え方の一つ。社会の出来事を、人間だけでなく、技術、モノ、考え方なども含めた様々な「行為者(アクター)」が複雑に繋がり合って作るネットワークとして捉えます。社会は、これらのアクターが互いに影響を与え合いながら成り立っていると考えます。
アルゴリズムと社会、自分がひとつのシステムとして組み込まれ、ネットの中の自分と現実世界での乖離に寄って自分を見失う
まさに映画、マトリックスの世界になるような予感がする一方で、現状メタバースは閑古鳥で話題にもなりませんね、まだ早いのでしょうか?
メタバースの先駆け的なセカンドライフは
まだ存在するのか?
メタバース、NFTなど一時はそれらへの投資ブームがありましたが今は見るも無惨な状態ですね
新しい技術の初期は投資詐欺が蔓延するのは気をつけないといけませんね